友愛関係から見えてきたこと
3年前から付き合いのある異性。
定期的にご飯行ったり競馬行ったりCDを貸し合ったりするけど、恋人関係ではない。
だけど距離が縮まったのは、出会いの初期にお互いそれなりの好意があってのことと思う。
そんな感情もいささかクールダウンして、いま友愛という感じ。
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彼は30代。
友達が1人もいないという。
とかいって競馬仲間はいるらしいのだけど、男性にとって友達の定義って難しいのか、あくまで「仲間」らしい。
現時点で私が「友達」に近い存在と。
私は同性の友達は、少ないながらも寂しくない程度にいる。
異性の友達はいない。
「友達」といっても、私にとって同性と異性じゃ全然違う。
異性には少なからず「こうでありたかった男性性」が投影されているように思う。
つまり私の夢が詰まった人に特別な感慨を抱く。
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彼のことを好きだなぁと思ったのは、「こうでありたかった自分」を彼に見たとき。
「TVを全然見ない」と聞いたときの衝撃を覚えてる。
私なんてのは昭和からずっとTVっ子ですよ。
今でも情報漬けの日々。
「今何が起こっているか」なんて大してわかってないくせに、新しい情報を雑に摂取しては、何が起こっているか知ってる人の顔をする。
その情報をバッサリ切っている彼。
「だから友達いないんだと思う、高校3年はずっと休み時間1人だった」
!!!
信じられなかった。
その精神力に惹かれてしまったとも言える。
彼はどことなく人と違う雰囲気を漂わせている。
明るい洋服や髪色を好む。
日傘男子でもある。
彼と接すると、世にあふれていた情報っていかにホモソ要素が強かったかが感じられるのです。
彼が私のような年の女と1日中過ごしたり友愛関係を築けるのは、「まともな男だったらやめとけ/こうすべき」などのホモソーシャル価値観(男社会の絆重視)が形成されなかったからなんじゃないか。
「友達がいない」と言うのも、男社会の絆価値観になじめなかった、ということかもしれない。
「悪ぶって男としてカッコつけようとする」とかもないという。
彼はタバコも吸わない。ましてやポイ捨て、吐くまでお酒を飲むのは信じられないと。
「それ当然でしょ」てな価値観に思えるわけだけど、なぜ男と女はそのあたりの足並みが揃わないんだろうとは、ずーっと思っていたこと。
最近はずいぶん段差が少なくなってるとは思うけど。
私が彼といて心地いいと思うのは、「茶化す」「下げてくる」みたいなことがないからというのもある。
そりゃ時に「茶化す」みたいな男性との会話が楽しいってこともあるけど、同僚などとの短い時間だから。
元彼との関係を思い返すと、茶化し合って笑ったあとなぜか激怒、みたいなこともそれなりにあった記憶。
「そこまで言う?」みたいな失礼の領域に互いに踏み込みやすくなりますよね、茶化し合いが常態化すると。
友愛関係の彼は「ツッコミ」とかもないタイプなので、大笑いとかの刺激がないっちゃない。
ほとんどが「なるほど」「それいいかも!」という肯定。
だからそれも、あまりに蔓延しすぎたお笑い作法が、TVを見てこなかった彼にはなんら張り付いてないということで、そういう人を好もしく思う自分も何か変わったのかもしれない。
思えば、関係が続いている同性友人とのコミュニケーションもそうですね。
「茶化す・下げる」とかしなくなった。
茶化す友達とは喧嘩別れしたり、「会いたくねぇな」と距離を置いたり。
既婚とか子持ちとか実はあんま関係なくて、相手のほとんどに「なるほど・いいかも」って思い合えるかどうかなのかもしれない。
女にだって「女同士の絆価値観」はあって、それが結婚・出産などの違いで人をジャッジしがちなとこ。
マジョリティーの絆って結構こわいんですよね。
おごり/おごられ論争もSNSを沸かせているけど、「男ならこうすべき」という価値観が淡くなってるから?と思える。
それはいいことなんじゃないですかね
今みんな年収低くなってんだから。一般労働者は。
年収500万だって相当大変ですよねって会話は、女性同士だけじゃなく男性が輪の中心でも盛り上がったりする。
私も昭和・平成の恋愛ドラマ情報がたっぷり詰まった人間です。
仲良くなった異性に「責任」とかまったく期待しないと言ったら嘘なわけで。
ただ、自分の内側から湧いてくる願望や期待って、TVとかから無自覚に形成されたものがほとんど。
旧も旧バージョンと改めて思いましたね。
目の前の友愛を古い価値観でジャッジしないよう、大事にしていきたいです。