黒よりも暗い -28-

朝、通知が来ていた。先日面接をした求人から。落選の内容であった。面接時に聞いていた連絡日を過ぎていたので既に諦めていたのだが、遅れて連続したダメージを心に受けた朝となった。なんだか嫌な気分である。40にもあるとアルバイトもなかなか受からない現実が突き刺さる。働くことを拒絶された人間はどこへ行こうか。諦めずに歩むしかない。今まで一生懸命生きてきた。これだけは誇れる。幼少の頃から真面目に一生懸命生きてきた。しかし、これは最低限のことで、それだけでは駄目なのである。能力の低い私は一生懸命に生きることしかできなかった。何の為に一生懸命生きてきたのだろう。疲れた。とにかく疲れた。いっそ永久に眠りたいとよく思う。突然心臓の鼓動が止まれたばいいのに。そう願うことも少なくない。自分自身を痛めつける状況がいつも纏わりつく。とにかく事実はほっといても事実なので引きずるわけにはいけない。今に専念しなければ自分で自分を責め続け自分で自分を苦しめるだけである。誰も得をしない。誰も私に興味はない。無意味とわかっているが自分を苦しめるしか自分を保てない。いっそのこと働かない人生もいいとも思っている。周囲はそれを脱落者と呼ぶが、私のことを大切に思っていない者の言葉など今更聞く耳はない。どうでもいいのである。聞くのは私を大切に思っている者だけである。その者も結局はいないのであるが。としたら、私が思うことをするだけである。素直に。苦しまずに。すすんで苦しむ方向へ進む必要はない。結局生きやすいように生きたらいい。それなのに複雑に絡み合って元には戻らない人生になってしまった。絡まった糸をほどくことにエネルギーと時間を費やすのであれば、切り捨てたほうがよい。それだけ使い物にならない。初老になってしまったが、新しい生き方をするしかない。後悔してもしょうがない。とにかく文字を打つことは続けてみる。頭に渦巻いているものを文字にする。思っていることを外に出してみる。悶々としない。それだけでも結構違うものだ。今は悶々としないことに専念したい。文章を書く。少し体を動かしてみる。ストレッチしてみる。筋トレしてみる。掃除をしてみる。料理をしてみる。悶々とする理由は答えを探しているのだ。意味をみつけようとしている。なので、ストレッチなどは私にとっては人生の答えをみつけるより大したことではないと無意識に判断しなかなかやれないのである。人生の答えをみつけるほうが断トツで大事なので常に悶々としている。だが答えはみつからない。だから悶々とする、というような地獄のループとなる。心身ともに疲れ果てる。これは20年やっているわけである。よく死なないものだ。いい加減悶々としていても答えが見つかるわけではないので、さらに心身のダメージを軽減するために悶々としないことをしなければいけないのだ。なんでもいいのだ。悶々としなければ。わかりやすく言えば夢中になれるものでよい。しかし私だけかな、四六時中悶々とする性格の者は夢中になれるものがない。もっと深く分析したら、もしかすると四六時中悶々とする思考パターンがこびりついてしまい、夢中になれる芽を摘むんでしまっているのかもしれない。今まで夢中になれるものを必死に探してきた。それでもみかからない。なので、単純に子供頃やっていたことに注目する。ゲームだろう。もちろん他に夢中になれるものがあればよいが、私がすぐ思いつくのはゲームなのである。多少お金がかかろうと悶々としないことができるのであれば利用したいと思うようになった。少し前は、人生放浪中の身でゲームなんてできるか、と思っていたしやる気も起きなかった。しかし、以前会社員時に被ったストレスが引金となり、意識的に思考をストップさせたいと思ったのだ。こんなことは初めてである。スマホの無料ゲームをやり始めた。悶々としない。気持ちを切り替えることができて大変よい。しかし、飽きてくるのも事実。さらに人間おかしなもので、始めはやりたくないと思っていたのに、さらに面白いものを求めているのである。もう少し据え置きのゲーム機が欲しくなった。それで悶々する時間が減れば良いことである。惰性でやるわけでなければ良いのである。四六時中悶々とし、ノイローゼや鬱みたいになり、心身ともに疲れ果てる地獄のループをし続けるより全然健康的である。それで良いのである。それでは納得できないもう1人の自分がいた。ゲームだけをする人生は嫌だ。もっとキラキラ大人の人生を歩きたいと。でも長いことそれを求めてきたが実現できない自分を受け入れなければいけない。良いではないか。焦らずにいきたい。理想の自分を求める気持ちは十二分にわかる。それとの差があり過ぎて悔しくて悔しくて自分が情けない気持ちも十二分にわかる。しかし、それは叶わないと認めることも大事だと思うのである。最近はそう思えてきた。自然と。負けたというような感覚もありまだ悔しさはもちろん残っている。だが、一生懸命頑張ってきたのである。それだけは誰にも譲れない。精一杯必死にやったのだから、それで駄目ならしょうがないじゃないか。たまにはゲームをして悶々とする気持ちから離れよう。そして、仕事も同様である。理想の思い描くキラキラした仕事姿は諦めよう。ただし、それとは違う、自分なりに一生懸命に働いている私がそう遠くない将来居るということを信じたいのだ。

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