君が生まれてきてくれた日のこと
8月23日、さらば森田も誕生日らしい笑
(夫がさらばファンで、妊娠中からよくYouTube見てた)
👶が生まれてきてくれて、1年。
もっと、㊗️1歳!!おめでとう🥳みたいな気持ちになるのかと思ってたら、
嬉しいような
寂しいような
誇らしいような
感謝のような
愛しいような
何とも言えない気持ち。
いろいろ思い出してたらもうこんなに日にちが経ってた。
本当に、本当に、不妊治療も妊娠中も出産も何回も何回もダメだと思ったし、自分はもう子どもが持てない運命なんじゃないかと、ずっとずっと思ったよ。
不妊治療中は、ずっとしにたいなと思ってた。
妊娠中、中で亡くなるかもしれないって言われた時は、もし自分の病気のせいで死産だったらどうやって生きていったらいいかわからなかったよ。
多分、生きて君が生まれて来なければ、私たち夫婦に未来はなかったと思う。
生まれてきてくれただけで、救われたよ。
陣痛で丸3日以上寝ずに出産で、本当に大変だったけど、
私は後遺症も残っちゃったけど、
1ヶ月近く入院させてしまったけど、
母乳もあげられなかったけど、
母親失格かもしれないけど、そんなことどうでも良くて、生きてさえいてくれれば、後から何とでもできる!!と思ってて、生きて生まれてくれたら本当にもう十分で…
生まれてきてくれてからは、出産前よりも病むことはなかったよ✌️
君が一緒に頑張ってくれたから、私も頑張れた。
まさか私の中で心臓治しちゃうとはね😳
完全に治したわけではなかったけど、医学的にはあり得ないそうで、先生たちもびっくりしてた。
すぐ緊急帝王切開!って雰囲気から一転、帝王切開自体白紙になった。
本物の奇跡って初めて経験した。
君の頑張りを見てたら、こんな私でも信じられないような力が湧いてきたよ。
出産が怖いとか一言も言わなかったし、
分娩中、一切弱音は吐かなかったよ。
不妊で苦しんだのもあって、分娩中は
「もうしにたい」
「もう切って欲しい」
「こんなことなら妊娠しなきゃ良かった」
こういったことは絶対に言わないと心から誓ってた。
「この子にとって1番安全だと思う方法で進めてください」というスタンスで、割と冷静に先生や助産師さんの指示に従えていた。
あの長くて痛い分娩中に、一言も弱音を吐かなかったことは、自分の中でもちょっと誇れる。
(反射的に痛いー!!とは言ってるけど)
担当の助産師さんは私のそんなところまで見ていてくれて、後で労ってくれた。
そういえば、大学病院に緊急転院で即入院だったからか、みんな必死でバースプランなんて聞かれもしなかった笑
ニューボーンフォトも、母乳の選択肢も、無痛分娩の選択肢も、カンガルーケアも…選べる状況ではなかったし、命さえあれば…の気持ちをずっとスタッフと共有できていた気がする。
妊娠・出産関係は、不妊治療中から1桁%の不運が立て続けに起こって、本当に本気で、自分は生きて産めないかもしれない…と思ってた。
まぁ君が生きて生まれてきてくれるなら、しんでもいいかな…なんて思いつつ、エンディングノートをまとめて、生まれる直前に君に手紙を書こうとしてた。
ところが、急に予定外の陣痛がきてしまったものだから、手紙書けず🤣笑
(正期産に入ってすぐの陣痛で37w3dの出産。生まれてこないと治療ができないから、なるべく早く生まれて欲しかったし、後々の入院のことも考えると、最高のタイミングだったよ✌️)
産直後にすぐスマホのメモに思いの丈を綴って、時間を見つけてはレターセットに清書してたよ。
それはそれは、長くて重い、君の出生のこと、名前の意味、どれだけ愛しているかを綴った呪いのような手紙😅笑
一読さえしてもらったら、別に破って捨ててもらってもいい。
感謝しろだとか
育ててやってるとか
親孝行してほしいだとか
ゆくゆくは介護をしてほしいだとか
〜して欲しいとか…
君には何も求めてないよ。
