黒よりも暗い -3-
もしかして、ここから離れられるのかもしれない。私はそう思った。洞窟の中をずっと気になってここに留まっているのかもしれない。洞窟の中に何が見えるのかずっと気になってきた。しかし、これを諦めて違う場所へ移ることも可能ではないのか。洞窟の中はまるで引力でも働いているようだ。遠くへは行けない。そう体が反応する。まるで鎖につながれているようだ。体調の良い日だってある。いつもより体は軽い。気分も悪くない。でも見える景色は薄暗い。また洞窟の中を覗く。洞窟は変わらず暗い。たまに光が飛んでいるように感じることもある。鳥が横切るように。小さな光の線。私の瞬きのせいであろうか。ひんやりとする。鼻は冷たい。鼻骨あたりが極端に冷たい。体が冷えているのであろうか。確かに空気が冷えている。しゃがんでみる。土は意外にふかふかだ。若干温かみを感じる。悪くない。薄暗く見える景色は何かの日陰なんだろうか。いつも薄暗い。上を見上げるが木々の葉が重なりよく見えない。よく見ようとも思わない。大して興味がない。それでも見上げてみる。どうやら夜のようだ。葉と葉の間から暗闇が見える。また暗闇である。私は暗闇を見ているのではなく暗闇の中に居るのであろうか。暗闇に包まれているのであろうか。自然と共に。寒さが増す。やはり夜のようだ。息が冷たい。体が冷えてくる。風邪を引くか心配だ。絶望にいながら風邪の心配ができるということは絶望にいないのかもしれないと思う私は余裕があるのであろうかとまた絶望にいないのかもしれないと思うのである。しかしながら、幸せでもない。感じられるはずもない。ただ独り暗闇の中にいるのであるから。声もしない。誰の声も聞こえない。耳を澄ませば何かが聞こえる。人間の声ではない。動物の何かの音。微かに聞こえる。私はそうやって時間を過ごしている。今何時かなんてわからない。時間は過ぎていないのかもしれないし、過ぎているのかもしれない。時だけが過ぎると思うとパニックになりそうになるが、時間はわからない。おかげでパニックにならないで済んでいるのかもしれない。しかし、時が過ぎていると思うとパニックになる。では思わなければよいだけの話。とてもふざけた話だ。私はふざけているのかもしれない。真剣に必死にふざけている。突然、記憶が蜃気楼のように現れる。ここには人がいたようだ。一時は楽しんだようだ。笑顔が見える。私だろう。周囲も笑顔だ。刹那的にも感じる。しかしその時は永遠に終わらない至福の時。何も心配することはない。信じ切っていた。景色も明るかった。輝いていた。ようやく手に入れた幸せ。苦しみがあったからこそ手に入れることができた幸せ。そう思っていた。次第に人の笑顔が消えていく。人が去っていく。景色も暗くなる。何も見えなくなる。真っ暗である。私の笑顔も消えていた。私の声も消えていた。蜃気楼も消える。私はどうやらどこからかやって来たのだ。残ったのが私独りだけなのだろう。記憶も断片しか残っていない。思い出そうとしても思い出せない記憶。思い出しくない記憶なのかもしれない。楽しかった記憶はある。悲しかった記憶もある。胸が張り裂けた記憶もある。短い期間に沢山の感動をしたようだ。それはそれは素晴らしき日々だったのだろう。それが砂の城のように崩れ落ちていく度に心が裂け、ついには感じるのを拒絶したのかもしれない。最後まで見届けるくらいなら止めてしまいえばいい。私は遠い記憶の住人なのかもしれない。ずっと洞窟の中を覗いている。洞窟の中は未来だと思っていた。しかし、それは過去なのだろうか。既に終わった時間を覗こうとしていたのだろうか。既に終わったので暗闇なのであろうか。見れば見るほど黒より暗い闇は既に終わった証なのであろうか。私は希望を探していたのだと勘違いをしていたのであろうか。長い間ここに独りでいるが誰も戻って来ない。元気にしているだろうか。戻って来ないということは元気であると信じたい。人の心配をするほど私に余裕があるようには見えない。恐ろしくお人よしのようだ。だからずっとここに居るのかもしれない。がっかりするほどのお人よし。それでいて頑固。手のつけようがない。食欲はいつもない。腹が減らない。餓死もできないようだ。私は既に死んでいるのであろうか。死人なんだろうか。妖怪なんだろうか。絶望を感じ薄暗く辛い場所であるのに実はこの場所を好んでいるのであろうか。嫌なら逃げ出せばいいではないか。苦しければ逃げ出せばいいではないか。死ぬほど辛いなら逃げ出せばいいではないか。ここより辛い場所があるのかもしれない。無意識に本能で感じているのかもしれない。その危機感度というものを肌で感じているようだ。ここより地獄なんて本当にあるのだろうか。私を人間と言ってよいのであろうか。ここから離れたら人は私を人間と見てくれるのであろうか。そもそも人に出逢えるのであろうか。妖怪になってしまった私を避けるであろう。狸か狐のようになれなければならない。記憶がまた蘇る。どうやらたまにはここから出かけていたようだ。しかし、人は私から遠ざかる。波が引くように遠ざかる。笑顔で接する人もいつの間にか誤魔化して去っていく。私は独り。どこへ行っても独り。いつも独り。戻っても独り。どうやら独りが私の空間なのである。涙を流したこともあったようだ。叫んだこともあったようだ。天を仰いで。神に涙ながらに叫び恨んだこともあったようだ。恥ずかしいとも思わない。とにかく必死に泣いた。叫んだ。記憶になかった記憶がふと蘇る。私は過去人間であったようだ。私は私を妖怪と思うようになった。それはいつからだったのだろう。
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