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つれづれ杏子 #011

『おっきいばーちゃんの教え』

おっきいばーちゃん、と、曾祖母のことを呼んでいた。ちなみに大叔母はちっちゃいばーちゃん、だ。体型ではない。2人とも小柄だ。ばーちゃんのお母さんだからおっきくて、ばーちゃんの妹だからちっちゃいのだ。

おっきいばーちゃんはわたしが小2の夏に84で天国へ行った。明治生まれ。商人の家の娘さんで、若い頃旦那さんといまのじーちゃんちがあるところにお店を出して切り盛りし始めた。

おっきいじーちゃんをわたしは知らない。おっきいばーちゃんが50代の頃亡くなってしまったから。話に聞くと、すごく手先が器用で、将棋盤を自作したり、娘の薙刀の授業のために本格的ガチ薙刀を作ってあげたりしちゃう人だったらしい。戦時中闇市で煙草の葉を買ってきてくるくると巻いてたりとかもしたらしい。

おっきいばーちゃんは姉御肌で面倒見が良く男勝りな人だったという。その当時煙管をふかし、酒呑みで、株でもうけたら孫にこっそりお小遣い渡してたというロックババァだ。わたしが目指しているロックババァ像と少し重なる。煙草はもう吸わないし株はやらないつもりだけど。姉御肌の人たらしで男勝りなババァは素敵だと思う。ウイスキー飲んでさ。

そのおっきいばーちゃん、商売をするにあたってよく口にした言葉がある。

『損して得(徳)とれ』

商売で利益を上げるために多少損してもお客さんにおまけとかする。するとそのお客さんがまた来てくれるから、というようなところだろうと思う。
じーちゃんちで八百屋の手伝いをしてるときも、それを継承しているじーちゃんはよくお客さんにトマトひとつおまけしたりとかしてたっけ。

損するというのは気持ちいいことじゃない。なんであたしばっかり…みたいな気分になる。
だけどこの『損して徳とれ』という言葉は、損してでも一生懸命やっていけば周りに認められ、いい仕事が巡ってくるというような意味らしいです。

わたしは社会人ではないけれど、人間関係でもこれは言えるんじゃないかと思った。

わたしは『徳貯金』ってよく思ってる。自他共に気持ちよく過ごせることを選んで実行した時とかに、積まれる気がする。自分の手間が若干増えてもそれで誰かが笑えればわたしは嬉しくて回復するし。


家族に対してイラつくことは日常茶飯事。わたしとこの3人は生活感が結構ズレてる。3人はゴミが落ちてるところで寛げるし、ゴミを置きっ放しにするし、トイレットペーパーが切れてもそのままだし、麦茶のちょい残しとかする。そういうそのフォローしているのはわたしだ。誰も見てないし褒めてもらうこともないし、なんなら当たり前くらいに思われてるかもしれないけど。そういうときにくっそ、と思いながら、でも、と「徳」を積むつもりでいて、わたしはけっこう徳貯金してるからな?と自分を鼓舞してあげる。


HSPゆえに細かいところに気が付いてしまう。物理的にも。そして心理的にも。相手の顔色を窺う癖はまだまだ直らない。そして自分を責める癖も。だから本当はやめてほしいと相手(特に夫)に伝えることをずっとずっと溜め込んでしまう。言って相手を不機嫌にさせてああやっぱり言わなければよかったと自分が悪いみたいな気分になるくらいなら、我慢すればいいや、を選んでしまう。

昨晩もわたしは自分を押し込めた。夫は自分を崩さない人だ。だから強い人だ。それゆえわたしの気分の波に飲まれずに生きていける。

だけど、だからこそ彼を変えるのはとても骨の折れる作業だ。わたしの苦手中の苦手なことをやらなきゃいけない。しかも根っこの価値観が全然違う部分だとどこから説明したらいいか途方に暮れてしまう。そしてそうやって用意周到に練った言葉も、夫の強い言葉で言い返されて、結局わたしが我慢すればいいや、に落ち着いたりする。

損だ、と思う。細かいところに気が付いて、人の心の動きに敏感で、HSPは生きづらい。でも素敵な特性だと思っている。思いやりのある人になれると感じている。でも損だ。基本的に、折れる事が多い。

天国からおっきいばーちゃんに励ましてもらおう。杏子、損して徳とれ。と。

徳っていうのは、

「仁」  人を思いやる心
「義」  正義を貫く心
「礼」  礼を尽くす心
「知」  知恵を磨く心
「信」  人を信じる心

(引用元:経革広場)

ってことらしいです。仁=利他愛、ということだから。きっとわたしの徳貯金はけっこう貯まっているはず。

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新恒 杏子
倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!