(4-3)密教への関心【 45歳の自叙伝 2016 】
高野山参詣とヒーリング
話は変わるが、母はヨガと瞑想の講師であり、坊主でもあった。サトルの会でも希望者がいれば、母を先達として幾度か高野山に参詣していた。特に高野山帰りの人たちはパワーアップしたとか、浄化されたなどと、その体験談を他の会員にも話して大いに盛り上がっていた。
父は高野山参詣と言うアドバンテージをヒーリングに存分に活かそうとしていた。その時の父の言葉は「高野山行って、またレベルアップしている(父自身のこと)、バンバン通るよ、なっ!」といった具合だった。それは一緒に参詣出来なかった会員に対しては、サトルの会から取り残されるような雰囲気を与えているように思えた。
私はと言うと、会員を連れた高野山への参詣を重ねる毎に、やはり弘法大師と真言密教に惹かれていった。そして自分なりではあったが、どうにかしてその理解を深めるべく、読経や真言を唱え、関連書物を読み漁り、また直接寺院を訪ね、何としてもそこに近づきたいと思うようになっていた。
こう言った密教への関心は、弘法大師・空海の著作の数々(「三教指帰」「弁顕密二教論」「般若心経秘鍵」「秘密曼荼羅十住心論」「秘蔵宝鑰」など)に触れるに至り、真言密教成立の歴史と仏教における密教の立ち位置の理解に繋がっていった。自ずと仏教の全体像を掴んだようにも感じていたが、当然ながら、仏教教義の根本にある中観思想、唯識思想、アビダルマ等にも関心は及んでいった。
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理趣経の勉強会
いつしか岡松くんの勉強会も終えたころ、新井さんから足湯とヒーリングを一緒にやりたいと声を掛けられた。この時、誘われたのは内野さんと私だった。そして、ともかくも足湯とヒーリングは始まったのだが、正直なところ同じ時間を費やすなら、思い切って「理趣経」の勉強会をしたいな…と言う思いが湧いていた。
気のおける内輪だけなら楽しく理解を深められるような気がして、新井さんには申し訳なかったが、ヒーリング後のお茶の際、ついその思いを打ち明けてみた。すると、新井さんは二つ返事で「義明さんのやりたいようにやって欲しい、私も理趣経を知りたかったから」と快諾してくれた。
父はどこからかこの話を聞きつけ、新井さんに「般若心経も理解出来ていない奴が、理趣経なんてまだ早い、分かるわけがない!」と話したらしかった。まぁ、そうかもしれないが、むしろその言葉は私たちの反骨精神に火を着けた。その後、理趣経の勉強会は二年半、月二回のペースで一冊の本を読み終えるまで続いた。
この一冊とは「理趣経/松長有慶」と言う文庫本で、初心者が読み進めるには分かりやすく、うってつけだった。ただ、この本だけで理趣経の理解を進めるのは難しく、実際にはあと数冊用意しなければ歯が立たなかった。他にも関係する資料を幾つも用意したりして、結果、思った以上に充実した勉強会となった。集まれば、それぞれの身の上話に始まり、本の読み合わせと質疑、読経、そして簡単な瞑想を行った。
思えば、後々こうした日々は私自身の土台ともなり、理趣経も原典そのものでは無かったが、自分のためのみならず、人のために一冊を精読したと言う経験は本当に貴重であった。そして、人類が繋ぎ洗練させてきた教えには、一人のヒーロー(ある意味、父のこと)が築き上げたものとは格段に違う厚みがあった。これは母の言葉であったが、まったく同感であった。
父も少なからず理趣経の知識はあったようだが、その理趣経にある十七清浄句を父自身にあてはめ「理趣経にも書いてあるだろう(男女はこれで良いのだ)…」と、その深遠な意味合いではなく、文言のままに話したときは何とも危なっかしく思えた。さらに驚いたのは「(ヒーリングを極めれば)いずれ空海を超えられるかもな!」と言い放ったことだった。正直、この図々しさには呆れてしまった。
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理趣経/松長有慶
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真言密教の基本/三井英光
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【 過去の投稿 】
三井英光師の言葉(上述)として「真言密教の基本」冒頭部分からの抜粋です。一般人の私には少々難しい内容でしたが、どこか胸躍るような高揚感をもって読み耽った御本です。密教における「神秘の実在」を掴むこと。この身このままで成仏できるという教えと現世利益。この世に生を受けた自分という存在の不可思議を解き明かす世界がここにはあります。真の自分という大実在を捉えた時、無限の喜びを得ることが出来るということ。これが真言密教の要髄です。
