「ボクらの時代」光浦さん・あさこさん・大久保さん
「ボクらの時代」を久々見ました。
カナダ留学から帰国中の光浦さんの話を前にラジオで聴いて、すごく興味持ったので今回録画。
相方の大久保さん、いとうあさこさんとの3人回。
「同じ時代の人」と感じる3人だからか、どの話もすーっと浸透してきました。
光浦さん「1年前より野菜が高くなってて驚いた」
この話にあさこさんが、「ああ、そうか。うちらは徐々にだから」と言って、「物価高ね」と。
帰国してまず驚いたことがやっぱそこなんだな。自炊派の光浦さん。
野菜の値段の会話って地味だろうけど、芸能人から聞くとその生活感に安心する。
あれっ?高いや…(と売り場に戻す)ということが確かに何度もありましたね。
青果売り場で思案する自分が急に意識されて、3人の庶民的な話にちょっと救われた。
あさこさん「自分を”おばさん”と言うと怒られる」
前に私も「おばさんと自分で言うこと」についての記事を書いたので、「ちょっと近い話かも」と思った。
私は自分より若い人(20・30代)が自分をおばさんと呼ぶことについてのモヤモヤを書いたわけですが、54歳のあさこさんも自分をおばさんと言いづらくなってるらしい。
「かわいそう」とか、「あさこさんがおばさんなら、私もそう思わなきゃいけないんだ…」という声が寄せられると。
3人とも芸風からして「かわいそう」と言われるほうが「やめてくれ!」と言いたいとこだろうけど、寄せられる声のことも「わかる」と思っちゃう。
TV見て笑えるうちはいいんだけど、「TVみたいにからかったりバカにしていいんだ」という空気にも、あっという間になりやすく。
「おばさん」は、からかいを許されてきた代表的なワードと思うんですよね。
「更年期」も然り。
今、SNSでいろんなこと目につきやすくなっちゃったし、声も上げやすくなってるから、「不快」という声が目立つのもしょうがないんでしょうね。それも誰かの声であって。
でも、そういう世のムードであさこさんや光浦さん、大久保さんがやりにくくなってるのを見るのは忍びない。
とかいって「やりにくい」という会話すら、もう笑えるんですよね。
「前はよくブスとかさぁ…」と言って、「これもダメ?」とハッとしたり。
「お前じゃねーよ」ってツッコミ、あれ愛だったなぁと浸る3人でした。
大久保さん「”彼女いるの?”という質問は聞きすぎ」
ロケとかで店に向かう途中の会話として、若い男性に「彼女いるの?」「(いないの?)どれくらいいないの?」とか、つい聞いてしまうという大久保さん。
「個人情報聞きすぎ」というお叱りもあるそうで。
これも「どっちもわかる」と思っちゃう。
「いや、相手のことちょっと知りたいじゃん、個人情報ってなんだよ」とも思うし、「聞くなよ。聞いてくんなよ」とも思う。
現に、30代の同僚たちって個人的な質問をほとんどしてこないですね。
こうまで聞かれないと、「聞かれる」ってなんか嬉しかったんだなぁと思う一方、同世代から「今どうなの?」と恋愛系を聞かれると、いつも喉がググッと詰まるような妙なストレスを確かに感じてた。コンプラとか言われるずいぶん前から。
「聞かれない」ということの「心理的楽さ」は、コロナ禍あたりに新感覚として味わったことで、「聞かれること、それに答えること」って結構エネルギーを要してたんだなぁとつくづく思ったりして。
私もTV見て、「えっ、そこ聞いちゃうんだ」とハラハラする人間になってしまったんだけど、それが「つまんない視聴者」と言われようが、もうそうなっちゃってるのです。
大久保さん「いいなと思う男性が大体37歳」
大久保さんが最近ちょっと親しくなった男性が年下で、「めちゃイケ大好きでずっと見てました」から会話が始まるとして。
大久保さんの愛犬を連れていけばすごく可愛がってくれつつ「僕に面倒見させてくださいよ、休みの日とか」と言われたらしく、光浦さんとあさこさんが「なんかいいじゃん」とすぐ反応する。
さらにその男性が「大久保さんって、付き合うなら年下何歳まで大丈夫ですか?」と聞いてきたエピソードを話すと、光浦さんは「それ告ってるよ」と断言。
「あたしもそう思った」と大久保さん。
そんで次回、食事したときに相手に彼女がいることが判明。
ここであさこさん「なんで?」と怒る。
光浦さんも、「あたし、ちょっと言いに行こうか?その男に」と声がデカくなる。
大久保さんは、「もう”なんで?”とかじゃないのよ、今はそれが日常会話なのよ」と2人をたしなめるのですが、それが悲しかった。わかりすぎて。
「そういうちっちゃい失恋を何度も繰り返してる(しかも毎回37歳ぐらい)」
平成と昭和の境目世代あたりから「価値観が全然違う」と思うことが本当に増えて、しかも「真に受けちゃった自分が悪いんだ」と思わされるというか。
「繰り返す」というのもすごくわかりますよ。
個人の問題と思ってたけど、違う、世代だと。
こちとら恋愛ドラマの影響受けまくった恋愛至上主義世代。
大久保さんも「まだキュンキュンしたい」と言う。
それはナチュラルな願望と思ってたけど、37歳くらいにとって恋愛はそんなに重きが置かれることじゃないらしく。
ラブストーリーは突然にやってくると思い込んでた世代と、思いもしない世代の激突。
いや、今の時代「思いもしない」に世間は軍配上げるでしょう。
今なら私もそう思える。
あさこさんと光浦さんはエンディングまでずっと憤慨していた。
「どこのやつだ、言ってみろ」「なんでそいつはそういうこと言うかね!?」
確かに、「普通そういうこと言わないだろ(思わせぶりの域に入るだろ)」ってことを言っといて「”そういうつもりじゃない”人口」はかなり増えたと感じてて。
37歳くらいに振り回された被害として届け出受理されんじゃないかと、大久保さんの話聞いて思っちゃいましたね。
そのほかも話題満載。
光浦さんがカナダ行ってから自分の容姿を気にかけなくなったことで楽になった話とか、マッチングアプリで数名と会った話。
大久保さんの富士登頂話もあり、あさこさんは「肌・身なり、なんもしてない」と言えば、「でもすごくいい感じだよね〜」となったり。
3人とも50代で、それなりに三者三様の感じがいいなぁと思いました。