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アロンソ・ルイスパラシオス『La Cocina』――火花散る厨房、交差する人生

 映画『La cocina』(スペイン語で厨房の意)は、アーノルド・ウェスカーの1957年の戯曲『The Kitchen』を原作として、メキシコで活動するアロンソ・ルイスパラシオスが脚本・監督を務める。ウェスカーの原作は1950年代のロンドンを舞台とする群像劇だが、本作では時代と場所を変え、現代のNYのレストランを舞台に、そこに生きる人々の現実を描き出している。監督は学生時代ロンドンに留学し、レストランの厨房でアルバイトしていたときにこの戯曲と出会った。

 2024年のベルリン国際映画祭コンペティション部門でワールドプレミア上映されたこの作品は、都市の裏側で働く移民労働者たちの物語を、熱気と混沌の中で描き出す社会派ドラマでありながら、厨房という極限の空間で繰り広げられる人間関係の機微を緻密に捉えた群像劇でもある。

 監督は映画を通じて労働という行為が持つ詩的な側面と厨房という閉ざされた空間が持つ人間ドラマの豊かさを表現したかったと述べており、まさにその言葉通り、観客は熱気と緊張感に満ちた厨房に引きずり込まれることとなる。

 ルイスパラシオスは『グエロス』(2014)や『Museo』(2018)といった作品を通じて、メキシコ社会の中で見落とされがちな人々の視点を独特のユーモアと詩的な映像美で描いてきた。『La cocina』では彼の視線はレストランの厨房に注がれる。

 そこは都市の旺盛な活力を支える一方で、過酷な労働環境に置かれた人々が交差する場でもある。彼らは皆違う国から来て、違う言葉を話し、違う夢を抱えているが、フライパンを持てば誰もが同じルールのもとで働かざるを得ない。レストランという空間の外からは見えない彼らひとりひとりの生き方が、映画の中で剥き出しにされる。すべてのキャラクターに異なるバックグラウンドを与えるため、監督は実際にNYの多数のレストランで取材を重ね、現実のストーリーを脚本に織り込んだ。

 撮影手法もそうしたテーマを体現するかのようにダイナミックだ。狭い厨房のどこにカメラがあるのかと驚くようなカメラワークは、登場人物の動きに追随し、まるで観客自身がスタッフの一員としてキッチンの熱気の中に入り込んだかのような没入感を与える。長回しを多用することで、料理が完成するまでの緊張感や、スタッフ同士の衝突が生まれる一瞬のドラマがリアルに捉えられている。

 ピークタイムの厨房の混乱を描くシーンでは、登場人物それぞれのリズムがひとつの音楽のように絡み合う。撮影監督のフアン・パブロ・ラミレスは戦争ドキュメンタリーを参考にしたとのことだが、まさに戦争のようである。

 原作の戯曲は1950年代のロンドンを題材にしていたが、本作はそれを現代のNYに置き換え、よりグローバル化した社会の縮図として描き直している。ただ厳しい職場環境を描くだけではなく、厨房で働く人々のささやかな喜びや、互いを支え合う瞬間も織り込まれている。登場人物たちは、仕事のなかでふとしたユーモアを見出し、絶望と希望の間を行き来しながら、それぞれの人生を懸命に生きている。仕事場は彼らにとって戦場であると同時に、逃れられない家のような場所でもあるのだ。

 この映画の中心にいるのがルーニー・マーラ演じるキャラクターだ。厨房の秩序を保とうとしながらも、その裏で揺れ動く心情を繊細に表現する。厨房の騒音とスピード感の中で、彼女の一瞬の沈黙が際立ち、緊張感を際立たせる。彼女自身が抱える葛藤や、厨房という環境において何を求め、何を諦めるのか——そうした細かい心理描写が、映画の流れの中で浮かび上がる。監督はルーニー・マーラと面識はなかったが、脚本執筆中に頭に浮かび、駄目元で手紙と脚本を送った。寡作な俳優ではあるが出演を承諾し、メキシコまで来て撮影を行った。

 『La cocina』は現代の労働環境や移民問題を真正面から捉えた社会派映画でありながら、厨房という閉ざされた空間の中に生きる人々の心の機微を、詩的な視点で描き出した作品でもある。レストランで食事をするとき、誰がそれを作っているのか、どんな背景を持つ人々がそこにいるのか、そんな見過ごされがちな人々の物語に光を当て、彼らの視点から世界を見つめる。厨房は文化が交差し、衝突し、そして一瞬の調和を生み出す場所なのだ。

 なお、日本公開は未定だが、国内配給はすでに決まっているとのこと。

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