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桔梗の花が香るとき…

何時どうなるか分からない人生。
時に花のように儚くもあり…
時に花言葉のように意味を持つ。
登場人物である内藤美咲を中心に動く人々の想い…
そして償いと許し…
そんな様々な人の心模様を書いてみました。
PhotoAC

            小麦

[美咲]



新盆を迎えた7月。
よく晴れた日曜日の穏やかな午後。


『あなた、ちょっと買い物行ってくるから美由紀のことお願いね』

内藤美咲は買い物に行くため、夫の由紀夫に1歳になったばかりの美由紀の世話を頼んだ。

『自転車で行くのか?ドラッグストアなら車で乗せてってやるのに…』

『大丈夫よ。美由紀も寝てるし起こすの可哀想だから。すぐ帰ってくるね。今夜何食べたい?』

『そうだなー、焼き魚がいいな』

『うん、分かった。じゃあ行ってくるね』

『あぁ、気を付けてな』

由紀夫は部屋の窓から、美咲が自転車で家を出ていくのを見ていた。

それから一時間後、美由紀が目を覚まし愚図り始めた。

そして、ほぼ同時に由紀夫の携帯が鳴った。

『おいおい、こんなときに電話かよ…』

由紀夫は、美由紀を抱っこしてあやしながら携帯のディスプレイを見ると、知らない番号が表示されていた。

『ん?だれだ?知らない番号だな…』

知らない番号なので由紀夫は電話に出なかった。

それから20分後…

愚図っていた美由紀が落ち着いた頃、家の電話が鳴った。

再び美由紀が泣き出した。

由紀夫は電話に出ることなく美由紀をあやしていた。

電話が鳴り終わった後、留守番電話に吹き込まれるメッセージが聞こえてきた。

美由紀をあやしながら、何となくメッセージを聞いていた。

『え?警察?事故?』

由紀夫は泣き止まない美由紀をあやしながら、警察からの留守番電話のメッセージを確認するため再生した。

事故の件で至急伺いたい事があるから、メッセージを確認次第電話をしてほしい、との事だった。

由紀夫の頭の中で、妻の美咲の事が一番に浮かんだ。

急いで警察へ折り返しの電話をかける由紀夫。

『もしもし、○○警察の塩谷様の携帯でよろしいですか?』

『はい、○○警察の塩谷です。内藤様ですね?』

『はい、内藤です。事故の件とは一体どういうことでしょうか?まさか妻に何かあった訳じゃないですよね?』

『すみませんが、確認させて頂きたいことがありまして…』

『なんでしょう!何でも答えます!妻の事じゃないですよね?事故って妻の事じゃないですよね?』

由紀夫は事故と妻が関係ないことを早く知りたかった。

『すみません。では確認させていただきます。内藤美咲さんはご存じですか?』

『…私の…妻です』

警察から妻の美咲の名前を聞いて激しく動揺した由紀夫。

『内藤美咲さんとのご関係はご夫婦ということですね?』

『はい、美咲は私の妻です!妻が交通事故にあったのですか!?』

由紀夫は信じられない思いで塩谷に聞き返した。

『はい、交通事故で○○病院に運ばれました。すぐにでも病院に来られますか?』

『あの、どのくらいの怪我なのですか?』

『怪我をしているとしか私からは言えません。とにかくできるだけ早く病院に向かっていただけますか?』

『わかりました。すぐに向かいます』

由紀夫は気が気ではなかった。

妻の美咲がついさっき家を出ていくところを見送ったばかりだ。

由紀夫には信じがたい事だった。

娘の美由紀はいつの間にか泣き止んでいて、静かな寝息をたてていた。

自分の支度を終えて、美由紀のオムツが汚れていないか確かめたところ汚れてはいなかった。

泣いてたのはオムツの汚れだと思っていた由紀夫…。

手間が省けたと思い、車のキーを手に取り娘を抱いて急いで家を出た。

車のチャイルドシートに美由紀を乗せたとき、目を覚ました美由紀。

てっきり泣くものと思っていた由紀夫の予想に反して、おとなしいままだった。

美由紀が泣かないことも由紀夫にとっては都合のよいことだった。

美由紀をチャイルドシートのベルトでしっかり締めて、由紀夫は運転席に乗り込み車を走らせ病院へと向かった。

