外の面のはなし
「あの人って、裏(プライベート)では○○らしいよ〜」
よくある噂話に出る一節。
好奇心をそそりながら相手を勝手にイメージ付ける言葉。
私たちは初対面の人と出会った場合、見た目で7割を印象つけてしまうらしい。
(メラビアンの法則だったはず?)
だからこそ、見た目に気を使うのは有効な作戦。
最初の印象が確実に今後を左右するから。
人は、予測できないことがあると不安に思いやすい。
だから、相手のことを先に知っておきたい。
そんな心理をSNSはうまく利用している感じがする。
誰かが作ったものに関して、裏の意図がないものなんてほとんどない。
つぶやきも、映像も、物語も、写真も。普段目にするメディアは、
自分が感じたこと、見たものをそのまま映しているように見えて、
裏にはかなりの確率で製作者の意図が組まれている。
誰にだって「外面」はあるだろう。まるで仮面を取り替えているように。
私たちは、家庭内での役割と社会上の役割を兼任して過ごしている。
家では、出生順に姉、弟などに分けられて、子供を産めば親になる。
甘えられる度合いも違うし、家族の形によっては扱いに差が出ることもある。
誰もがそれぞれの場所で、同じように過ごせるわけではない。
外面と素に差があることが悪いわけじゃないはずだ。と、私は思う。
好奇心で裏側を探りたくなるのが人間だけれども。
相手の全てを知ることなんて不可能なのだから、どんな裏側があったとしても勝手に幻滅したってしょうがないじゃない。
意図的に隠してたとしても、その事実を認めていくしかない。
騙されたとしても、そこまで深く付き合いたいと思うなら、それなりの関係に踏み込めるほど何かしらの感情が生まれているんでしょう。知らんけど。
こんなことを唐突に言ってしまう私は、
実家と、学校にいる自分と、外部で仕事している自分が、あんまり統一していない。別人て言うほどでもないけれど。
もちろん、無意識に全て同じ人もいて、分けるって言う概念すらない人だっているだろう。
それが正解というわけでもないし、模範と言うわけでもないと信じたい。
「女の子がお化粧するように、性格にお化粧して何が悪いの!」
昔そんな少女漫画を見た記憶がある。
ほんとそうだよなと思った。化けることが悪いわけじゃない。
化けて騙そうとすることが悪い。化けて一生懸命演じることは悪いわけじゃない。