私はその人を「議長」と呼んでいた ~追悼:唐沢俊一氏~
唐沢氏の経歴を辿ると、それこそ90年代のサブカル関連とその評論時代まで遡ることになるでしょうが、氏の存在を知ったのはおそらく自分が成人を迎える前後、20世紀末くらいだったかと思います。
その頃に読んだ『トンデモ一行知識の世界(大和書房)』は、本当に衝撃でした。まず、たった一行ちょっとで語られる、実に簡潔な雑学の面白さ。そこから広がる蘊蓄たっぷりの雑学エッセイに、自分はすっかり魅了されてしまったのです。
高校時代から本格的に「クイズ」という趣味に打ち込んでいた自分にとって、この一冊は魅力的でした。知識や感性、何より雑学に対するアプローチの仕方や語り口等々、どれだけ影響を受けたか計り知れません。こうも雑学を楽しく語れるような人間になりたい、と本気で思ったものでした。
時を同じくして、自分はインターネットの世界に足を踏み入れました。リアルではなかなか知り合えない同趣味(主に特撮)の人間と出会える、という点に心躍らせたものですが、そこでもやはり濃い雑学の話へのめり込んでいきました。
きっかけはサブカルネタを扱う「裏モノ会議室」。その管理者は、先の唐沢氏御本人でした。ここであの方と出会えるんだ、と小躍りしたものです。会議室ゆえに氏の愛称は「議長」。この呼称は、後に氏がご自身のホームページを立ち上げてからもそのまま使われていたと思います。皆が皆、唐沢氏のことを「議長」と呼んでいたため自分もそれに倣って「議長」と。
ゆえに「議長」というのは、自分の中では氏の肩書というより愛称となっているのです。
そしてBBSを開設すると「一行知識」に関するスレッドが出来上がり、幾多の投稿でツリーはみるみるうちに成長。やがて雑学エッセイ第二弾『トンデモ一行知識の逆襲(大和書房)』が刊行されるに至りました。
そのページ脇に書かれた一行知識の中に、自分の投稿ネタが掲載されていたのです。内容は一言
「『金鳥渦巻き型蚊取り線香』を真っすぐに伸ばすと、普通サイズの場合は七十五センチになる」
読書中にこの一文を見つけ、かつ巻末に協力者として自分の名前が掲載されていたのは嬉しかったですね。その影響もあってか、自分がホームページを開設した時にも「自分で収集した一行知識」を披露するサイトを設けたものです。氏からの影響がどれだけ大きかったかが分かります。
よく「一行知識」は「情報ソースが不十分」「裏が取れていない」と言われます。そもそも一行知識の起源は「裏モノ会議室」という、生きてくうえで役立つかどうかも分からない、実にどうでもいい知識を追っかけていく場所。単なる噂話を元とするネタも山ほどあるゆえ、怪しさも満点で、今現在それらを改めて精査すると、デマだと判明した知識も少なくありません。
しかし、先の蚊取り線香ネタは本当です。公式サイトによると、レギュラーサイズは75㎝とあります。ただ投稿した当時はどこからネタを引っ張ってきたのか、さっぱり記憶にありません。どこかで耳にしたか読んだかした話を「こりゃ面白い」とポンと投稿しただけなんですよね。
ポンと披露できる手軽さがありつつも「それって本当なの?」と思わせる怪しさが共存している。それを読んだり聞いたりした時に、つい「ふーん」と唸らされてしまうのが、一行知識の面白さだったのです。
気が付けば唐沢氏は『トリビアの泉』で注目され、さらには『世界一受けたい授業』で講師役としても登場。ネット及び先の本のように軽妙な語り口で一行知識を披露し、ポンポンと雑学蘊蓄話を進める姿はやはり面白く、視聴率も好評だったのかその後も再登場するまでに。TBSラジオでもレギュラー番組を担当しており、それも欠かさず聴いていたものです。
それだけに突如噴き上がった「盗作騒動」に関しては、正直何だかなぁ、という印象でした。何かしらの情報ソースを元に文章を書くのは誰しもやっているわけですが、一つの元ネタに対し、色々な方が様々な方向からアプローチするから面白くなるんですよ。その中でも、自分は唐沢氏のアプローチ方法を特に面白く読んでいたわけです。今となってはどういう事情か察しかねますが、議長だったらそんな丸写し同然のことをせずとも面白いネタを書けるでしょうに、と複雑な心境になったのを覚えています。
