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ルイス・オルテガ『キル・ザ・ジョッキー』/このドアを開けると生まれ変わる

 東京国際映画祭で上映されると聞いて一番沸き立ったのが、ルイス・オルテガ監督のアルゼンチン映画『キル・ザ・ジョッキー』だ。日本でもヒットした前作『永遠に僕のもの』から6年、2024年ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門にノミネートされ、アカデミー賞アルゼンチン代表にも選ばれた。

作品解説
 レモ・マンフレディーニは伝説的な騎手だったが、その生活は破綻し、ガールフレンドのアブリルとの関係も危うくなっている。ある重要なレースの途中、レモは脳震盪を起こし、病院に担ぎ込まれる。病院を抜け出し、女装してブエノスアイレスの街をさまようレモは、これまで背負っていたアイデンティティから解放される。だが、レモに大金を賭け、その儲けで彼の借金を棒引きにしようとしていたギャングのシレーナは、手下たちにレモの行方を探させる。アキ・カウリスマキの撮影監督として知られるティモ・サルミネンの撮影が素晴らしい。終始無表情なレモもカウリスマキ作品の登場人物のようである。

東京国際映画祭公式サイト

 傑作だった。東京国際映画祭で観た作品の中でいちばん面白かった。人生が終わりかけている人気騎手が、いろいろあって「生まれ変わる」話。トランジション(移行)の物語である[1]。You need to die and reborn. Necesitas morir y renacer. 

 カウリスマキ作品の撮影監督ティモ・サルミネンを招き、前半はカウリスマキタッチのキメショットが続く。しかし後半からはギャグのペースが加速度的に上昇し、予想もつかない展開に巻き込まれていく。

あまりにも良いショット(予告編より)

奥にいる青い服の騎手は『エマ、愛の罠』主演のマリアナ・ディ・ジローラモ
Netflix『ペーパー・ハウス』トーキョー役で一躍有名になったウルスラ・コルベロ
このトリオの右側の人を演じたダニエル・ファネゴは、本作のワールドプレミアの直後、今年9月に亡くなった。『永遠に僕のもの』ではラモンの父親という準主役を務めた

ミシマ

 本作には「ミシマ」という馬が登場する。大きなレースのために日本から輸送され、主人公の騎手はミシマに乗って一世一代のレースに挑む。

 日本の観客の多くはこの名前に特段の意味を見出さないだろうし、私も特に何も思わなかったが、海外のレビューを読んでいると「ミシマ」に反応しているものがいくつか見つかる。

 たとえばこのレビューでは「クィアの作家である三島由紀夫の儀式的な自殺を考慮すると、ミシマという名前と同じくらい適切な名前に思える」とある。三島が「クィア」で「儀式的な自殺」をした作家というのは、言われてみれば確かにそのとおりである。本作は明らかにクィア映画の表層をなぞっているし、儀式的な自殺は本作のテーマでもある。

ルイス・オルテガとその家族

 日本ではあまり知られていないが、ルイス・オルテガはアルゼンチンでは超有名人だ。それも監督デビューする前から。

 アルゼンチン人に「国民的歌手といえば?」と聞けば、必ずこの人の名前が返ってくる。ルイス・オルテガの父パリト・オルテガだ。「El Club del Clan」というTV番組に出演したことで火がつき、ラテンアメリカ音楽のポップ・アイコンとして絶大な人気を誇った。人気絶頂期にはフランク・シナトラを軍事政権下のアルゼンチンに招き、そのプロジェクトのために貯金をすべて使い果たしたことでも有名だ。

 一時期米国に移住したが、帰国後は政治家として州知事に当選し、上院議員も務め、副大統領候補になったこともある。

 現在83歳だが歌手活動はまだ続けており、レオ・ダンと最近コラボした曲はYouTubeで7,800万再生を記録した。レオ・ダンもラテンアメリカで有名な歌手であり、アルフォンソ・キュアロン『ROMA/ローマ』の重要なシーンで曲が流れる。

 妻のエヴァンジェリーナ・サラザールは女優であり、オルテガ一家の6人の子どもたちはみな芸能界に進んだ。姉のジュリエッタ・オルテガは女優、エマヌエル・オルテガは歌手になった。兄のセバスティアン・オルテガは映画プロデューサーとして弟ルイスの作品を支えている。『永遠に僕のもの』がカンヌで上映されたときはレッドカーペットで仲良さそうにしていた。

ルイス・オルテガのフィルモグラフィ

 ルイス・オルテガが長編デビュー作『Black Box』の脚本を書いたのは19歳。サン・セバスチャン国際映画祭やマール・デル・プラタ国際映画祭で上映され、高く評価された。主演のドロレス・フォンシは当時ルイス・オルテガと交際していたが、その後ガエル・ガルシア・ベルナルと交際し、2人の子をもうけた。現在はサンティアゴ・ミトレと交際している。

 2作目『Monobloc』には母のエヴァンジェリーナ・サラザールが出演し、いくつかの助演女優賞を受賞した。その後も順調にキャリアを積み、『キル・ザ・ジョッキー』で44歳にしてすでに長編8本目である。

 親があまりにも有名で、自身も若い頃から表舞台で派手に活躍していたため、どうしても「親の七光り」という目で見られ、正当に評価されてきたとは言いがたい。たしかに初期の作品は勢いとアイデアだけで突っ走るような「手数が少ない」映画だったが、近年の作品は過去の名作のオマージュを積極的に取り入れることで円熟さを感じさせるようになった。『キル・ザ・ジョッキー』では「手数の多さ」を楽しむことができる。今後のルイス・オルテガの作品にも期待していきたい。

アルゼンチン映画の現状

 『キル・ザ・ジョッキー』はアルゼンチン国立映画協会(INCAA)から資金提供を受けた。しかしハビエル・ミレイ新大統領は以前から芸術を敵視し、「大統領選に勝利したらINCAAを廃止する」と公約に掲げていた。現在は事実上の閉鎖状態となっている。

 2024年3月にはINCAA閉鎖に反対する市民がデモを行ったが、アルゼンチン市警により鎮圧された。

 2024年9月のサン・セバスチャン国際映画祭では、「今年国際映画祭を回っているアルゼンチン映画は26本あるが、来年はゼロになるだろう」というショッキングな発言もあった。アルゼンチンから国際映画祭に出るような映画はもう二度と生まれないかもしれない。多様な映画を作れる・観られる環境は、国際的に見ればけして当たり前のものではないのだ。

作品情報

監督/脚本/プロデューサー:ルイス・オルテガ
脚本:ロドルフォ・パラシオス、ファビアン・カサス
プロデューサー:ベンハミン・ドメネク、サンティアゴ・ガレリ、マティアス・ロベダ、エステバン・ペルロウド、アクセル・クシェバツキー、シンディ・テパーマン、チャーリー・コーエン、パス・ラサロ、ナンド・ビラ
キャスト:ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、ウルスラ・コルベロ、ダニエル・ヒメネス・カチョ
時間:97分
製作年:2024年
製作国:アルゼンチン/スペイン/アメリカ/メキシコ/デンマーク

[1] トランジションの物語といえば『マトリックス』。


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