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良くしていきたい vs どうでもいい派

職場には「良くしていきたい派」と「どうでもいい派」がいたりする。

出社時間とか、15分前に来たから「やる気あり」「良くしていきたい派」とも言えないんだけど、いつも1分前に出社する人がいた。
なんなら1、2分遅刻することもザラ。
その人は私の先輩だけど、「ぎりぎりっすね」なんて言ってみたことがある。
その先輩は、「お金が払われない時間に本当は1秒もいたくない」と言った。

そういうタイプに限って出社してすぐ化粧直ししたりするんだよな。
私がイラついたのは、1、2分遅刻してその先輩が走ってきたときに、仲良しの同僚から「汗かいてかわいそー」なんて言われてたこと。
「そーなのー。止まんなーい」って、15分くらい汗を拭いている。

だけどその先輩、仕事できるんだよな。
と、私の目からは見えるんだけど、自己肯定感が低いのかいつも「自分なんて」と言っていて、「もうどうでもいい」というモードのまま50代に突入していった。

この職場の問題点は評価制度が一切なく、頑張っても頑張らなくても給料が同じ。
「だったら頑張らないよね」と気づく人が年々増えていく。
それでも、「良くしていこうよ」というモチベを保っている人も何人もいて、私も正社員時代はその1人だった。
今でも「良くしていきたい・顧客や依頼主に質の良いものを届けたい」と思っているけど、非正規なのでこういう意欲が買われることはない。
むしろ面倒な人と思われたりする。


自分の正社員時代を振り返ってみる。
それは建設会社勤務の20代のころ。
自分なりに頑張ってたつもりだったけど、派遣や非正規の女性たちは時間めいっぱい頑張っていたように見えた。
「自分達はそれを求められてるから」と、つまり気を抜いてる時間を増やして給料単価を上げようとする行為は許されない(そういう雇用体系)と言うけれど、本当にみっちり丁寧に働いていた。

正社員の私は彼女たちよりずっと年下なのに、おやつをゆっくり両手で食べてたり、同僚と給湯室で恋バナしたり、後輩と大笑いして動けなくなったりしていた。
それなりに怖いお局の目を気にしていたんだけど、非正規の女性先輩たちの熱量にはかなわなかった。
「かなわない」とか感心するんなら動けよ!ってあのころの自分に言いたい。
おっさんたちの「お茶欲しいな〜」という空気にいち早く気づくのも彼女たち。
正社員の自分は生意気にも「お茶汲みが仕事じゃありません!」なんて、背中でおっさんの要望を拒否していた。
とにかく損得勘定が激しかったと思う。

そう、損得勘定。
「良くしていきたい」なんて理想に満ちるとき、やりがい搾取状態になりやすいですからね。
そういう一時期も大事とは思うけど、周りに熱い人がいれば自分はすーっと冷めていくし、自分が熱くなれば周りが引く。
労働意欲って相対性の問題なんだろうか。

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非正規になってよく思うのは、「正社員だったらもっと、直接的に”良くしていくための”あんなこと・こんなことができるのに」ということ。
非正規はそこまで関われないから。
だけど実際、自分が正社員のときは「7時間をそれなりに過ごすイコール労働」となってしまう。
よっぽど問題が発生しないかぎり「良くしていこう」なんて思わなくなっちゃうんですよね。
その「よっぽど」のときに責任感を発動させるのが正社員とすら思ってる。
それでも怠惰ってことじゃないはずで。

正社員でもやりがい搾取はあるでしょう。
ひたすら頑張っても給料に反映されないのが実情と思う。
そりゃ残業すればお金は貯まるだろうけど時間は減る、体も疲れる。
→「やるだけ無駄」と思う人が幅を利かせてくる。
→「みんなやる気なくしたら会社の危機!(良くしていかなきゃ!)」という人の善意が搾取されていく。
どうしてこういう構造になってしまうんだろう。


そういえば思い出したけど、42歳ごろ飲食店でバイトをしていたとき。
皿洗いがメインの仕事だった私だけど、膨大な量を洗って一息つかぬ間にトイレ掃除を命じられ、終われば酒瓶拭き、ナプキンの量チェックなどなど、次々に仕事を振られる。お菓子食いながらの店長に。
2日ぶりに出勤したら、1日前の汚物がバケツに入ったままで、「敷根さんに処理してもらおうと思って」と言われたこともある。
「奴隷」って言葉が頭に何度も浮かんだけど、いやいや奴隷はもっとひどい扱いでしょ、「自分なんてマシなほう」とかいう奴隷マインドにまんまとなっていく。
バイト・非正規・若手・弱者のやる気搾取で成り立っているこの国での、正しい働き方がわからない。


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