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あの場所にたどり着けさえすれば

 広い森を抜け、高い山を越えてやっとここまで辿り着いた。

 少し黒ずんだ白い高い壁の向こう側に、更に背の高い高層ビルがそびえ立っているのが見える。金属で出来た太いパイプがあちらこちらにうねうねとその胴体部分を露出しながら建物を何度も何度も貫通している姿は、高層ビルというより巨大工場と呼ぶ方がふさわしい。

 もう少し。あと少し。

「ほら、早く行くわよ」
 2mほど後ろを歩いていた子どもが立ち止まる気配を察した私は、足を止めずに顔だけ後ろに向けて子どもに声をかけた。

「はぁい」

 間延びしたあの子の返事が終わるのを待たずに私は前へと向き直すと、一歩、また一歩と巨大工場へ向けて足を進める。

 太陽はジリジリと照り付け、肌はチリチリと焼けつくように痛い。

 もう少し。あと少しだ。

「ねぇ、おかあさん?」
「なに?」
 小走りで距離を詰めてきた子どもに話しかけられても、私は足を止めない。

 もう少し。あと少しなのだ。

「もうすこしだね」
「……」
「たのしみだなぁ」

 この子はいつも前向きだ。身体が頑丈でとてもまっすぐでとてつもなく優しい。それがこの子の持っている素晴らしい能力。みんなを助け、傷つけることを決してしない。


 この子には弟がいる。この子の弟は身体がとても弱かったけど頭の回転が非常に速く、まだ足元がおぼつかない頃から上のこの子よりもはるかに沢山のことを理解し、周りを驚かせた。

 優しい兄に優秀な弟。幸せな家族。
 しかし、そんな幸せは長くは続かなかった。

 私は背中に背負っているあの子の弟がずり下がってきたのを「よいしょ」と声を掛けながら背負いなおす。反動でガクンとなったクビの勢いで、あの子の弟の頭が私の後頭部に直撃し、ものすごい音と共に痛みがはしった。

 これはあの子の弟からの抗議なのだろうか。

 そんなこと…。
 私は痛む頭を軽く振ると考えることを止める。ぶらぶらと揺れるあの子の弟の手足にバランスを崩さないように、慎重に前へと進み続ける。

 あの子の弟がすっかり動かなくなってしまったのは、今と同じように暑い暑い日だった。

 ずっと調子が悪い日が続いていたものの、会話はしっかりと出来ていたので、数日クリーンな場所で養生すればいつも通りに直るものだろうと、私を含め、周りのみんなもそう思っていた。調子を崩すのはよくあることだったし、当の本人もそう思っていたに違いない。

 しかし、あのときはいつもとは違っていつまで待っても回復することは無く、気が付いた時にはあの子の弟はすっかりと動かなくなってしまっていた。

 私はあの子の弟を失ってしまった悲しみと、救ってやれなかった絶望感と、もっと出来たことがあっただろうという自分への怒りで、心が張り裂けそうな毎日を送っていた。


 そんなある日「おかあさん、あそこへいこう」と私の目をしっかりと見つめながら、あの子が私にそう言い、私はあの子の言う通りにここまでやってきた。

『こんにちは!
こちらは りさいくるせんたーです。
いつもごりよう
ありがとうございます!』

やっとのことで建物の前まで辿り着くと、小学生の子どものような声の放送が流れ始めた。

『ごりようのかたは
いりぐちのまえにある とろっこにのせ
ぼたんをおしてください!』

 私はあの子の弟を放送で言われた通りにトロッコの中に入れる。あの子の弟とトロッコのぶつかりあうガチャガチャという金属の音が辺りに響き渡った。

 本当にいいの?

