はなちゃんのお父さん(安武信吾さん)と出会う
「はなちゃんのみそ汁」の本を買って読んだことがあった。
この本は、20代で乳癌、結婚・出産を経て癌が肺に転移という過酷な運命を背負った安武千恵さんが「食が体をつくるのだ。食が命をつくるのだ。」と、娘のはなちゃんに「生きる力」を身につけさせようと過ごした日々を綴ったブログを基に、夫の安武信吾さんがまとめ、書籍化したもの
2012年に文藝春秋より出版され、17万部のベストセラーになり、2015年に映画化された。
映画は見てないけど、本を読みながら、自分と色々と共通点がある事に気づいた。
安武信吾さんの出身地(福岡県)
カナダのバンクーバー、レイクルイーズを訪れている。
千枝さんと関わりが深かった福岡県行橋市にある内田産婦人科の助産師の内田美智子さん、私の実家も行橋で、姪の出産の際はここでのお産を勧めた。
千恵さんが立ち上げたホールフードスクール福岡校の講座に3年前に申し込みをした。(定員に満たず開催中止)
本に登場する長崎の無農薬有機野菜農家の吉田俊道さんのふりかけを、毎日食べている。
私の好きな免疫の権威、今は亡き安保徹先生の言葉も…
「大人もストレス感じるように、子供だってストレス感じてるんだ〜、どこで見分けるかは夜子供が寝るときに歯ぎしりしてるかどうかを確認するんだ〜」
2003年12月から始まった西日本新聞の連載記事「食卓の向こう側」は当時よく読んでいた。記事の切り抜きを捨てられずにいまだに大事に持っている。
食というモノサシを通して家族や地域、環境や農業、医療、教育、福祉のありようを見直す試みだったというこの連載には安武信吾さんも関わっていたのだそう。
大名町カトリック教会で行われたの千恵さんの葬儀(四十九日の追悼ミサも)には行橋カトリック教会の山本神父が駆けつけた。この教会の横にある行橋カトリック幼稚園に、私は通っていた。
こんなにシンクロが多いとは。
千恵さんがはなちゃんについて語る。
朝からクッズ入り梅醤番茶を飲み、玄米を食べ、酵素を飲み、梅干しとたくあんを好み、おやつに炒り豆と焼きめざしをかぶりつく。「夕飯何がいい?」と聞くと「玄米おにぎりと納豆とおみそ汁」と答える3歳児は、世界中探してもそうそういない。母親はがんだけど。彼女はこれから人一倍生き抜く力をみにつけていくだろう。
はなちゃんは毎日おみそ汁を作る。これは5歳の誕生日からの日課。
「食べることは生きること。一人でも生きる力を身につけて。」と
33歳で亡くなった母・千恵さんと約束したから。
本の中に子供が作る「弁当の日」の発案者、竹下和男先生の名前があった。
安武信吾さんが製作総指揮・監督を務めた「弁当の日」という映画は
4月から全国で自主上映がスタートする。
大名教会の繋がりで、吉田夫妻は「弁当の日」の試写会に招待され、素敵な映画だから、上映に興味があったら安武さんに会うといいと機会を設けてくれた。
安武さんと会ったその日、大分県の日田で「弁当の日」の試写会が開催されていたものの、どう考えてもそこまで行く手立てがない、イギリスに戻る日は近いし、この日以降私が行けそうな試写会の予定はなかった。
何とか「弁当の日」を見られないかと安武さんに懇願、監督の家だったら見られることを知り(当たり前、笑)自宅まで押しかけた。爆
そして、安武監督のパソコンで一人試写会がスタートした。
途中はなちゃんがウロウロしているのを感じながら、映画を見続けた。
最後の音楽を聴きながらエンドロールまでしっかり見て、余韻に浸る。
大人は決して手伝わない、子供たちが弁当を作るのを、ただ見守る。
はなちゃんが一人で料理を作れるようにして旅立った千恵さん、
その千恵さんへの愛と想いが詰まった映画な気がした。
ほとんどの親が子供の勉強を優先させて料理は作らせないけど、
料理が自分できちんとできる子は、集中力もあり、成績も良い気がする。
そういう子は、人に優しく、礼儀正しく、素敵な大人になっていく。
「めんどくさい」は幸せへの近道、
自分でつくる、家族につくる。小さな実践が子どもの成長を後押しし、教師を変えていく。
100年先の日本を見据えた食育活動のドキュメンタリー、
4月から始まる上映会にぜひ足を運んでみてください。
映画を見終わった時、はなちゃんは塾に行ってもういなかった。
千恵さんにお線香を上げさせてもらい、監督にお礼を言って、
私がリクエストしたもつ鍋を作って待っていてくれる友人の家へ向かった。
そこまで徒歩20分、
シナリオはなかったが、すべては完璧だった。
玄関に、はなちゃんの似顔絵と、パパへのお誕生メッセージがあった。
千恵さんは今も生き続けてる。
安武監督の自宅で、映画を見ながら、不思議と千恵さんの存在を感じた。
私が吉田夫妻の家で初女さんを感じたように、
安武さんとはなちゃんを、見守り続けてる。
何だか心がほっこりした1日だった。
神の采配はいつも完璧で、予期せぬサプライズばかり
奇跡は、やっぱり、余白に舞い込む気がする。
そして続いていく、きっと今日も、これからも。。