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日常を体験するという生き方

生きることは体験を意識すること。私たちの中には、実は未体験なのに知っていると思い込んでしまっている知識がたくさんある。

そう言われてみると、確かに私たちは知識として知っているものを、あたかも体験したかのように感じていることが多くある気がしてくる。たとえば私は、パンダやゴリラがどんな姿をしているかは知っているけれど、実際にこの目で見たことは一度もない。

世界には未体験が溢れている。
体験を意識して味わって生きよ。
なっちゃいない。
漫然と日常を生きるな。
何を前にし、何をしているかを意識しろ。

日常をどれだけ面白がれるかで、自分の見えている世界が変わる。この本はそれを「体験を意識する」ことを通して私たちに伝えてくれている。

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以前私が『100のやりたいことリスト』を書き出して実践していた頃、その項目のひとつに『毎月ひとつ、はじめての体験をする』というものがあった。

それは「挑戦する」という意味で、私に前向きな意味を与えてくれていたけれど、日常において意識的に「未体験」を探すことは、日々を有意義に過ごすという側面からも、すごく大きな意味を与えてくれるものだった。

たとえば、年越しに除夜の鐘をついたり、旅行で行ったことのない県を訪れたり。そういえば、初めてティーバックを履くなんていう体験をしたこともあった。

ティーバックを履いたことのある方ならお分かり頂けると思うが、お尻の部分の布が少ないというそれだけで、これはもう何も履いてないのと同じでは…?という感覚に襲われる。そして、実家でそれを洗濯に出すときにはこれまた妙に結構ドキドキしてしまって、結果的に母親からは「…なんかこれ、布の面積やたら小さくない?」と、(眉間にシワを寄せながら)奇妙なものを見る目で言われたことは、今ではいい思い出だ。

はじめての体験の中には、街頭インタビューを受けた!なんていう貴重な体験もあったりで、それらは私の中でかけがえのない思い出であり、かけがえのない体験であることに違いない。

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先日私は、知識は経験(体験)には勝てない…と感じて無性に悔しくなったことがあった。

知識は経験には勝てなくて。でも、知識でカバーすることしか出来ない自分が悔しい。結局、なにひとつ満足に出来ない自分が悔しい。

仕事で「経験不足」によるもどかしさや焦り、悔しさを感じた夜に、私はそんなことを呟いた。

どれだけ知識として頭に詰め込んでいても、実際にそのような出来事が起こると私は全く対処が出来ない。点と点が線で繋がるのは、結局それが体験として自分の身に起こったときなのかもしれない。

先輩に追いつきたいと、私が必死に詰め込んでいたそれらは「実は未体験なのに知っていると思い込んでしまっている知識」でしかなかったのだということを、私はこの本を読んで気付かされた。

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色々な経験をしている人というのはそれだけで魅力的に思える。それはその人が唯一無二の存在であることを表しているような気がするし、視野が広いのでどこか余裕があるようにも感じられる。

体験の哲学には、巻末に「体験」のヒントになる一覧が記載されていて、ページのラストには、「飲茶が選ぶ、ぜひあなたに体験してほしいこと」なんかも記載されている。

一人カラオケ、一人映画、一人旅…。なかには私が実際に体験済みの項目なんかもあって、そういえばいつか、そんなことを記事にしたなあと思い出した。

日常に体験を。

きっと、不自由の多い今だからこそ、そうして得られた体験は、より大きな気付きを私たちに与えてくれるような気がしている。この時代の不自由さも『今だからこそ体験できること』として捉えてみるだけで、普段の日常が少し違ったものに見えてくるかもしれない。

改めて私も、その意識を持って日常を過ごしていきたいと思った。

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