(1-2)木鶏の教訓【 45歳の自叙伝 2016 】
木鶏の教訓
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19歳の私は「十八史略の人物学」という本を手にした。その中にあった一節で、特に印象深かったのが「木鶏の教訓」だった。そこにいるだけで、周囲に自然と秩序をもたらす存在でありたいと思わせたこの話は、実際にはなかなか難しいことではあるが、生きるうえで大きな指針として、今も私の中に在り続けている。
論語の「巧言令色、鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」にもあるように、口先だけの交わりに中身の希薄さを見て、人の心の繋がり方に、本当に大切なものとは何かと考えさせられる。そして、その心の在り方が私たちにとっては問題なのである。
19歳の私にとってまだまだ遠いところにあった謹言は、45歳になった今、現実に取り組む課題として大きく横たわっている。この「木鶏の教訓」は、その取り組みの象徴なのである。
(1-2)木鶏の教訓【 45歳の自叙伝 2016 】
終わり
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この記事につきまして
45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。
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記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
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タイトル画像「鶏」は
illustAC Baechi1230さん より拝借しました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
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