自分の知らない知識と出会ったとき、なぜか私はさみしいと感じる
こんにちは、きゃわです。
先日、相変わらずYoutubeを見てました。
いやぁ、ありがたいですねYoutube。色々見れる。
おかげで最近はほぼ毎日見ております。
余談ですが、私はアメトーークを教養番組の一環と捉えて見ています。
マツコの知らない世界や、ブラタモリ同様、自分の知らないものをアメトーーク○○芸人とくくる形で紹介してくれる。
自分がサザエさんを見たことなくても、サザエさん芸人の方々が「よりぬきサザエさん」で説明してくれる感覚でいます。
最高に判りやすくて助かります。
私は昔から新しい知識を得ることが好きなタイプでした。
良く言えば知識欲旺盛ってやつでしょうか。
大体、卒業文集とかでクラスメイトから紹介される際の文言は「雑学が得意」とかそういう系でした。
先日、Youtubeで「Quizknock」さんの動画を見ていました。
東大王・クイズ王として知られる伊沢拓司さんが編集長として率いる、頭脳集団のチャンネルです。
Quizknockは東大生を始め、皆さん有名大学に在学・卒業されている方々だそうです。
様々な形式のクイズを筆頭に、色々な企画の動画があるので、最近のお気に入りとして見ています。
因みに川上さんとこうちゃんが好きです。
まぁ動画をどれだけ真剣に見たところで、私が答えられるクイズなど30問に1問あるかないかですけどね…。
へへっ、おバカです。知ってる。
そんなQuizknockの数ある企画の1つに、
「東大生ならウォータースライダーでもセンター試験解けるのか?」
というものがありました。
スパリゾートハワイアンズにある高低差&滑走距離日本一のウォータースライダーを滑りきるまでの間に、各教科のセンター試験問題を回答できるかという、凄まじい動画です。
それぞれスタート時にラミネートされた1問を渡され、何のメモも取れないような状況下で解いていきます。
ゴール時にプールサイドで回答し、正解・不正解を告げられるというもの。
この動画を見ていて、ただ漠然と
「頭いいひとってすげぇなー」
と思っていました。IQ2くらいしかない感想です。
へへっ、やっぱりおバカ。知ってた。
私は大学受験をしていません。
我が家はなかなか色々ある家庭で、大学に進学するのはかなり自分が無理をしないと進学できない状況だったので、そもそも大学に進学する選択肢を外していました。
先生方の中には、「あなたは進学するべきよ」と言ってくださった方もいたのですが、借金を背負ってまで学ぶ覚悟は無かったんです。
それ故、私はセンター試験とはなんなのかを全く知りません。
”センター試験”という名称以外、何も知らないのです。AO入試なども同様に、名称以外を知りません。
突然センター試験の話から大きく逸れますが、私は昔から皆がいつ知った・学んだのかわからないままやり過ごしてきてしまった事がいくつもあります。
ちょっと思いつく順に書いてみます。
①水泳のバタフライの泳ぎ方
小学校ではクロールと平泳ぎしかやらなかったのに、中学に上がっていきなりメドレーと言われても。
まずメドレーって何?バタフライってどうやるの??
うちの小学校が田舎だったから知らないだけ??
②レポートの提出
○○に関するレポートを提出しなさいって言われても、何をどうすればいいのか判らない。
皆はどこでレポートってものに触れたの?
何かルールがあるの?私は何をしたらいいの??
レジュメって何? うちの小学校が田舎だか(略)
③メイクのあれこれ
めっちゃ種類あるけど、どこで何買えばいいの?
ファンデーション買ったらもうお金なくない?
マスカラ?いや、そもそも髪同様にまつげもクセつかないんだけど。逆さまつげだし。
皆なんで時間かかるの??私の工程が少なすぎるの?
どうやったら顔面の印象そんなに変わるの?魔法??
④テスト勉強
テスト期間だから部活無しって、なんで??
テストって授業内容から出てくるわけでしょ?
教科書はいくら読んでも同じなんだけど、あと何見たらいいの? 皆のは開くたびに文章変わってるの??
計算、文章、応用。他人と答え合わせすればいいの?
1人だと確証持てなくない?皆勉強って何してるの?
学校+塾に行かないと何も出来ないなら、塾に行ってない私は1人でも練習するから体育館開けてよ(バドミントン部でした)
うーん。なんとなく予想できていましたが、やっぱり大したもんは出てこないですね。
どれもこれもショボくてすいません。
でもどれもこれも自分は知らないのに、いつの間にか皆は当たり前のように知ってて、そこに対して何の疑問も抱かずやっている(ように見える)
それが不思議で、そう感じるシチュエーションに出会うと頭がグラグラするほど「なんでなんだぜ…?」とずっと考えていました。
そんなんだからいつまで経ってもちゃんとしたレポートは書けないんです。
因みに未だに書けません。書いてないけど。
今の時代調べれば何でも出てきますし、そもそも調べるという行為のハードル・難易度は劇的に下がっています。
図書館で参考文献を片っ端から読み漁らなくても、古い新聞を集めたりしなくても、スマホひとつあればほぼ何でも知ることが出来る。
でも恐らく当時の私がスマホを持っていたとしても、
「バタフライ やり方」「レポート 書き方 ルール」
などは検索しなかったと思います。
上手い言い方が出来ないのですが、当時の私が知りたかったのは各疑問の結論部分ではなかったんです。
だからその場で先生にも聞かなかった。
私はバタフライの泳ぎ方が知りたかったんじゃない。
皆がバタフライの泳ぎ方を知る機会に、自分が居合わせなかったことが悔しい、さみしい。
私は「知らない」ということに対し、「さみしい」と感じる瞬間があります。
好きな人の家族の思い出を聞いてる時に感じたりもしますし、Quizknockの方々が知識を披露されてる時にふいに感じたりすることもあります。
それは「何で私はこの家族の中に居ないんだろう」とか思うヤベェ奴っぽい感情からだったり、「なんで私はふくらPが話してる本を読んでないんだろう…」とかいう、知らんがなで終わる感情からだったり、様々です。
知らないという事を、悔しいと思う感覚は何となく理解できるのですが、なぜさみしいと感じるのか。
それが何故なのかはよく判らないのですが、そう感じる瞬間が間違いなくあるのです。
今後私が大学を受験することはないと思いますし、センター試験を調べることもないと思います。
バタフライの泳ぎ方を調べたところで、きっと私は調べた内容を「ふーん」以上に捉えることが出来ず、恐らくすぐに忘れてしまうでしょう。
もちろん大学受験含め、未来の事ですから判りません。
Quizknockに憧れるあまり、突如東大を目指すとか言い出すかもしれません。
その時は面白そうなのでnoteで宣言するようにしますね!
私の知識欲はきっと尽きない。
段々とその規模は小さくなって行くかもしれないけれど。
そしてまた新しい知識と出会ったとき、ふいに
「さみしい」と思うんだと思います。