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怪物って実は…映画「怪物」を観て考えたこと

是枝裕和監督の「怪物」を観ました。
おおまかに言うと、最初は小学生の息子の挙動が気になるシングルマザーの視点、次に息子の担任の視点、最後に息子本人の視点と、同じ時間に起こるできごとを、重層的に描いていて、かなり見応えがあります。

母親には息子や学校が、学校や担任には生徒や親が、子供には親や先生の動きが理不尽に見えたり納得がいかない中で物語が進んでいくのですが、これって実はふだんの私たちの生活にもあてはまることで、わが身をふりかえってしまいました。

最初の母親(安藤サクラ)の視点は、私自身も母親で思春期の子供がいるので、ナチュラルに共感します。

本人にこちらの気持ちをすべて伝えるかどうかはともかく、子供にいつもと違うところがあると気になってしまう。
ここのあたりは個人的には、過去にいろいろ失敗をして学んだ結果、ここは見守るところ、ここは一言こちらの気持ちを伝えておくところ、ここはしっかり話し合うところ、という見極めとバランスが大切だと思うようになりました。今もたまに間違いますが。

子供って、ほめるだけ、見守るだけでいいというのとは違うと思うんです。

ただ、ふだん仕事をしていて忙しくしていると、ついショートカット的意識で先回りして注意したり、説教したりが多くなりがちです。
それが必要ではない子供なんていないし、逆に全く必要ないできすぎ君も微妙に不安です。

そんな母親(安藤サクラ)が学校に相談しても今一つ真剣に取り合ってくれず不満がたまる。

でも、次の担任の先生(永山瑛太)の視点で描かれると、あれっ?という感じで同じ出来事も様子が違ってきます。

最後に子供たちの視点が入ると、もろもろとつながりながら、もう完全にアナザーストーリーが展開されている。

怪物って、誰もが誰かの怪物になり得るんですね。良かれと思っていてしている行動でも。

ひとつの見方だけで、偏った情報だけで判断することがいかに危ういことか、この映画は教えてくれます。

心の中にいくつかのカメラを設置して、ドラマや映画のようにいくつかの角度から見ていくイメージ。難しいですが、そんな心がけでいれば、よい方向に流れるのではないでしょうか。

家族でいるとき、夫婦で話しているとき、もめているとき、仕事で上司や同僚やクライアントと話してるとき。1カメは自分の視点、2日目は相手、3日目は周り…。いろいろ切り替えて考える柔軟さを持ちたいものです。

もうひとつ、この映画で思ったのは、コミュニケーション不全の問題です。母親と先生、学校はもっと詳しい話し合いが持てかったのか。子供が話したくなるように母は関係を気づけなかったのか(思春期はかなり難しいこともありますが)。
コミュニケーションはうまくいっているとき、相性がいい相手とは楽しいものです。でもいったんこじれたり、苦手意識があると回避する方向に気持ちが働きます。

でもそこをなんとか、やはり小さな勇気をもって、それぞれが、少しずつでも動けば、展開が変わったのではと思うのは楽観的すぎでしょうか。

人間は、自分以外はぜんぶストレスだそうです。
でも、生きていれば当たり前に囲まれる。忍耐と寛容、対話、受け入れる。

コミュニケーション不足からくるストレスって、避けてばかりだと結局は「高くつく」し、形を変えてやってきます。どうにか解決法を自分で編み出すまで。

放棄、放置も人生ですが、豊かに生きたいなら、自分のペースで量稽古をしていけばいいのではないかという気がします。

…と、ここまで書いて、こじれ具合や、ほんのささいな行き違いや人の心の機微なんて、そう簡単には、方程式のようには明解じゃないよね、割り切れないこと山だよね、ということを深くわかりやすく表現できる是枝監督は、やはりすごい監督だと思うのです。





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