日々、女性の多い職場で
私は仕事を2つ掛け持ちしていますが、メインは20年勤めているところ。
女性が9割を占めます。
なぜ掛け持ちしたかというと、メインのほうの仕事量が激減して時間が空いたから。
あと人間関係のストレス緩和のために他の職場に触れたい気持ちもありました。
女性9割って、すごく気を遣います。
やっぱり「本音と建前の乖離」がものすごいと思う。
女性が表面的に醸し出す建前としては「みんな一緒」という仲間共有感ですが、30代にもなるとライフスタイルが個々で大きく変わってくる。
それなのに「みんな一緒」に良くも悪くも縛られて、誰かがすごく無理をしていたり、その無理を「当然」と思う人がいたり。
あと職場の女性は基本真面目で、「とにかく頑張る」「決まりに従う」がモットーの人が多く、「頑張りたくない」が表面に出ちゃってる人や、時に決まりを破ってでも改革しようとする人にすごく厳しくなりがち。
なぜ頑張るか、その心を同僚に聞くと「怖い」だったりして。
「誰かの目」をすごく気にするのって女性9割職場の特徴なんだとは思う。
それについてはいずれまた書きたいですが、今回はライフスタイルの違いについて。
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30代に差し掛かると、ライフスタイルが目に見えて異なってくるのも女性の多い職場の特徴。
「みんな一緒」のムードが強い職場で何が起こるかというと「不公平感の増幅」。
「ずるい」という声が大きくなる。
私の職場では子持ちの方への配慮が「優遇」と見做されやすい時期があった。
中小企業で、まだ新しい職場だったため産休明けの働き方が整備されてなかったのですが、夜勤や終電までの仕事がいっとき子どものいない人・独身者に集中したのは確か。
だけどそれをしわ寄せとも思わず、誰しもが爽やかに目の前の仕事に取り組めたあのころは、それだけみんなまだ若くて体力もあったということだけど、その状態が何年も続くと不満の声は多数を占めてくる。
ただ、そのうちママさんの人口も増えてくるのでママさんの声が上がりやすく・受け入れられやすくなって今、だいぶバランスが取れてきた。
個々の本音は色々あるとしても、「みんなで乗り越えてきたよね」という穏やかな建前感が今はあり、建前と言ってもそうギスギスしてない体感です。
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私の職場には、お子さんあり家族、夫婦のみ世帯、独身者、シングルマザー、実家暮らし、介護世帯などなどいろんなライフスタイルの人がいる。
夫婦のみ世帯と独身者がとても多い。
私が30半ばの頃は仕事中に合コンの話したり、既婚先輩に「早くこっち来なよ〜」みたいなこと言われたりするのはそれなりに楽しかった。
そのうち40に近づくにつれ、「最近恋バナないの?」と言われるのが苦痛になり、独身つれぇとか思ったりしたけど、私もベラベラ周りを気にせずよくしゃべってたなと恥ずかしく思う。
noteを日々読んでいて楽しいのは、自分と違うライフスタイルに触れること。
職場が女性ばかりでも、暮らしや気持ちのことまで話すことは今あまりないから。
お子さんを抱える方のnoteも興味深いし、自分の未知の世界を知ることで社会性を補ってるような満足感があります。
とりわけお子さんいない方のnoteに触れると、ハッとすることがある。
実は子どもが欲しかった、子どもの話はとてもつらいという声をnoteで知って、職場の何人かの顔を思い浮かべた。
職場には夫婦のみ世帯の方が多くいるけど、私は彼女たちの前で「いつか子どもが欲しい」とか、産むこと前提の話を結構してなかったかと振り返ると縮み上がりそうになる。数々の無神経があったんじゃないかと。
さすがに「お子さんは?」と聞くことはしてないはずだけど、夫婦世帯というあり方を勝手に完成形のように思う部分もあった。
不妊治療が身近に感じられたのは自分が30半ばのあたりで、30後半に差し掛かって1人目生んだ友人が2人目のために不妊治療をしていることに驚いたくらい、それまで自分には思いもよらない領域だった。
もしかしたらそういうことで体調がすぐれなかった人もいたかもしれない。
いつもすごく眠そうでだるそうな人を「頑張ってない人」と見てしまってたかもしれない。
あらゆる過去の「かもしれない」を遡って反省してもしょうがないんだけど、女性はそもそも生理や更年期のバイオリズムに翻弄されがちじゃないですか。
なのになぜ、女はそんなに「頑張る」を自分に課すのか。
「そんな頑張ってないよ、普通だよ〜」と言うけど、女が言う「普通」はかなりレベルが高い。
でもやっぱり生理なのかな。
「こんなにつらいことを抱えて、それでも頑張る」しか、モデルを知らないから。
自分は今こんなにつらい。
でも同じ女性なら、あの人もきっと同じはず。
そういう共感性が発達しすぎて、想像できるからこそ「私も頑張るよ」となりやすいんじゃないのか。
しかも女性って「奴隷的な頑張り」も、わりと受け入れるじゃないですか。
やりますよって言える範囲が広すぎて、気づくといいように使われている。
「もっと伸び伸びしていいんだよ」
という声かけを、あまりにされてこなかった気がする。
女なんだからもっと気を利かせてよと、個人差はあれど家庭内でもバイト先でも飲みの場でも言われるような気遣いを多くの女性がきっと強いられてきてる。
「気が利かない」と言われるのは、ブスと同義ぐらいつらいから。
頑張って気を利かせてこそ「選ばれる」みたいなことを植え付けられたというのはあるんじゃないか。
選ばれたってさらなる頑張りを求められるでしょう。
妻として母として、家の中の女手として。
私の職場の女性たちは頑張りをやめない。
50代になって60代に差し掛かっても、誰かに「頑張らなくていいんだよ」と声をかける側になっても自分はまだ頑張って、頼れる先がなくてヘロヘロの人は少なくない。
みんなで頑張る爽やかさもあるんだけど、いつもその明るさで大事なことがうやむやになる気がする。
「いいじゃない、乗り越えられたんだから」
それで本当によかったんだろうか。
いい人たちばかりなのに、なぜかストレスがたまる。
原因はいつも怖い人ってばかりじゃない。
ゆるくありたい自分が責められるわけでもない。
むしろ頑張りすぎて、人にプレッシャー与えてた自覚もある。
女性の優しさが心地よいこともあるけど、「地味な頑張りを続けるしか道がない」という閉塞感がたまらなく嫌になるときもあるのです。
まぁ、「頑張る」ってなんか漠然としちゃってもうちょっと掘り下げたいけど、それはまたいずれ。