預言カフェのお告げは当たったのか?
今日は、ちょうど1年前に一緒に預言カフェに行ったK夫妻と、オンライン忘年会で久しぶりにその時のことを振り返ってみた。
友人夫婦は、その時に言われたことが、今年ほとんど現実化していた。
1年前の段階で、それぞれの状況にピッタリのアドバイスだった。
そして、今このメッセージを再び聞きながら、これは神からのお告げで、「預言」だったことがわかる。
私が1年前にもらったメッセージ。。。
主は言われます。我が愛する娘よ、私はあなたを愛していますよと。
娘よ、あなたは本当に力強い。本当に、私の愛を、ますます、炎・情熱を帯びて、ますます挑戦していく、トライしていく、何かそのような娘です。
サッカー選手が、ゴールを決めなければ意味がない、というか、得点を決めなければ結果がないみたいに、あなたがちゃんと挑戦した、良いものが、ちゃんとゴールにつながる、ゴールにちゃんとボールが入る。
そして、このことが、結果になった、形になった、と人が見ていて、だから、戦略を練る、何か戦術を練る、今そのような時です。
その、表面だけ蹴っていればいい、表面だけこうしていれば良い、ドリブルしたり、リフティングみたいにボールをポンポンと足や手で上げたり、色々なことをあなたは学んできたけど、実地の攻撃体制というか、状況を見た時に、本当はすごく広い状況を見る。
あなたが、現場監督のように、広い目線で、一人一人の立ち位置を得、また何かその状況に、新しい展開を見ていく。
知恵深いもの、本当に慈しみ深い、哀れみ深い、私の愛を知って、それを益々人たちに分かち合う、状況を与える、良い娘として、私があなたに、その炎、その情熱を与えています。
みんな自分の場所が欲しいというか自分がスター選手になりたいみたいな、でも、あなたがそうではなく、逆に一歩引いていた、何かそうじゃなくて、「本当に大事な事って何なんだろう?」って…
だから指名争いみたいに、みんながこうしてああしてって、今本当に「何が大切なのか?」「何が良いことなのか?」あなたが、ますます知りながら、人たちに良い見本となる、模範となる。
「ああこうしてはいられない」と、何かこう、欲とか不足とか、何かこの世の価値観や基準によって、何かみんながドキドキして怖かった。
でも、そうではなくって、ここに居場所がちゃんとあって、僕たちも、私たちも、ちゃんとやるべきことがあるのだ。
それぞれが目を覚まして、何かその時に、応じていく。
だから、あなたの、最初は拙くても「こんなやり方で良いのかな?」「こんなんで大丈夫かな?」と思う、その一つ一つは、ちゃんと見える人には見えていて、わかる人にどんどん広がっていく。
だから娘よ、ますます新しい戦術、新しい戦略、私からの良い地図を得る、そのものであってください、と主は言われます。
我が愛する娘よ、私はあなたと共に在ります。
このメッセージを聞いた時、実はそこまでピンと来てなかった。まだ起きていない現実を想像するのは難しく、これからやろうとしている世界がどんなものかすらよく分かっていなかった。
ただ、「これからやろうとしていることは、拙くても大丈夫なんだ」ということだけは理解できた。
手探りでここまで駆け抜けてきて、1年経ってこのメッセージを聞き返し、私たちは、神さまなり守護霊なり、何かしらの存在に守られているのではないかとますます思える。
こうして見守られているのがわかると「何があっても大丈夫」という揺るぎない自信が湧いてくる。
今年は預言カフェには行けなかったけど、自分なりに来年やりたい事など、引き続き、戦略を練って行動に移していきたい。
東京周辺に住んでいる方、ぜひ「預言カフェ」行ってみてね〜!