以前、私は仏様に助けて頂いたと本当に実感した事(内容は秘す)が過去幾度とございます。元来「信じる(自己を見失い、全くの他力によって)」と言う行為は好きではないのですが、その体験を通じ、事実として認識してしまった現象は否定したり、受け入れずに居ることはやはり出来ないものです。ですからこの場合の「信じる」の意味合いは「絶対なる信頼」と言う次元にシフトしたものだと思うのです。
そして仏様の存在を実在として実感すればするほど自らの襟を正し、自利利他の精神を忘れず、「生かされている」という真摯な気持ちで「どんな苦境も自らの糧として生きていく事が出来る」とそう思っております。そして、各々がその置かれた場所での成すべき事(「伝えていく」という)を成すという行為がいかに尊いものかと感じずには居れないのです。
平成十九年七月二日 投稿
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理趣経と私【 過去の投稿 】
「理趣経と私」そして「なぜ理趣経に関心を持ったか?」と言うことですが、私の場合そもそもが親の影響と申しましょうか、私自身が和歌山県人のクウォーターということもあり、ある時期、誰もが一度はそうしたくなるであろう自己のアイデンティティを求め紀州へ一人で出掛け、初めて高野山に上ったのが発端と思います。
その後、幾度かご縁ある方々を高野山にお連れする機会を頂いたことが、私自身が真言宗に興味を持ち始めた理由であるのは言うまでもありません。時の先達から様々お話を伺う中、日々読誦されている理趣経があられもなく人間欲求(しかも本能的欲求!までも…)を肯定していることを知った時は正直かなりの衝撃でした。
当時、奥の院や宿坊での朝の勤行の雰囲気が忘れられなかった私は、帰ってから理趣経のCDと真言宗常用経典を買い求め見よう見まね(…と言いますか聴きよう聴きまね?)で読経を始めました。全くのド素人が雰囲気に酔って唱えるナンチャッテな読経でしたが、本人にとっては唱え終えると非常に清々しく満ち足りた感覚を覚えたものでした。そして当然の如く何冊かの理趣経解釈本も購入し読み始めたのでしたが…。
実は関連する書籍を読み進めると僧でない者が理趣経を唱えたり、理解し観想すること、所謂その「行」を行うことは「越三昧耶(おつさんまや・所謂ご法度!)」であり、法が薄められ大きな間違いとなるとの事から一般人には不可である事を知りました。ならば「…何故、書籍として解釈本が販売され「声明」と称して理趣経のCDが販売されているのか?!」などとは思わず素直に自分を責めたものでした(失笑)
密教は師匠と弟子との間で受け継がれるものと聞いています。高野山で結縁灌頂(金剛界曼荼羅・胎蔵曼荼羅)とお受戒(※結縁灌頂中にも行われていましたが)を済ませただけですが、現在は私の中での師匠と思しき方のご指導により十善の御教えを出来るだけ(!)守り、少しずつ理解を深めている最中でございます。
「十七清浄句」につきましては様々に意訳や注釈もございますが、それらは総て「菩薩の位」との記述に在るとおりで、我々「人間の位」の話ではないと私は思っています。ただ、本来それぞれが持つ仏性に付帯する事項として、またその方便として理趣経の冒頭に「十七清浄句」があるのであり、間違っていけないのは「官能に感応」する事だと思います。
密教では「三密加持」と言い『身口意(しんくい)』による三密行を行い、仏の「加」と行者の「持」が合一した状態が重要とされているらしく、それこそ「行」をなさず思い込みで理解することの危うさが常に背後に付き纏っているのがこの「理趣経」です。
私もランナーズハイは経験したことはございませんが(例えとしてのですが)ランナーズハイに「意密」は含まれていないと思います。またお唱えすることで仏の波動を自らの声で発した瞬間の「口密」のそれには仏との合一を強烈に後押しする物が実際にあります。そして秘して印契を組む「身密」もその組み方がなされる時にも仏の観想を手助けする物と聞いております(…と申しますのは、私自身は印契の伝授を受けておりませんので)。
要するに「経」の文言だけによる理解には限界があるということ、しかも少々の「行」ではその境地は恐らく辿り着けるものではなく、まして「行」なされない感覚(特に肉体レベルに囚われ、間違った思い込みに走ること)だけの解釈は大変危険極まりないということは常々承知しておく必要があると私は思います。
お大師様の「三密加持すれば速疾に顕る(即身成仏儀)」にもあります通り、生きながらにして成仏するという真言密教の真髄である『即身成仏』。その為に必要不可欠な『三密加持』、及び日々読誦される「理趣経」を初めとする様々な仏典や陀羅尼・真言。最終的には仏との合一(入我我入)を目指す訳ですが、その過程において自らが「金剛薩埵」であり「大日如来」であるという事実の観得の一過程として「十七清浄句」があるに過ぎず(「五秘密曼荼羅」等から)、所謂「十七清浄句」は方便であると私は思うのです。この自我→大日如来への階梯には「倶舎」「唯識」「空観」をも当然必要とし、しかもそれは「三密加持」という行の中にある…。
