[備忘録]交通事故7日目(2009.3.15当時の記録)
当時の自分が、当時の純粋さが、若さが、切ない。
ああ、そうだった。と思い返さずにはいられず、、、
口から泡を吹いていた父。救急車に同乗し、運ばれたERでは、呂律もまわらず獣のようなうめき声をあげていた。
朝、元気に出かけた父の変わり果てた姿。
この日から、父の回復祈願で、お酒をやめた。
モーツァルトの母がバターを断った幼い頃読んだ伝記を思い出して。
毎朝、目が覚めれば神社にお参りにいき、お墓にお参りに行き、
それで自分を奮い立たせていた。
このとき駆けつけてくれた親族は、今はもう断絶状態である。
私独りで両親のW介護は限界で支援を求めたところ、彼女はトラブルを起こし、二度と私には近づかなくなった。
事故から17年。全ての裁判が終わるまで8年半。
どこの扉をたたいても空かない時期もあった。
ゆえに個人で刑事告訴をしている。
加害者の虚偽の証言を覆すため、現場の交通状況を記録し、
SNSで呼びかけ、ビラ配りも続けた。
高次脳に詳しい弁護士を必死で探している中、被害者の会の理事にも
会の協力弁護士にも泣くまで怒鳴られたこともある。
彼らの常套手段は、相手が泣くと必ずといっていいほど
「アナタはひとりではないからね」と言うことだ。
正直、打って変わった猫なで声が気持ち悪かった。
被害者の苦しみは、事故だけではない。
事故処理においても、相手方にも味方にも、精神的にすり減るような思いが続くのである。