怒りのコントロールが出来ない相手

それが下手な人と暮らしているととても疲れる。

打つけるべき相手に言えない故に、言っても大丈夫な相手(立場的や甘えだろうか)言うのだろうけど、私はサンドバッグじゃないので破れてボロボロになる事も多い。

結局のところ問題に切り込まないと本人の中で怒りは悪い循環を起こして掃け口にされる場所は大変な事になる。

当人もご愁傷様だけど、自分も理不尽な感情を受け取ると処理しきれなくなるので、ドアが開く音一つも他人が相手にどういう行動するかでさえ怯える。天気の如く変貌するから。

とても息が詰まり疲れる。休まる場所で休まりもしない。家が家で無くなる気がしてきたら赤信号だ。

大好きな料理も憂鬱の種になってくる不思議。

本人は怒りの矛先を向けたい相手に向けられれば、とても落ち着いて別人の様に笑顔に戻る。


疲れるから、耳を塞ぎたい。目を閉じたい。自分は聖母にはなれない。

堪らなくなって近所の内科へ逃げ込む。

なんか点滴してくれたけどそれでも殺気立ってるのが治らないので、筋肉注射もされたけど全然爛々としているので困った。

相手は自分が攻撃されたと思うと途端に夫婦として取り組む問題さえ簡単にレールが外れて、自己保身の暴言や逃げ言になるので、アホらしくなる。

自分が可愛いのはわかるけど、自分の為に他人を傷つけるのは大丈夫で逆は受け入れられないようだ。決して私は自己保身の為に言ってるわけではなくて、はっきり言えば離婚回避のために言ってるのだけど。

幼馴染が担当してる子供には1年生でも3歳児程度の発育しかしてない子もいるらしい。取り分け児相が絡む様な環境の子は親にされた表現しか覚えてないので、自己欲求を同じ様に表現するために周囲からは問題行動と看做されて疎まれる。その育て直しは大変だと言っていた。現に自分の休暇も使い担当を外れた後でも手は離せずに心身の保護にあたっていたそうだ。

彼女は愛情深いし、児童教育をする立場としてとても強い責任感の元全うしていて大好きだ。

私の場合はパートナーなんだが。自分さえ病んでいる中で最善を尽くしていても道のりは遠いとしか思わない。

Que c’est la c’est la..



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