美由紀をチラチラと、ルームミラーで見ながら運転する由紀夫。

美由紀は、一人で手足をパタパタさせて機嫌が良さそうだった。

美咲はどの程度の怪我なんだろう…と考える由紀夫の頭の中で様々な思いが過っていった。

程なくして病院に着いた由紀夫は、駐車場に車を止めて美由紀をチャイルドシートから降ろして抱き上げたその時、車内から美咲のシャンプーの香りが由紀夫の鼻を掠めた。

『ん?美咲の髪の匂いだな…』

由紀夫は美咲の髪の香りがとても好きだった。

付き合い初めてから変わらない美咲の髪の香りは、結婚後も変わらないでいた。

由紀夫が髪の香りをやたらと誉めるので、美咲も夫である由紀夫が好きなら、とシャンプーを変えずにいた。

そのシャンプーの香りが、美由紀を車から降ろした時に由紀夫の鼻先を掠めたのだった。

不思議に思った由紀夫だが、いつも美由紀のチャイルドシートの横には美咲が座っていたので、シャンプーの香りがしてもおかしくないか…、そう思いながら美由紀を抱き上げ病院内の受付で名前を名乗り、事故で運ばれた内藤美咲の夫だと告げると、集中治療室へ案内された。

『え?集中治療室?妻は大怪我してるんですか?』

受付の女性は、『はい、今は治療中です。こちらです…』と言って由紀夫の先を歩き案内するだけだった。

大きな病院内は、日曜日の午後という事もあり、入院患者の面会者なのか家族連れが多く、院内の一階にあるコンビニを往き来していた。

由紀夫は受付の女性の後についてエレベーターに乗り二階で降りた。

エレベーターの斜向かいにナースステーションがあり、受付の女性がナースステーションに行き『内藤様のご家族が見えました』と告げた。

ナースステーションの中にいた女性看護士が出てきて、美由紀の顔を見て唇を噛み締める仕草を見せた。

『あの、妻は…美咲は大丈夫なんですよね?どのくらいの怪我なのですか?』

『あの…内藤さん。私共、奥様の命を何とか救おうとして出来る限りの治療を施したのですが…』

女性看護士は美由紀の顔を見て言葉を濁らせた。

『ちょ、ちょっと待ってください!治療したから無事なんですよね?妻は大丈夫なんですよね?』

『申し訳ありません。奥様の命を救おうと精一杯努力したのですが…つい先程、息を引き取りました』

看護士はそう言って頭を下げた。

『そんな…そんなこと…』

由紀夫は美由紀を抱いたまま、側にあった椅子に座り込んで下を向いた。

『あの…、内藤さん…。奥様にお逢いになりますか?』

看護士が由紀夫に声をかけた。

『はい…逢わせてください…』

『分かりました。こちらです…どうぞ…』

看護士はナースステーションの隣にある集中治療室のドアを開けて由紀夫を部屋に入るよう丁寧に促した。

治療に当たっていた医師が美咲の酸素マスクを外したところだった。

美咲の顔に、痛々しい擦り傷がある以外はいつもの眠っている美咲の顔だった。

『内藤さんのご家族の方ですね?』

医師が由紀夫に話しかけた。

『はい…』

『ご主人ですね。こんな小さなお子さんがいたのですか…』

『……はい…』

由紀夫は、白いシーツをかけられて寝ている美咲から目を離さず、医師の言葉に返事をするのがやっとだった。

『奥様も頑張っていたのですが…奥様の頑張りに応えられない結果になってしまい申し訳ありません…』

医師は由紀夫に深々と頭を下げた。

『…頭を上げてください、先生…。先生方は精一杯出来ることをしてくれたと信じています。ありがとうございました…子供に母親の顔を見せてあげていいですか?』

『どうぞ…』

由紀夫は美由紀を抱き直して美咲の顔の側に寄った。

数時間前には笑顔を見せていた美咲。

その時の美咲の笑顔だけが由紀夫の頭の中で渦を巻いていた。

もう美咲は笑うことも、泣くことも怒ることも出来なくなったんだと改めて思うと涙が止めどなく溢れてきた。

美由紀は目の前で寝ている母親の顔を見ることなく全然別の方向へ手を伸ばし愚図り始めた。

その時、看護士が部屋に入ってきて警察が来たことを由紀夫に告げた。


続く…

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