この仏との合一による神秘の実在をシッカリと掴むには「十七清浄句」を入口とし自らが「金剛薩埵」であると言うこと、また「百字の偈」を通じ最終的には自らが「大日如来」であるよ(も~ホントくどいですが)…と道筋があると思われる『金剛頂経第六会・大楽金剛不空真実三昧耶経(理趣経)』が結果、密教には最適とされたのではないか?…と私は越三昧耶の分際で推測するのです。
平成十九年七月二日 投稿
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理趣経【 第一段/十七清浄句 】
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十七清浄句について【 過去の投稿 】
「十七清浄句(煩悩即菩提)」を獲得する上で必要なことは、分別(精査して理解して)により様々知ることも大事なのでしょうが、結局は加持による合一(仮に一体感とでもしておきましょうか)が重要なのだと考えます。このことを前提に自分が思うところも述べさせて頂きます。
さて、前文と矛盾をするようですが、それでも意密という意味で頭で知る(理解する)ことが大事なことであることに違いはないとも思います。それは華厳経の世界や大日経の「大悲胎蔵曼荼羅」、金剛頂経の「金剛界曼荼羅」、般若心経の空観、特に金剛薩埵の「五秘密尊(曼荼羅)」…など理趣経成立までの様々な歴史及び仏教思想を知ることから始まるのでしょう。…だからと言って自分自身が上記経典や曼荼羅を理解しているわけではありませんが、【○○○○さん】の投稿『> 経典だけの理解によって、理趣経の文言を解すことは不可能であると思える。』にもございます通り、改めて理趣経のみで理解を深める事の不可能さに今更ながら気付いたものであります。さらに三密(身密・口密・意密)加持を行った上での即身成仏となると全くもって一般人には到底無理な所業にすら思えてくるのです。
ただ、なんとなくですが「十七清浄句(煩悩即菩提)」に関しての私の理解(とりあえず、こんな感じかな…と)は、総てが大日如来の顕現であることから、この世界に存在する物に不浄な物はないとする考えがひとつと、無自覚にもその大日如来の一部でありながら、幸か不幸か自由意志を持たされ生きる自分(たち)に、菩薩としての自覚を促す方便なのではないか?…と言うことがもうひとつです。
しかし、その文言のままではこの世界は無法地帯になりかねません。やはりきちんと理解(この期に及んでまだ「理解」…とな)するには弘法大師が著した「秘密曼荼羅十住心論」なり「弁顕密二経論」、「三教指帰」等々に触れる必要性が出てくると思います。
私自身は理趣経の大事な部分は第十七段であって、特にその後半「百字の偈」が重要だと思っています(トピック違いと思いますが)。「金剛薩埵」の存在意義はこの部分にあると思いますし、翻って自分(たち)自身がその「金剛薩埵」であることに(様々な経典や行を通じて)気付く必要があると思うのです。
平成十九年四月一日 投稿
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理趣経と金剛薩埵(こんごうさった)
理趣経は大楽金剛不空真実三昧耶経と呼ばれ、大楽金剛をまた大楽不空金剛ともいい、金剛薩埵がその異名となる。要するに理趣経は金剛薩埵であり、金剛薩埵の自内証(自らの内に体得された真実)の法門を説くかたちを取っている。
その内証に現れる四煩悩(欲・触・愛・慢)が、四智(大円鏡智=ありのままを映す智慧・平等性智=総てを平等に映す智慧・妙観察智=違いを察知する智慧・成所作智=総てのものを育む働き)となる様に、密教の重要な特性のひとつである「煩悩即菩提」を垣間見ることが出来る。
これら、煩悩を菩提(覚り)とする智慧に衆生救済をみて、菩薩として生きる自覚を促す教えが「理趣経」であり、その象徴が「金剛薩埵」なのである。
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理趣経【 第十七段/百字の偈 】
続きは以下の記事です。
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この自叙伝、最初の記事は…
この記事につきまして
45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。
記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。