 私の中に残る、最後の良心が私に問いかける。
 あの子は本当にまっすぐな優しい子。あの子を失うことになってもいいのか?と。

 しかし私はすぐに決断する。これでいいのだと。

 あの子が大きくなるにつれて、あの子の優しさや真っ直ぐさより、出来の悪さの方が目に付くようになっていた。

 何度言ってもわからない。簡単な指示すらきちんとこなせない。もういい歳になり大きさだって大人と変わらないくせに、理解するチカラが皆無。あの子はそれくらい酷い処理能力しか持っていないのだ。

 コロニーでは表立って何かを言うものは居なかったけど、皆心の奥底であの子のことを馬鹿にしているに違いない。

 そういう私だって、あの子が自分の子供だと認めたくはなかった。こんなはずじゃない。私の子どもなのだから、もっと優秀であるべきなのだ。

 だからあの子の弟が、コロニーの中でもずば抜けて優秀な頭脳を持っていることがわかった時は嬉しかった。

 そうだ。あの子の弟こそ私の子どもとしてふさわしい。あの子は間違えたのだ。失敗したのだ。あの子の弟さえいれば、私はそれでいい。

 むしろ、あの子の弟だけが私の子ども。あの子なんて無かったことにしてしまいたい。

 しかし、あの子の身体は強く、あの子の弟の身体は弱かった。あの子はどこから落としても怪我などしないし、病気も今までしたことが無いのに。弟はすぐに身体に不調が出る。

 あの子は身体が頑丈な分、頭脳が残念な仕上がりになってしまったのだろうか。あの子の弟は頭脳が優秀な分、身体が弱く仕上がってしまったのだろうか。天は二物を与えないとは本当のことなのかもしれない。


 あの子の弟が動かなくなってしまった日、私は動かなくなったのがあの子の方ならどれだけ良かっただろうと心の底から悔しがった。

 今からでも遅くない。あの子と動かない弟を交換してほしい。そう何度も何度も神に願ったけれど、その願いは叶えられることは無かった。どうして。どうして。

 私は動かない弟へのやるせない思いを、あの子に全てぶつけた。窓にかかっているカーテンをすべて閉め、ドアの鍵がしっかりとかかっているのを確認してから、思いつく限りの罵詈雑言をあの子にぶつけた。時には手元にあった箒であの子を叩いたりもした。

 いつものようにどれだけ罵り、痛みを与えてもおかあさんと慕ってくるあの子。そんなあの子の姿を見ても可愛そうだとはこれっぽっちも思えず、ただただ疎ましかった。どうして今動いているのがあの子の弟ではないのかと。

 しかし、それだけ私から虐げられていても、優しいあの子はどこまでも私に優しかった。

 そしてあの日あの子は

「おかあさん、あそこへいこう」

 と私に言った。

 その言葉を聞いた瞬間、私は天にも昇る心地だった。嬉しかった。あの子の弟が帰ってくるのだ。そしてあの子は消えるのだ。コロニーのみんなだってあの子よりもあの子の弟が生きていることを望むに違いない。

「おかあさん、じゃぁ、ぼくものるよ」

 ガチャガチャと身体をぶつけながら、あの子がトロッコに乗り込んだ。

 弟と並ぶあの子は弟と瓜二つ。同じ形のパーツを組み合わせて作ったのだから、そっくりなのは当たり前だ。

 でも、どうしてあの子の出来はこんなにも悪かったのだろう。あの子の弟のボディは調子を崩しやすかったのだろう。粗悪品が混じっていいたのだろうか。しっかりと確認したはずなのに。

 しかし、そんなことはもうどうでもいい。2人は新しく生まれ変わるのだから。


 この資源回収センターでは、『カスタマイズ』と『廃棄』の処理を行うことが出来る。

 あの子は弟と自分のパーツを組み合わせることで、身体の丈夫な弟を作ろうと言ってくれた。あの子自身を犠牲にしてでも、皆の望みを叶えようとしているのだ。

 あの子に対して罪悪感が無いわけでは無いが、私はあの子よりもあの子の弟に戻ってきてほしい。ただ優しいだけの何度言ってもこちらのことを理解できないあの子よりも、これからコロニーの重鎮になるあの子の弟。皆だってそう思っているに違いない。

 役に立たないあの子よりも、優秀なあの子の弟。望まれているのはあの子ではなく、あの子の弟。可愛い可愛いよく出来たあの子の弟。

 それにこれはあの子が言い出したことなのだから。私がそれに関して罪の意識を背負う必要なんてこれっぽっちも無いのだ。

 その時、トロッコの中からあの子が私を手招きしている姿が目に入った。

 あの子にとって、私はたった一人の大好きなお母さんなのだから、最後のお別れをしっかりしたいのだろう。そう思った私は、あの子に呼ばれるがままあの子の傍へと歩いて行く。

