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忘れっぽい私のための(適当な)短い読書 28

…古今と新古今の間には、三百年のへだたりがあり、その間に後撰集以下いくつもの歌集ができていた。古今・新古今もふくめて、世に「八代集」と呼ばれるもので、歌集ばかりでなく、物語や日記の類も数多く書かれた。それらは互いに交り合い、切磋琢磨されて、十三世紀を迎えた。三百年の間に、やまと言葉も、やまと歌も、これ以上望めぬほどに洗練され、完成の域に達していた。いわば、すべての言葉は言いつくされていたのである。
 そういうところに置かれた歌人たちの苦心を私は想う。なさすぎることよりありすぎる方がむつかしいからで、貫之以上の苦しみを味わったに違いない。三百年の間に、世相も大きく変っており、政権は朝廷から武家へ移っていた。ここにおいて、神代以来つづいた日本の文芸を守らねばならない。彼らはそういう意気に燃えたであろう。大げさにいえば、当時の人々の愛国心が新古今集を造ったともいえるので、公家の間にもまだそのような気概がみなぎっていた時代であった。
 そこへ彗星の如く現れたのが、後鳥羽上皇である。(略)…文武両道に達した人物で、十九歳で譲位した後は、もっぱら「遊芸」の境に耽溺し、特に歌道には精魂をかたむけられた。

   ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく

    (新古今集2-春歌上)

   見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思いけん

    (新古今集36-春歌上)

 新古今集の中にあった、ことに冴え冴えと澄み切った調べである。「ほのぼのと」の歌は、万葉集の、「ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」(巻十)を踏まえているが、「春こそ空に来にけらし」は、貫之の「水なき空に波ぞ立ちける」(*)より一段と新鮮な表現で、「水なき」などという説明をもはや必要としていない。春が空いっぱいに広がった感じが無理なくとらえられ、万葉集の古歌に新しいいぶきを与えている。
 次の一首は、水瀬川の離宮で詠まれたもので、春の夕暮の夢のような景色を眺めていると、なぜ「夕べは秋」と思いこんでいたのであろうかと、それまでの既成概念を打破している。こういう歌が私には、今でも非常に新しく感じられるのだが、これにもお手本はあったので、藤原清輔の「薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけん」(新古今集340-秋歌上)からとってある。とってはあるが、ここでもまったく別の広々とした空間に転化され、結果として、原歌とは比較にならぬほどスケールの大きな歌に変っている。
 このような歌を「本歌取り」といい、新古今集の大きな特徴の一つになっているが、簡単に述べることはできない(略)
…揚げたような後鳥羽上皇の御製を、保田与重郎は「至尊調」と読んだので、万葉以来つづいた「おほみうた」のおおみうたらしさは、大体わかって頂けたと思う。

 花にもの思う春 白洲正子
 (*桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之)


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