黒よりも暗い -17-

先ほどから溜息がでる。とても重い溜息。何度も出る。風船が萎んでいくように何度も重い重い溜息を吐く。我慢することができない。便をするのと同じである。止めることができない。体の奥から何かを吐き出している。それは怨念であろう。馬鹿にされた悔しさであろう。辛いものを一つ一つ吐き出している。吐き出す度に辛い感情が伴う。涙が出そうになる。誰も見ていないのであるから泣けばいいではないか。そう思うが泣きたくなかった。泣いても状況が良くならないことは何度も身を持って体験済みである。相反している2人の私がいる。人間が大好きな私。人間が大嫌いな私。動きたい私。動きたくない私。どれも私である。嘘偽りはない。振り幅が広く自身でもよくわからない。私というものが全くわかっていない。それは外からの強制でそうなったのか、本来の私なのかどれが本当の私かわからないが、どれも本当の私なのである。遠くでしゃがみ顔を伏せている子がいる。泣いているようだ。人が来ると笑っている。泣いているのに笑っている。1人になるとまた泣いている。とても寂しがっている。寂しさに気付いてくれる大人はいない。誰も気付いていない。近づくと子は笑うので寂しがっているとは気付かないのであろう。そこまでして子は大人を騙し続けていたようだ。それだけでエネルギーを消費し続けていた。既に慣れている疲労と毎日が新しい出会いの日常がある子供時代ではそれぞれで相殺されていたのだろうか。苦しみもあるが楽しみもあったようだ。今は苦しみだけ。ヒントは新しい出会いなのだろうか。予想ができない感じる暇もない程の新しいものに触れる機会を多くすればこの苦しみだらけの日常を変えていくことができるだろうか。今独りである状況であるが故にアクションを起こすのは私である。私が何もかも判断していかなければいけない。何も興味がないのであれば興味のない未体験のものに触れ合うしかない。とにかく苦しい状況を感じる暇を与えてはいけない。そう思っても体が動かない。頭が先に判断してしまう。つまらないものだと。そんな自分が嫌になる。常に考えるのであれば、思考の中で初体験の探検をすべきなのか。初体験の体験とは。様々な文学に触れようか。私が知らない世界は沢山あろう。片っ端から書物を読んでみようか。損得なんて関係ない。お金も関係ない。ただ苦しみを感じない為に今まで読んだことのない書物を読む。まったく興味のなかった書物がよいだろうか。海外の文化もいいだろう。私の中にある常識ではない世界に触れ合い。それが新しいものへの出逢いとなるだろう。私の中にある常識は慣れ過ぎてしまい私は滞留している。心が動かない。何も感じない。これは死も同然である。生きる感動なくして生きれない。頑張れない。手を動かせない。足を動かせない。私はロボットのように生きれない。どうしても考える。人恋寂しく人間の恰好をして人間に会いに行く。口が滑って自身の苦悩を話す。相手のリアクションを見て気付く。もう遅い。マシンガンの如く話す。鬱々と話す。相手はそんな話聞きたくない。当たり前である。気付いてからでは遅かった。何度も同じ過ちをする。心の通いさえ求めなければ適度に付き合える。それが普通の付き合いである。その付き合いから太く深くしていけばよいのに堪えきれずに吐き出してしまう。それだけいつも独り抱え込み過ぎている。独りでガス抜きができない。誰か話を聞いてほしい。寂しさに負けてしまう。寂しさを我慢して人間を接しなければならない。微かな世間話だけで満足するのだ。私はそれだけしか求めてはいけない。お金を払ってようやく人間と会える。話せる。私はそれが精いっぱいである。それでいいのである。少しの世間話ができればよいのである。それ以上求めてはいけない。久しぶりに人間に会うと去り際は寂しい。会う前に少しドキドキ感がある。その反動かな。時間が経つにつれ寂しさが増す。気を紛らすために飯を食う。自分はそれほど寂しくはないんだと気にしないようにラジオをつけ飯を頬張る。パソコンをつける。テレビをつける。スマホを見る。片手にリモコン。ときにはポテチ。とにかく私の周りを埋め尽くす。寂しさを紛らわす。寂しさを感じると苦しくて死にそうになる。寂しい。寂しい。寂しい。声に出すと涙が流れるから息を出す。深呼吸。寂しさを出さず心の押し込める。外に出しはしない。出したら泣き崩れる。泣き崩れて死んでしまう。今にはじまったわけではない。かれこれもう20年は経つのではないか。よく飽きないものだな。いっそのことこんな人生を終わらせればよいだろう。何をそこまで諦めずに生きている。希望も夢もない。目的も目標もない。大事な人も好きな人もいない。なぜ生きている。生きる理由はない。でも生きている。四六時中一秒一秒が辛い。生きなければならない。生きているから生きなければならない。人生泡沫。いつになれば全てはじけるのだろう。次に人間に会うときは寂しさを埋めようとしてはならない。会う自体寂しさが埋まると思おう。基本私は独りなのである。死ぬときも当然独りである。死ぬ予行練習を毎日していると思えばいい。悔いはあるが思い残すことはない。風のようになりたいだけだ。

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