「おかあさん」
 私が近付くと、いつもハグを求める時にするようにあの子は両手を広げた。

 あの子とあの子の弟はトロッコに乗った。
 後は『カスタマイズ』のボタンを押すだけで、私の望みが叶う。私は手のひらに、決してかくことができない汗が滲み出ているのを感じた。

 これであの子の丈夫な身体とあの子の弟の優秀な頭脳を持った、私に相応しい完璧な私の子どもが完成するのだ。

「あなたのこと、忘れないから」

 思わず笑顔になりそうになるのをぐっとこらえながら、両手を広げたあの子とハグをした瞬間、私の身体は宙に持ち上げられた後床に横たえられた。

「え?なに?!」

 何が起こったのか理解できないままトロッコの縁に捕まり、倒された身体を起こしているとガタンと音を立ててトロッコが動き始めた。

 ガタガタと揺れながら進むトロッコに、私の身体は乗せられている。

「なに?!どうして?!あなたは弟にその身体を与えるつもりなんでしょ?!」

 トロッコから飛び降りようとする私の身体をがっちりと抑えたまま、あの子はじっと動かない。

 あの子の知能で『カスタマイズ』が理解できるわけがない事に気が付いたのはその時だった。

 あの子の弟がなぜ動かないのかも理解出来ないのに、自分の身体を提供するなんてことを思いつくわけがない。そんなことにすら気が付かないくらい、私は私に相応しい子どもが手に入ることに舞い上がってしまっていたのか。

「みんないっしょ。さみしくない。こわくない。だいじょうぶ……」

 トロッコのガタガタというリズムはどんどん早くなっていき、建物の入口から入ってきていた光も段々と届かなくなってきた。

 かろうじて見えた、最後の分かれ道にあった看板には『廃棄』と書かれていた。


 あの子は全て理解してこんなことをしたのだろうか。


 プレスで金属を押し潰している音が近付いてくる中、私は考える。

 いや。あの子の頭はそんなことを考えられるほど賢くは無い。とすると、あの子の弟が?

 重力がフッと消えた感じがした後、私たちの身体は硬い地面に放り出された。


 まさか、そんなことがあるはずがない。


 痛みを感じながらも何とか身体を起こそうとしたが、上からのもの凄い圧力が私に加わり全身を地面に押し付けられる。

 私はあの子の弟が優秀だとわかった時から、あの子よりも弟を大切にしてきたのだ。えこひいきを決して許さないあの子の弟にバレないように細心の注意を払ってきた。だからあの子にも優しく接してきてやったのだ。優秀ではないあの子にも。どれだけ邪魔だと感じても、大切だと。私に相応しいあの子の弟のために。それなのに。それなのに。

 メキメキメキ…

 光はもう届かない。暗い。真っ暗だ。

 私の理想の子ども…。私に相応しい優秀な子ども…。



おとうとは、おはなしができなくなるまえに、ぼくにこうおしえてくれた。

「僕が動かなくなったら、お母さんに『あそこへいこう』って言うんだよ。そして、連れて行ってもらったら、みんな一緒にトロッコに乗るんだ」

「とろっこ?」

「うん、そう。タイヤのついた箱。そして皆が乗った後はボタンを押すんだ。お兄ちゃんの一番近くにあるボタンだよ」

「『あそこへいこう』っていって、みんなのったらボタンをおすんだね」

「うん、そう。そしたら、みんなでカミになるんだ」

「かみ?」

「痛いこと怖いこと苦しいこと不安なこと、醜いもの、ツライことも全部全部なくなるんだ」

「おかあさんにおこられない?」

「もちろん!それに、僕がいない時でもお母さんはお兄ちゃんを怒鳴ったり叩いたりしなくなるよ。お腹が空いているお兄ちゃんの前で、お母さん一人でご飯を食べたりすることもなくなる。僕が居ない時にお兄ちゃんの前に出てくるお母さんは居なくなって、いつもニコニコしたお母さんになるんだよ!」

「おかあさん!」

 そういったぼくのかおをみて、おとうとはにっこりほほえんだ。

「僕も大人じゃなく、お兄ちゃんやみんなと遊ぶんだ…」


 ぼくはみんなでとろっこにのって、ボタンをちゃんとおした。

 こわくないこわくない。

 だってみんなで 神 になるんだから。

 すてきなせかいが…まっているんだ…


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