先生に求めたもの。
私が先生に求めたもの。
それは、特に親との関係ではどれだけ得たくても得られなかった、気持ちを受容してもらうという体験だった。
良い悪いの判断やアドバイスをする前に、ニュートラルに、ただその気持ちがそこにあることを認めてもらう。
確認してもらう。
「そうなんだね。あなたはそう思ったんだね。」と言ってもらう。
それは同情ではない。共感でもない。
それぞれ別の人格であること、自分の気持ち、相手の気持ちはそれぞれ自分で責任を持つことを前提にしつつ、人と人として尊重し合うこと。
もしかしたら、友人との間で、何かしら繋がりとか、自分が受け入れられている感じがもう少し持てていれば、同年代との関係に留まることはできていたかもしれない。
でも、私の場合、それは難しかった。
これといって、虐めたり虐められたりする経験はなかったけれども、話が合う、自分を打ち明けられる友人関係はなかった。
成績が良くて、優等生な自分。
だけど、例えば部活動や趣味をベースとして、この人、もしくはこの人達という落ち着ける居場所はなく、として、なんとなく所在のない感覚をずっとずっと抱いていた。
その結果、受容体験への強い希求と、17歳という異性への関心がセットになって、先生に親代わり、育て直されることを希求したのだと、今振り返るとそういうことだと思う。
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