ステキなことをステキだということ
またもや台湾からは少し外れるテーマだが、心がホクホクしているうちにこれを書いておきたい。
昨夜待ちに待っていた東京オリンピックの開会式が開催された。
オリンピック開催の賛否に対する意見は趣旨からズレるのでここでは書かないことにする、ただ本当に本当に素晴らしい式典だった。
序盤のアスリートによるカウントダウン映像、木材でできた五輪マーク、国歌、選手入場など全ての表現にこの日まで準備してきた方達の熱意を感じ、台湾という異国の狭く真っ暗な部屋で私は一人おいおい泣いた。
正直、ここ数日の気分は最悪だった。
SNSを開けば目にする心ない言葉、一見”正義”と言う仮面を被っているが、私の目には本当に正義を持って発言している人は一握りに思えた。
今の日本の”叩けるものは叩け”と言う雰囲気がものすごく大嫌いだった。
オリンピックや政府の対応、コロナ云々ではない、このドス黒い雰囲気だ。多分”日本にいない私”には感じ取れないストレスもあるのかもしれない。でも外から見た今の母国の姿はとても誇れるものではなかった。
あんなに楽しみにしていたはずの開会式もここ数日はどこか不安を抱えながら待っていた。
ただ、やっぱり日本はすごかった。
迎えた開会式、日本を代表するあらゆるプロたちが日本の素晴らしさを見せてくれた。この日まで何も言わず口を堅く閉じていた彼らは、プロとしての仕事で全てを見せてくれたのだ。
その姿を見て私のこの数日のモヤモヤは消えた。
日本人の、人の、本来あるべき姿(あるべき、と言う表現は当たっているのかわからないが)を再確認することができた。
少し話は変わるが、最近ステイホームの生活の中でよく口ずさむ曲がある。
佐野元春の『SOMEDAY』と言う名曲だ。
名曲中の名曲であるこの曲は私の母の大好きな曲でもある。
幼い頃から家族でカラオケに行けば母はこの曲を歌い、ドライブの車の中でも流れていた記憶がある。”自分の葬儀の時に流して欲しい”なんて冗談を飛ばしていたこともあった。
そんな母はこの曲の一節
”ステキなことはステキだと無邪気に笑える心がスキさ”
がとても好きだと言う。
この歌詞一見とてもシンプルだが、行動に起こすのは簡単ではない。
きっとここ数日この曲が私の脳内を流れていたのは、私自身が自分も含めたすべての人にこうであって欲しいと思っていたからだ。
昨今の日本社会は、特にSNSの普及によって称賛の言葉よりも誹謗中傷や心ない言葉にスポットが当てられてきた気がする。同調圧力によるものだろうか。
でもSNSも本来そんな目的で作られたのではなかったはずだ。
いつからこんなに叩き合う社会になってしまったのだろうか。
今回の開会式で206の国の選手が入場してくる場面があった。
驚くことに最近国名を変えたり、独立したり、耳にしたことのない国もいくつもあった。どの国の選手も笑顔で楽しそうに入場していた。
自分がまだ見たことない広い世界がこの地球にはあるのだなと改めて実感した。
開会式を見た叔母が言っていた
”世界は広い、人間をたたくな、人間をたたえよ”
まさにこの言葉に尽きる。
狭い視野で叩き合う時間があるのなら、自分の視野を広げる努力をしたい。
今回の一件から私は積極的に”称賛”をしていくことを始めた。
今までは心ない言葉を言う人に”どうしてそんなこと言うの!”と反応してきただけだったが、そんなものをかき消すくらいステキなものをステキと言っていこうと決めたのだ。
とりあえず手始めに良いと思った作品やあらゆる表現にいいね!と声を出して伝えてみる。例えば、面白いと思ったYouTube動画や、良いと思ったイラスト投稿など、本人に伝わるかわからないが、コメントに残すだけで自分も良い気分になる。
何かと比較して、もしくは反対派への皮肉を込めた称賛はしない。
”ステキなことをステキだ”と言うのには”無邪気さ”が大事なのだから。
これからもこのいいね!精神を忘れずに生きていきたい。
そして最後に、本当に個人的意見であるが、今回の開会式に携わったが”名が残らなかった”人たちは私が創作を始めるきっかけとなった素晴らしい表現者たちだ。
このステキな開会式は間違いなく彼らの力がなかったら存在しなかった。
誰がなんと言おうと私は彼らの”表現”が大好きだ。
本当に、本当にありがとう。いつかあなた方の功績が認められますように。
追伸
ホクホクな今の気持ちを逃したくなくてすぐに文章を書きました。書いてるうちに気持ちが高まり、かなりの駄文になってしまいましたがお許しくださいませ。(ゆっくり修正します)個人的に感動9割、悔しさ1割と言ったところですが、本当に素晴らしい開会式でした。オリンピックってステキだね!これからの選手たちの活躍も楽しみにしています☺︎
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