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剥き出しの構造美──映画『ブルータリスト』が描く建築と移民の物語
第97回アカデミー賞で作品賞、監督賞をはじめとして9部門10ノミネートされ、大きな注目を浴びているのが、ある建築家の生涯を描いた3時間35分の大作『ブルータリスト』だ。日本公開は2025年2月21日(金)。
主人公はハンガリー系ユダヤ人の架空の建築家であり、複数の近現代建築家――特にハンガリー出身のモダニズムの旗手、マルセル・ブロイヤーをモデルにしているとされる。
本作の監督ブラディ・コーベットは、第1次トランプ政権下の排外的風潮に触発されこの物語を構想したという。移民問題が再び政治的論争の的となる時代に、戦後米国で理想と葛藤を抱えながら活躍した建築家を主人公に選んだのは、歴史ドラマとしてだけでなく、社会的・政治的なメッセージを込めるための選択である。
本記事では、映画の中心に据えられた「ブルータリズム」という建築様式に焦点を当て、その成立と発展の歴史的背景、現代における再評価の潮流について掘り下げる。
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(2025年1月 筆者撮影)
ブルータリズムの成立と特徴
ブルータリズム(Brutalism)は、ル・コルビュジエが提示した「béton brut(ベトン・ブリュット/生のコンクリート)」という概念に端を発する。第二次大戦後、世界各地で都市復興と大量の住宅供給が喫緊の課題となり、鉄筋コンクリートが安価かつ耐久性に優れた資材として大いに活用された。それに伴い、コンクリートを露出させて用いる設計手法や、機能と構造を剥き出しに見せる建築観が高まりを見せ、それがブルータリズムという様式の成立へと繋がった。
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(以下、画像はWikipediaより引用)
ブルータリズムは旧ソ連圏、南米、東アジアなど、広範な地域で発展してきた。英国のアリソン&ピーター・スミッソンの実験的作品群やフランスのル・コルビュジエ後期の建築群も、ブルータリズムの一形態として論じられることが多い。
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米国ではポール・ルドルフ、ルイス・カーン、そしてハンガリー出身で後に米国に活動拠点を移したマルセル・ブロイヤーらが、その象徴的存在として知られている。ブロイヤーの場合、バウハウス由来の機能主義を踏まえつつ、鉄筋コンクリートやスチールという近代的素材を大胆に駆使した彫刻的表現を特徴としていた。
ブルータリズムの美学は、素材そのものの荒々しい手触りや重量感を前面に押し出す点にある。打放しコンクリートの無骨な表情、巨大な梁や柱の剥き出しの形態、大規模な幾何学構成は、ときに威圧的だと批判されてきた。しかし、戦後の混乱期において、虚飾を排して剥き出しの構造と機能を誠実に提示するという理念は多くの建築家や思想家に支持され、社会のモダニズム志向と共鳴するかたちで普及した。
マルセル・ブロイヤーとラースロー・トート
映画『ブルータリスト』の主人公ラースロー・トートは、ブロイヤーをはじめとする欧州出身の建築家を総合的にモチーフ化した存在だといわれる。戦後の移民建築家たちは、新天地の旺盛な需要に応えるかたちで数々のプロジェクトを手がけ、社会基盤の構築に寄与した。
同時に、自らの文化的背景や設計理念を現地の価値観と融合させようとする試みは、移民としての苦闘やアイデンティティの再定義を伴う営みでもあった。
バウハウスの合理主義・機能主義は、戦後の大規模開発において一層の説得力を帯びた。ブロイヤーはバウハウスでの経験を踏まえつつ、米国における巨大プロジェクトに適合する形式として、コンクリートを主体とした建築を積極的に展開した。本作が体現するブルータリズムの象徴性は、この歴史的系譜を反映していると解釈できる。
なぜブルータリズムが今映画の題材となるのか
ブルータリズムは1970年代以降、ポストモダニズムの台頭や新素材の開発に伴って「無愛想」「メンテナンスコストがかさむ」「街並みを暗くする」として敬遠される時期が続いた。湿気が多く曇りがちな場所ではコンクリートのファサードが劣化しやすいという弱点もあった。
