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(3-1)高校を卒業して【 45歳の自叙伝 2016 】

【 45歳の自叙伝 】と題しておりますが「 自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅 」が本来のタイトルです。この自叙伝は下記マガジンにまとめています。あわせてお読み頂けましたら幸いです。and profile も…

浪人生のアルバイト

 大学入試に失敗した私は一浪させてもらい新宿の予備校に通い始めた。そして家計の助け(…と言う表向きの理由であったが、ほとんど家に生活費は入れなかったと思う)になればと、新宿にアルバイト先を見つけた。

 そのアルバイト先は新宿駅の地下街にあったとても忙しい喫茶店だった。勤務初日はあまりの忙しさに圧倒され、矢継ぎ早に出される指示にただ従うだけだった。不意に誰かに「三日持ちこたえたら、お前は大丈夫!」と言われたのが耳に残り「とにかく三日…」と思い、どうにか仕事を続けた。そして、右も左も分からないままヘロヘロになった三日目が終わったとき「お前よくやるね、大したもんだよ!」と何人にも褒められたのだった。会って間もない知らない大人達に認められ、思わず嬉しくなり私は安堵した。

 これを期に、私は他の社員やアルバイト連中とも仲良くなれた。高校を卒業したばかりで世間との繋がりを無くし、一人ぼっちの感覚にあった私は、新たな居場所を見つけられ嬉しかった。そして勉強そっちのけで仕事にのめり込み、次第に慣れていくにつれ頼りにされる喜びも知ると、ますますアルバイトにはまって行った。

 仕事先のスタッフの年齢層は思いのほか幅広かった。厨房に入らされたときに出会った40歳前後のチーフは厳しかったが、よく可愛がってくれた。もともとホテルの厨房にいたと言うそのチーフは、容赦なくフランス語で指示を出してきた。初め意味の分からない言葉にとても戸惑ったが、やがてその指示が理解出来てくると、チーフは作業的なことのみならず、仕事についての考え方も教えてくれるようになった。

 特に印象的だったのは「信用されることが大事なんだ!」というフレーズだった。そして「信用されるには時間が掛かるんだ、失うのは一瞬なんだぞ!分かるか!」と常々口にしてくれていた。


◇  ◇  ◇

読書のきっかけ

 そんなアルバイト生活が続く中、たまたま家に転がっていた「十八史略の人物学/伊藤 肇」と言う本に目が留まった。内容は主に儒教などの諸子百家や仏教を中心にした東洋思想から見る、歴史上実在したとされる人物たちのダンディズムと、その実例を紹介した文庫本のビジネス書だった。歴史好きだった私としては、その本は大変興味深く読み進めることができた。

 その後、この伊藤肇シリーズ「現代の帝王学」と「帝王学ノート」とを読み進めながら、安岡正篤先生の陽明学や、孫子の兵法、「君主論」のマキャベリなどの知識を得ていった。私の実質的な読書歴はこの伊藤肇シリーズがスタートのように思える。


 冒頭の「木鶏の教訓」とあわせて、今後「十八史略の人物学(著者:伊藤 肇」をはじめとする幾つかの書籍や、気になった文章の引用をお許し頂きたい。いずれもその時どきに私を導いてくれた思い出深い内容である。ときに頭でっかちになり、また稲妻の如く響き、心の地平に広がりと深さを与えてくれた大切な文言である。


◇  ◇  ◇

己ヲ修メテ以テ人ヲ安ンズ

【 十八史略の人物学から 抜粋② 】

 「上に立つ者は魅力がなくてはならない」と書いたが、その魅力は、どうしたらつけることができるのか。それは「修己治人」であり、「修身斉家治国平天下」である。例のやんちゃな弟子の子路が「君子の資格」について孔子に質問している。

子路、君子ヲ問ウ
子曰ク「 己ヲ修ムルニ敬(つつ)シミテ以テセヨ 」
自己の道徳的完成こそが、君子たる第一の資格である

だが、子路は子路らしく、無遠慮に反問している。
「 斯クノ如キノミカ 」〈 それだけのことですか 〉

すると孔子が答えた。
「 己ヲ修メテ以テ人ヲ安ンズ 」

 「人」とは、自分に近い範囲の人間、つまり家族隣人である。〈 修養して徳を身につけ、周囲に信頼されることである 〉。ところが子路は満足しない。「 斯クノ如キノミカ 」としつこく、くいさがる。これに対して、孔子は初めて峻烈な表現をつかう。

「 己ヲ修メテ以テ百姓ヲ安ンズルハ、堯瞬スラ猶(なお)、諾(これ)ヲ病(なや)ミシモノヲ 」

 「百姓」とは農民の意味ではない。「すべての人民」の意である。「すべての人民を安定させよ」。それが君主の、つまり、すぐれた人間の究極の任務である。そして「それは堯瞬のようなすぐれた為政者でも困難だったのだ」と付言している。

