本の学び 宇宙気分
『プラネタリウムのふたご』
いしいしんじ
この物語は
ゆっくり丁寧に
進んでいくので
わたしも
毎日ちょっとずつ
丁寧に読み進めた
時間をかけて
読めば読むほど
登場人物との関わりが
長くなるから
終わりが近づくと
とても寂しくなった
”彗星をめぐる解説のさなか
拾われた
このふたごは
やがて
村のひとびとから
ごく手短に
「テンペル」
「タットル」
と呼ばれるようになった”
P12
14年間
村から出ることなく
プラネタリウムで
育ったふたごが
ある日突然
離れ離れになってしまう
閉鎖的な村に残った
タットルは
目の見えない老女や
古参の猟師から学ぶ
兄のテンペルは
手品が必要な人に
分け隔てなくふるまう
目の前にあるものを
必要とする人間がいて
そのあるものを
自分はふんだんにもっている
分け与えるのは当然じゃないか
P380
閉鎖的な村に残ったタットルは
失敗から学び
都会で自立したテンペルは
成功から学んだ
対照的な環境で育った
ふたりだけど
共通してることは
ふたりのそばには
ふたりのことを
温かく見守る
大人たちがいた
太陽のような直接的
ではなく
湯たんぽみたいかな?
じんわりやってくる
温かさだと感じた
”天体のはなしをいたしますと
恒星の光が
宇宙をとおってくるとき
ねじ曲がる
という現象があるそうです
そのはなはだしいのが
ブラックホール
というやつです
なぜ
光がねじまがるかと申しますと
光の進路に“重力”が加わるせいだと
いうのですが
この重力という
相対論では
時空の“ゆがみ”として
説明されることになります
光はまっしぐらに進んでいる
けれど
その光がわたる時空が
元来ゆがんでいるために
方向がねじまがって見える
と言うわけです
私たちおとなが
あの子らに対して
ゆがんだ扱いを
していなかったでしょうか
私は
あの子たちふたりを
それぞれ個別に扱おうと
こころに決めています
ふたごは
ひとそろえではなく
ひとりずつ別の人格だと
P55
ふたごに対しての
父さんの
絶対的な強い愛を感じた
とてもすてきな
セリフだ
父さんは
決して余計なことは言わない
日常を粛々と
淡々とこなす
なので
あの
「備品室」での
背中を激しくふるわせてる
姿には
わたしまで
胸をえぐられるような
思いがした
ちょっと
心持っていかれすぎて
半日ほど引きずった
そうなのだ
父さんは余計なことは
言わないけれど
ふたごたちは
その背中から
たくさんの愛を受けとり
多くのことを学んだはずだ
“大切なのは
それが
ほんものの
星かどうかより
たったいま
誰かが自分だけの
となりにいて
自分と同じものを見て
喜んでいると
こころから
信じられることだ
そんな相手が
この世にいてくれる
ってことだよ”
P420
著者の
いしいしんじさんは
きっと
父さんやテオ座長のような
視野が広く
温かい心を
もっている人
だと思った
でないと
こんなにも優しい物語は
書けない
大人たちに見守られ
育ったふたりは
ある少年の
心を救う
大人たちからもらった
たくさん愛で
少年を守る
立場になった
兄貴や妹も
大人たちから
見守られた
今はじっと
見守る番だ
“見事なまでに
きもちよくだます”こと
P514
大人たちから
“だまされる才覚”
も学んでいく
“だまされる才覚”
なるほどね
深いな
“だまされる才覚がないと
この世は
かっさかさ
どんづまりの世界に
なってしまう
ひょっとしたら
よりだまされるほど
ひとって
しあわせなんじゃ
ないんだろうか”
P367
どちらかというと
わたしは
突き止めちゃってる
と思う
だからかな
すぐに
どんづまるし
かっさかさ
にもなるな
“だまされる才覚”
なかなか
難しいけど
そんな余裕がある
大人になりたいな
宇宙気分にならなかったら
きっと出会えなかった物語
宇宙の学びを
はじめていなかったら
父さんの
愛のこもった
あのセリフの意味
全く理解できなかったな〜
心がざわつくときには
じっくり時間をかけて
この本のような
温かい物語を
読みたい
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