本の学び 宇宙気分
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
宇宙の学び
『やわらか宇宙講座』で
おすすめされていたので
読んでみた
やっぱ
大人になって読んでも
ちょっと難しいな
笑
なので
ゆっくり丁寧に
読んだ
寂しさや
苛立ちを感じて
牧場のゆるい丘を登り
空の開けた
草むらに寝転び
天の川を見上げるジョバンニ
すると
汽車の音が聞こえてくる
「銀河ステーション
銀河ステーション」
ふしぎな声がして
眼の前が
ぱっと明るくなって
まるで億万の蛍烏賊の火を
いっぺんに化石させて
そら中に沈めたという工合
ダイヤモンド会社で
ねだんがやすくならないために
わざと穫れないふりをして
かくして置いた金剛石を
誰かがいきなりひっくりかえして
ばら撒いたという風に
眼の前がさあっと明るくなって
ジョバンニは
思わず何べんも
眼を擦ってしまいました
気がついてみると
さっきから
ごとごとごとごと
ジョバンニの乗っている
小さな列車が
走りつづけていたのでした
P203
情景描写が丁寧かつ独特
その独特なリズムで
わたしも頭の中で
ぼぉーと夜空を見上げてたら
一瞬の光とともに
爆発的に
場面が切り替わってる
物語は
とてもゆっくり進むけど
すーと引き込まれる
不思議な感覚
なるほどね
「ああしまった
ぼく、水筒を忘れてきた
スケッチ帳も忘れてきた
けれども構わない
もうじき白鳥の停車場だから」
P204
どこか悟ってる感じの
カムパネルラに対して
「この地図はどこで買ったの?
黒曜石でできてるねえ」
憧れの同級生のカムパネルラと
一緒にいることに
ちょっと興奮ぎみのジョバンニ
“まるではね上がりたいくらいに
愉快になって
足をこつこつ鳴らし
窓から顔を出して
高く高く星めぐりの口笛を
吹きながら
一生けん命延びあがって
その天の川の水を
見きわめようとしましたが
•••••
ジョバンニは
まるでどきどきして
頭をやけに振りました
するとほんとうに
そのきれいな野原中の青や橙や
いろいろかがやく三角標も
てんでに息をつくように
ちらちらゆれたり顫(ふる)えたり
しました”
一方で
北十字では
“俄かに車のなかが
ぱっと白く明るくなりました
見ると、もうじつに
金剛石や草の露や
あらゆる立派さをあつめたような
きらびやかな銀河の河床の上を
水は声もなくかたちもなく流れ
その流れのまん中に
ぼうっと青白く後光の射した
一つの島が見えるのでした
•••••
車室の中の旅人たちは
みなまっすぐにきもののひだを垂れ
黒いバイブルを胸にあてたり
水晶の数珠をかけたり
どの人もつつましく指を組み合わせて
そっちに祈っているのでした
P209
ジョバンニの
子どもらしい無邪気さと
対極的な物悲しい景色
明暗が顕著なだけに
物悲しさが際立つ感じがした
車窓から見える
“風にひるがえるすすき”や
“狐火のようなりんどうの花”は
やはり物悲しいな
車室には
入れ替わり立ち替わり
いろんな人たちがやってくる
なぜだか
食べものをもらう
鳥捕りからは
鷺を
燈台看守からは
苹果(りんご)を
なにかしら意味が
込められているのかな?
物語には
白鳥の停車場
はくちょう座は
天の川に身をひたして泳ぐように
横たわっている
とか
青い琴の星
α星ヴェガ
わし座のアルタイル
はくちょう座のデネフ夏の大三角
とか
アルビレオ
白鳥座のβ星
などが出てくる
“まるで花火でいっぱいの
ようなあまの川のまん中に
•••
眼もさめるような
青宝玉(サファイア)と
黄玉(トパーズ)
の大きなすきとおった球が
•••••”P244
サザンクロス(南十字座)の
石炭袋の孔(あな)
“あまの川の一とこに
大きなまっくらな孔(あな)”
P256
星間物質の個体微粒子の雲
などの描写がある
天体の描写は
ある程度観察したり
それなりに本格的に学ばないと
表現できないんじゃないかな?
お母さんのための牛乳も
意味があるのかな?
『やわらか宇宙講座』で
天の川は英語で
「milky way」ミルクの道
ギリシア神話に由来している
って習ったし
宇宙の不思議などの憧れは
今も昔も同じなのかな?
今よりも情報源は少ない
だろうから
学びには時間も
かかりそうだ
「僕もう
あんな大きな暗(やみ)の中だって
こわくない
きっとみんなのほんとうのさいわいを
さがしに行く
どこまでもどこまでも
僕たち一緒に進んで行こう
カムパネルラ
僕たち一緒に行こうねえ」
P256
せつないな
ぎゅっと
胸が締めつけられた
いわゆる“名作”
と言われている小説は
ちょっと苦手だった
何十年も前に書かれた文章が
すらすら読めないからか?
ちょっとストレスを感じてしまう
宇宙の学びをしていなければ
選んでない本なので
手に取って良かった⭐︎