しかし近年、コンクリートの質感や幾何学的構造への愛好が高まりつつある。取り壊しの危機にあるブルータリズム建築を文化遺産として保存・活用しようという動向が各国で顕在化しており、この様式の哲学や歴史的意義を改めて掘り下げる気運が生まれている。
その代表例が、ブロイヤーが1966年に設計した旧ホイットニー美術館である。2014年ホイットニー美術館の移転に伴い、メトロポリタン美術館がこのブルータリズムの代表作を譲り受け、修復・補強し、2016年に分館「METブロイヤー」として再オープンさせた。現在は建物の管理はフリック・コレクションに移管されている。
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ブラディ・コーベットのインタビューによれば、本作は第1次トランプ政権期に燃え上がった移民排斥や国境の閉鎖といった風潮への批評性を帯びている。戦後米国における移民建築家の役割や苦闘を描くことは、現代社会にも繰り返される移民の貢献と排除を再考する契機となる。ブルータリズムの剛直な構造主義が、社会の分断や政治的対立の暗喩としても読解可能な点に映画的魅力がある。
戦後の急激な都市開発は、異なる文化的背景を有する建築家と受け入れ先の都市との協働関係によって成立した。移民としてのアイデンティティを携えながら公共建築や集合住宅を通じて市民生活を支えた事実は、移民を社会から排除しようとする言説が再燃する現代において示唆的なメッセージを含む。ブルータリズムの剝き出しのコンクリートが象徴する生々しさは、そのまま移民としてのリアリティにも重ね合わされている。
ブロイヤーをはじめとするモダニズムの旗手たちが、戦後世界の再編期にコンクリートという素材で描き出した巨大な構造体は、現代においても評価と疑問を呼び起こす遺産となっている。その遺産を映画という形で掘り下げる試みは、単に近代建築史の一幕を再現するにとどまらず、今まさに社会を覆う移民排除や政治的分断に対する批評的メッセージに至っている。
日本におけるブルータリズム建築:倉敷市立美術館
最後に日本におけるブルータリズム建築を紹介したい。日本のブルータリズムは高度経済成長期に広まり、多くの公共建築に採用された。その代表例のひとつが、丹下健三が設計した倉敷市立美術館(1960年竣工、旧倉敷市庁舎)である。
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丹下をブルータリズムに位置づけることについて異論がないわけではないが、弟子の槇文彦が「新建築」1999年1月号のインタビューで「丹下先生の最初の草月会館とか倉敷市庁舎などにもブルータリズムの影響があります」と述べており、ここではそれに従うこととする。
鉄筋コンクリートを主体とした大胆な構造体が特徴的で、外壁に打放しのコンクリートが露出している。建物は水平線を強調する構成を基調とし、外部階段や庇のデザインが建築全体にリズム感を与えている。コンクリートの無骨なテクスチャが建物の彫刻的な側面を際立たせており、重厚感の中に繊細なバランス感覚を宿している。当時の5階建てと同じ高さで3階建ての広々とした構造になっている。
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丹下の公共建築といえば旧東京都庁舎(1957年)や香川県庁舎(1958年)だが、旧倉敷市庁舎はそれらとは趣を異にする。前者が直線的でシンプルなモダニズムに、桂離宮に着想を得た繊細な和風を加味したデザインであるのに対し、後者はル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンに影響を受けた、有機的で彫刻のような重厚なデザインになっている。
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市役所機能が新庁舎に移転した後、倉敷市立美術館として再整備され、現在も大原美術館と並ぶ文化拠点として親しまれている。ブルータリズム建築がその美学と構造を生かしつつ新たな機能を与えられる事例は、日本の建築史においても意義深い。
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