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「適当」が苦手なわたしは叫ぶ

私はどうにも「適当」が苦手だ。きっちりしないと気が済まないというよりも、私は「適当」の匙加減が分からない。

料理でいうところの「少々」がまさにそうで、他の材料はきっちり分量を書いてあるのに、なんで塩コショウだけ「少々」なの…。と思ってしまう。

この時点で、そんなの適当でいいでしょ!って思う方がほとんどなんだと思う。それでも、適当だとか少々だとか言われても、私はそこに「正解」とされる適当が存在すると思っているのだから仕方がない。

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皆さんは、こんな経験をしたことがないだろうか。

「これってどうやってやるんですか?」

『あ、これ?適当でいいよ!』

その言葉通り、適当にやった結果。

『え?!なんでこんなことになったの?』

((え…さっき適当でいいっていったじゃん…泣))

正直、その人の「適当」=丁度いい度合いなど私には分からない。でも誰か(特に目上の人)の言う「適当でいいよ」の適当には、絶対に、絶対に答えがある。

料理だってそうだ。少々とはいっても、確実に美味しくなる分量は存在する。少なすぎれば味が薄いし、多すぎれば味の濃い料理が出来上がる。

困ったことに、この部分を事細かに教えてくれる親切な人はほとんどいなくて、「慣れ」や「経験」なんていう言葉で簡単に片付けられてしまう。

料理ならばそれでもいいのだ。少しずつ調味料を足して、好みの味になったところで止めればいい。確かにそれは経験であり、慣れなのかもしれない。でも、仕事の場合はそうもいかない。「状況を見て適当に金額を決めてくれていいよ!」なんて言われても、100,000円の請求が妥当なところを50,000円にして請求してしまっては一大事だ。私はその、状況と適当を結びつける術を知りたい。

恋愛だってそうじゃないか。

「誕生日プレゼント、何がほしい?」なんて質問に、「もらえたらなんでも嬉しい!」なんて言っていても、そこには必ず、正解とされる答えが隠されている。(プレゼント"いらないよ"って言われたら何あげても喜んでくれるけど、"なんでもいいよ"は結構期待されてる場合が多いと思ってる。笑)

♦︎

私はいつも、完璧主義者だと思われることが多い。自分ではそうは思わないし、どちらかというと結構ズボラだと思っているが、周りからは常に「完璧」を求める人間に映ってしまうらしい。

私はそれほどまでに、完璧を求めているのだろうか。でも、「言われたこと以上が出来る人」に憧れる私は、求めた答えを無意識に最低ラインとして、それ以上を求め続けているのかもしれない。「適度に手を抜くことも覚えなさい」なんて言われてしまったりもするのは、そのせいなのだろうか。

一体私はどうすれば、世の中でいうところの「適当」な人間になれるのだろう。相手の望むもの、求めるものを必死に読み取ろうとする行為自体が、適当を遠ざけてしまう原因なのだろうか。

とにかく、そんなわけで。

色んな意味を持って私に襲いかかってくるごちゃごちゃした「適当」たちから、私は無性に逃げ出したくなってしまうことがある。

でも、そんなときほど、完璧に私を癒してくれるものたちを求めずにはいられないのだから、なんだかもう「とにかく適当に甘い物を持ってきて!!」と叫んでしまいそうだ。

何度でも言おう。

お願いだから誰か、適当に(私の好きな)甘い物を持ってきて!!!

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yuca. | 染葉ゆか(Yuca Aiba)
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