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信じることと疑うこと

みなさん こんばんは マーガレットです。

今朝の出勤時間に、小雪がちらつき周囲がうっすらと白くなりました。
雪景色はとても幻想的できれいですが…
もういいよぉ~~ あと2週間で4月だよぉ~ とつぶやいてしまった。
通勤路の途中に凍結路面があり ギョッ!っとしました。
慎重に運転していきましたが、途中に事故車あり。
きっと、滑ったんだろうな… とお気の毒でした。
北国のみなさん、まだまだ要注意ですね。

さて、本日の表題の「信じること」「疑うこと」について
お話していきましょう。

わたしは、基本的に人を信じるタイプです。
どんな関係であれ、人との付き合いは
相手をわかり受け入れることだと考えています。
初対面の第一印象は大事ではありますが、時間とともに
その印象はひっくり返ることもありますね。
コロナも5類になり、マスクの着用も緩和されてきていますが
これまでマスクを着用していることで、お互いの表情が
隠れてしまい関わりのスタートとしては、小さな障害にも
感じていました。
特にも、子どもと関わる仕事をしていると
表情が見えないという事は、信頼関係を育む中で
大きなネックとなってきました。
そろそろ、マスクを外しての教育・保育が日常になりつつ
ある中、たくさんの笑顔がお互いの目に映っていることでしょう。

人と関わる仕事をしていると、初めから人を疑うことはなく
どんな人かな?
なにが好き(得意)かな?
話しの聞き方、話し方はどうかな?
目を見て話を聞けるかな? 表情は?
そして、大人の場合は… 空気を読めるかな?
などなど、たくさんのアンテナをはり、その人の情報を
自分なりに集めます。
その人と、関わる時間の中で、その集めた情報を整理しカタチ作ります。
その中で、信じるに値するところを見つけ、信じていけるように心がけています。 残念ながら、見当違いなこともありますが、それも人付き合いの一つでしょう。
人と関わることは最終的に、信じて 頼ること で信頼関係を結んで行けるのではないかと考えています。

これまでの人生の中で、長く深いお付き合いをさせていただいている人も多くいますが、思いがけない裏切りも経験してきました。
だから、いまわたしはあえて
「人を信じることに徹したい」と思っています。

そして 「疑うこと」

見えないものに不安を感じます。
知識のないこと、わからないことも同様です。
SNS上で、さまざまな お金 に関わる投稿が多く見受けられます。
ほんとかな…? 大丈夫かな…?
勉強をすることで叶う。継続することで上を目指せる。
誰でもできる! という事ですが、一握りの実力者が得られるものだよな。
などと 思ったりします。 自信のないものには手を出さない。

こんなこともありました。
15年ほど前、息子たちを連れて姉のいるハワイへ行った時のこと。
息子(小6だったかな)と二人でホテルに戻ることになり
バス停はあそこだよ~ 
と、姉は言い残し 息子2人(小3と中3)とビーチに行ってしましました。
バス停はあっても、なかなかバスは来ず
ましてどのバスに乗ればよいかもわからない。
ホテルまで歩くにも遠すぎるし…
困っていたら、タクシーが一台私たちの前に止まりました。
迷いましたが、暑いし 疲れたし 乗っちゃいました。
わたしの英語力は薄っぺらなので、ドキドキしていましたが
「どこに行く?」はわかり、ホテルの名前を伝えました。
結構、方向感覚の良い(と思っている)私は、宿泊しているホテルの方向に向かっている感覚に一安心しました。
どこに連れていかれるかわからない恐怖もうっすら感じながら・・・
そしたら何と!途中でタクシーは止まり、お客の私たちを乗せているのに
女性を一人乗せました!!
日本ではありえないですよね!!!
そこから、私の妄想はぶっとびました
手を上げろ!と、銃を突きつけられたりして。。。
知らないところに連れていかれたりして。。。
金目のものは全部おいていけ!なんて言われたりして。。。
この子だけでも守らなければ!!と心に誓い身動ぎもせず
息子の手を握り、私の心臓の動きとは裏腹に
大丈夫大丈夫 と小さい声で息子に言っていました。
その時間の長いこと…
女性が乗ってきてから10分も経たないうちにタクシーは止まり
ホテルの近くだから と言われたと思います。
その時、いくら払ったのか? どれくらい時間がたったのか?
まったく覚えていません。
覚えているのは、
タクシーが女性を乗せたままどこかへ行ったこと
様々な妄想とバクバクの心臓の動き
おだやかな表情の裏のひきつった脳みそ
いやぁ~~~ 忘れられない出来事でした。
あのタクシーの運転手さんは、実は善い人だったのかも
半信半疑で乗った私が失礼だったのかも?
でも、あの短時間で、すごく疑った。

その出来事の後、いろんな場面で え?大丈夫? という思いを
抱きやすくなりました。
いいことなのか?わるいことなのか?

「人を信じることに徹したい」なんて言ってたくせに
疑い深い自分もいる。
これは、否定できないことです。
社会の中で、信用され確かな仕事をする。
人との関わりの中で、信頼関係を構築する。
大切なことですが、そのなかにも「少しの疑い深さ」があっても
いいのかな と思ったりもします。

長くなりました。
そろそろ今夜はこの辺で。
みなさん おやすみなさい。


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