しかしそんな騒動があってもなお、自分は氏の文章が好きでした。
あれ以降は、主に同人誌での活動が増えたように思えます。氏がサークル「アンド・ナウの会」を立ち上げたのもこの頃です。アニメ・特撮作品に関わった俳優・声優・スタッフらへのインタビュー冊子は非常に貴重であり、今はもう故人となられた方から、当時の撮影裏話や数多くの証言をとれた功績は、もっと評価されていいと思います。
ちなみに2018年の冬コミ新刊は『僕らを育てた俳優のすごい人・石橋雅史編』でした。数々の東映アクション・特撮作品で敵役や悪役を務めた石橋氏でしたが、なんと同年の12/19に他界。インタビューはその数か月前に収録したものだったそうです。頒布時にブースの方と「まさかこんなことになるとは……」と一言二言。本当に貴重な証言となってしまいました。
それとここ10数年は演劇活動が盛んでした。演劇に逃げた、という意見も目にしましたが、議長曰くこれは「雑学で有名になりすぎたせい」だとか。
『トリビアの泉』のおかげで仕事も忙しくなったが、来る仕事が全部雑学の話ばかり。創作や評論もしたいと企画を持ち込むも、どこへ行っても
「まずセンセイには雑学をやって頂いて」
となり、嫌気がさすほどだったという。そこで、文筆業でこの看板を外すのが無理ならもう一つ別の看板を掲げてしまえばいい、と学生時代から好きだった舞台の世界に飛び込んだ、と。最初は役者として活動するも、もどかしさを感じて諦め、自分のユニットを立ち上げて構成・演出する側になった。これらは独学だそうですが、それでユニットを率いられる技量はどこから湧いてくるのか。そのアクティブさと挑戦心には感心させられました。
……ただ、自分は議長に心から謝らなくてはいけません。
一度だけ、コミケの打ち上げに混ぜてもらったことがあります。2015年前後だったでしょうか。
撤収後にお仲間の方々と楽しく過ごされる様子をなんとも羨ましく思い、かつての掲示板のつてで「自分も参加できますか?」と申し込んだところ、快諾していただいたのです。こんな機会は滅多にない、とコミケそのものよりも楽しみにしていました。
場所は新宿二丁目のお蕎麦屋さんでした。中に入ってしばらくすると、サークル関係の方だけでなく、演劇繋がりの方も続々と宴席に加わり、すっかり演劇トークで盛り上がるようになりました。
自分は演劇に全く興味を持っていない人間でした。が、そのトークを聞いているだけでも楽しそうなのが伝わってきます。その会話の合間を見て、自分は議長と話しました。
自分「考えてみたら、演劇の鑑賞自体が未経験でした……自分は群馬に住んでるもんで、公演が平日の夜とかだと観に行けないんです」
議長「あー、だったらマチネー(昼興行)での鑑賞になるかなぁ」
自分「はい、予定が合えば、いつかは行きたいと思います」
……結局、その約束を果たせないままになってしまいました。
本当に申し訳ありません。
ただ自分の手元には、アンド・ナウの会のブースで頒布していた、議長のユニットによる演劇公演のDVDが何本かあります。そのうち一本は、マチネー(昼公演)・ソワレ(夜公演)の二枚組となっています。
なぜこうなっているかというと、観る側のコンディションに合わせて演出を変えているからだそうです。個々人の違いや事情こそあれど、基本的に昼と夜とではお客の精神状態、すなわち興奮度に違いが出る。昼間の方がアドレナリンも分泌しやすく、逆に夜は沈静化しやすい、というのは脳生理学でも言われてることだそうで。ならば、昼夜問わず同じ演出をするより、それらを踏まえて指示を出すほうがいい。難しいが、それこそがライブである演劇の面白さの神髄なのだ、と……
やはり、リアルで観るべきだったかと悔やむほかないです。
ただ、せめて公演のDVDを、改めてじっくり鑑賞させていただきます。その時間帯に合わせて。
議長のご冥福をお祈りします。
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