出典:十八史略の人物学/伊藤 肇/PHP文庫


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学問的陶治なき人間

【 十八史略の人物学から 抜粋③ 】

 孔子は学問的な鍛錬を欠く人間の必ず陥る偏向について、子路を戒めた。

仁ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ愚
 学問によって鍛錬されたこのとのない愛情、それは愚者の愛情である

知ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ蕩
 断片的な知識だけを身につけて、腹にずんとおさまった哲学をもたぬと、それは単なるものしりにすぎない

信ヲ好ンデ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ賊
 学問を伴わぬ信義、それはヤクザの仁義にすぎない

直ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ絞
 単純率直が好きというだけで、いろいろな場合の適応を学ばぬと「其ノ弊ハ絞 」。つまり、偏狭な正義感によって、人に自説を押しつけることになる

勇ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ乱
 暴虎馮河(ぼうこひょうが)の勇は秩序を乱すだけのことである

剛ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、其ノ弊ハ狂
 戦前、戦中の日本の軍を省みれば、思い半ばにすぐるものがあろう。

出典:十八史略の人物学/伊藤 肇/PHP文庫

 これは、六言六蔽(りくげんりくへい)と言われます。鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生さんの note に、六言六蔽と孔子の記述がございましたので紹介させて頂きます。 2023.01.15 追記  


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浅はかな夢

 誰でも若い頃のある時期、将来の可能性が青天井であって欲しい…と思える時があっても良いものだと思う。しかし、当時は私は受験生であって、何の根拠も思慮も無く、自分の可能性への期待だけが膨らんでいた。

 そして、伊藤肇シリーズを読んでからというもの、その中で繰り広げられる偉人たちの生き方に刺激を受け、大胆にも政治家になりたいと思ったりした。若さとはそう言うもので、次に現実を見て、政治家は難しいかな…と思えば、ならば政治家の秘書になろうと考え、浪人生であるにも関わらず秘書検定の勉強にも唾をつけたりもした。

 当時、子供の数は多く、大学入試も結構大変で、どこか浪人になったとしても半ば致し方なし…と言った雰囲気も、それなりにあったように記憶している。またバブルも終わりの頃であり、まだ景気も良く、社員として束縛されるより、フリーターで自由に働き夢を追いかけた人も、ずっと多く居たように思う。

 同様に私も身の程を知らず、ただコロコロと変わる浅はかな夢を拠りどころに生きているようでもあり、その実際は、勉強不足を直視できない弱さと、その逃げ場がそれだったのだ。しかし、将来の役に立つだろうと、移動時間などに勉強の息抜きを理由に読書は続けていた。

 政治家秘書についても「政治家秘書残酷物語」という本を読んでは、ほとほと馬鹿らしく思えてしまい、あまり魅力を感じなくなった。すると今度は秘書検定の勉強を覗いた経緯から、ならば、社長にでもなってやろう! …などと思うのだった。こうして自分としてはもっともらしい、その実、フラフラとした浅はかな夢は、受験勉強の合間にあって迷走を続け、ときに勉強の妨げにもなっていた。


◇  ◇  ◇

二度目の受験

 いつしか冬になり、二度目の受験が差し迫ってきた。それでもあろうことか、年末ギリギリまで仕事をしてしまっていた。アルバイト仲間である年配の女性から「あんた、まずいんじゃない?勉強しなよ!」と叱られたりしたが、まだどこか役に立っていると実感できる仕事の心地良さが勉強を上回っていた。

 今思えば、あれはやはり受験からの逃避であって、その逃避にも気付かないふりをしていたのだと思う。仕事が忙しいなんて何の意味も無い、本末転倒の単なる言い訳に過ぎなかった。実際は受験に失敗するのではないかと怖くてたまらなかったのである。こう言った状況にあっても、不思議と両親からは勉強を強要する言葉などは殆ど無かった。ここにも私は甘えてしまっていた。

 さて、いよいよ本試験を受ける段になり、両親には10校程度受験させてもらった。しかしその結果はと言うと、最後に受験した大学に始めて合格するまで落ち続ける…という、まったくもって惨憺たるものだった。そしてともかくも合格した大学への進学は決まった。結局は好きなアルバイトをしつつも進学は叶ったのだが、当然、将来は皆目見当もつかないままだった。

 また、幸か不幸か大学への通学経路に新宿があった。私には新宿のアルバイトを続けるには好都合だった。その三月末には、大学とアルバイトを両立させるべく笹塚で一人暮らしも始めていた。


(3-1)高校を卒業して【 45歳の自叙伝 2016 】
終わり


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この記事につきまして

 45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。

 記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。

タイトル画像は kakamoshima さんより拝借しました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。


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