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(1-2)木鶏の教訓【 45歳の自叙伝 2016 】

【 45歳の自叙伝 】と題しておりますが「 自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅 」が本来のタイトルです。この自叙伝は下記マガジンにまとめています。あわせてお読み頂けましたら幸いです。and profile も…

木鶏の教訓

木鶏の教訓【 十八史略の人物学から 抜粋① 】

 紀省子という闘鶏を育てる名人が、王様がもっていた一羽のすぐれた鶏を鍛えていた。王様というのは、もともとせっかちである。十日もたたぬうちに「もうぽつぽつ蹴合わせてもいいのではないか」とせつくと、紀省子は「まだいけません。ちょうど空元気の最中です」と断った。

 そう言われては「無理に」とも言えぬので、やむなくすっこんだ王様は、それから十日もたつと、もうじりじりしてきて「どうじゃ」と催促する。だが、紀省子は「相手をみると、すぐ興奮するのでいけません」ととりつくしまもない。

 それから十日待たされた王様は「いくら何でももうええじゃろう」と紀省子の尻をたたくと「まだ、いけません。かなり自信はできてきたのですが、どうも、相手に対して、何がこやつ!と嵩(かさ)にかかるところがあります」

 不精不精あきらめた王様に、それから十日たって、やっと名人はオーケーを与えた。「もうぽつぽつ、よろしいでしょう。相手が挑戦してきても、いっこうに平気で、ちょっとみると、木彫りの鶏のごとく、その徳が完成しています。これからはどんな敵が現われても、戦う前にしっぽをまいて退却することでしょう」。蹴合わせてみたら果たしてその通りだった。

 望之似木鶏(之ヲ望ムニ木鶏の似シ)の由来だが、この寓話には四つの教訓が含まれている。

第一に「競わず
むやみに余計な競争心をかりたてないこと

第二に「てらわず
自分を自分以上に見せないこと

第三に「瞳を動かさず
絶えずあたりを気にして、キョロキョロ見回さないこと

第四に「静かなること木鶏の如し
木彫りの鶏のごとく静かに自己を見つめること

出典:「十八史略の人物学/伊藤 肇」から
「荘子-外篇[達生][9]」より

 19歳の私は「十八史略の人物学」という本を手にした。その中にあった一節で、特に印象深かったのが「木鶏の教訓」だった。そこにいるだけで、周囲に自然と秩序をもたらす存在でありたいと思わせたこの話は、実際にはなかなか難しいことではあるが、生きるうえで大きな指針として、今も私の中に在り続けている。

 論語の「巧言令色、鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」にもあるように、口先だけの交わりに中身の希薄さを見て、人の心の繋がり方に、本当に大切なものとは何かと考えさせられる。そして、その心の在り方が私たちにとっては問題なのである。

 19歳の私にとってまだまだ遠いところにあった謹言は、45歳になった今、現実に取り組む課題として大きく横たわっている。この「木鶏の教訓」は、その取り組みの象徴なのである。


(1-2)木鶏の教訓【 45歳の自叙伝 2016 】
終わり


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この記事につきまして

 45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。

 記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。

タイトル画像「鶏」は
illustAC Baechi1230さん より拝借しました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。


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