(単発的に寝て欲しい…とかは思うけど笑)
もう十分過ぎるくらい助けてもらったから。
不妊地獄から救ってもらって、生きて生まれてきてくれて、幸せな毎日をありがとう。
たった1年だけどもちろん大変なこともあった。
ランキング作ろうかな笑↓
大変なこと
3位:離乳食(知識不足な上に個人差が大きくマニュアル通りとはいかない💧アレルギーとかドキドキ…)
2位:病気関連(コロナ、ヘルパンギーナ、下痢…こっちも体調悪くて大変💧)
1位:生まれてすぐ(寝ない、泣いてばかり、こっちも体調悪い…何より目がちゃんと見えなくて本当に困った😣おまけに合わない実家暮らし…😭)
反対の幸せなことランキング
3位:寝顔見てる時
2位:抱っこ中
1位:ニコニコしながら寄ってくる
あ、お世話で言うと、沐浴好きだった😍
ふにふにほっぺ揉んでる時も好きかな。
嬉しそうにおしゃべりしたり、飛びついてきたり…全部いいなぁ笑
不妊治療してる時に、妊娠できなかった腹いせに高い寿司食べたり、子ども禁止の高いところに旅行したりしてたけど…
それなりにおいしかったけど…
それよりも君が溢した離乳食をつまんで食べてる今の方が幸せ。
道歩いてるだけでも、君がいたら幸せ。
子どもができることで不自由になったこともたくさんあるけど、生きやすくはなった。
もしも君を一生産めない代わりに、5億くらいもらえます!って言われても、多分私にとっては大変虚しい人生になっていたと思う。
お金は好きだし大切だけど。
いっぱい賭けてきたものがあって、いっぱい捨ててきたものもあって、人一倍子どもには執着してる。
第二子が欲しくなったのも執着の延長といえばそうなのかもしれない。
ただ、この執着を別の言い方で言えば、不妊治療で価値観が変わったと言えるのかもしれない。
不思議な話だけど、不妊治療をしていなければ第二子が欲しいと思わなかった気がするし、今程穏やかな気持ちで子どもに接していないと思う。
多分、弱音吐きまくりの出産をして、ぐちぐち文句を言いながら育児をして、「痛いししんどいし、子育て大変だし、もう子どもは1人で十分!」って言って終わりだった気がする😅
君を妊娠できて、産むことができて、育てることができて、私もいろいろ変わった。
君はまだ小さいから、人の手を借りなくてはいけないことが多いけど、多分本当は私よりもしっかりしてる。
妊娠初期の出血は切迫だったそうだけど、それでもしがみついてくれて、
私の過度な甲状腺ホルモンに晒されて心不全になりかけても乗り越えてくれて、
早く治療ができるように早めに降りてきてくれて、
分娩中もとにかく君に頼りっぱなしだったよ。
私の度重なる不運を、君が全部吹き飛ばしてくれた。
産直後の採血で、急にちょっとバセドウの数値が良くなって「ベビーが半分持っていってくれたね。」と内分泌の先生に言われた。
中であれだけ苦しめてしまったのに、生まれてもなお助けてくれようとするのか…と思って印象に残っている。
いつも助けてもらってばかり。
経験させてもらってばかり。
私が育ててもらってる。
心配もたくさんあるけど、君のことは信頼してるよ。
君なら大丈夫。
私も君の母として恥ずかしくないように頑張るよ。
これからもよろしくね。
部屋を少し飾り付けて、
バナナの蒸しパンに、水を切ったヨーグルトを塗って、フルーツをトッピングして、ケーキ風にしてお祝いをしたよ。
イスから立ち上がって飛びかかろうとしてたね笑
ちょっと多かったから私たちみんなで食べた。
その後、ロディくんに乗せて安定してる一瞬を写真に撮ったけど、夫が目を離してロディくんから転倒😡(見張り役とカメラマンを交代でやってたのに!)
私が怒ってちょっと空気悪くなる💧君も泣いてロディくんを嫌がるようになったから、そのまま抱っこ。
抱っこをしてから、急に嬉しそうに手を叩いたり、バンザイのポーズをしてくれて、ニコニコで写真が撮れたよ。