コンビニ人間と虎
私はコンビニ人間をまだ読んではいないが、
自分がコンビニ人間だという自覚がある。
産まれて30近くが経とうとしているが、
仕事で褒められたことも無いし、
勉強は暗記ができなかった。
いや正しくはやれと言われた時に、
やってこなかったからだ。
大学受験が迫る3年3学期の冬、
糸がぷつりと切れたかのように勉強をする事をやめて、部屋の中でプリキュア5を泣きながら見ていたことを思い出した。
もしくはソチ五輪の浅田真央のフリーをみて、
諦めないことの大切さを感じ涙したのである。
伝えたいことは一つ、
人生において共通認識を持つ共同体から認められることは何事にも変えられない幸せなのだと感じることだ。
コンビニにしか居場所を感じられない、社会との接点を持てなかった主人公は、
自分が人として肯定される居場所が欲しくて頑張っていたのかもしれない。
わたしの居場所はどこだろうか。
働いては自分の性格からか居場所を無くして転々としてしまう不甲斐なさがある。
どこであったら居場所を見つけられるのだろうか
人は孤独だ。
孤独を乗り越えたら無欲が待ち構えているのか、
はてまた完璧無敵な人間が産まれるのか、
きっと生まれるのは何にも交わろうとしない
傷つけられる自尊心を恐れた山月記の李朝
なんかじゃないだろうか。
私は虎になってしまったのだろうか。
コンビニ人間よりは少し動物らしいけれど。
他者はこういう。
自分を受け入れることが大切だ
愛さえあれば
思いやる心は世界を変える
李朝は、虎は、コンビニ人間は
その類に当てはまるのだろうか。
その場しのぎの一時的な愛を得たところで。
社会に出れば野晒しの段ボールが強風で煽られるかのように冷たいヤジが飛ぶ。
それでも信じることが自分を守るのか。
ハンドクリームのように乾燥した手にバリアを貼る…いや何を言っているのか。
人生に感動は必要だ。
浅田真央のフリーはドラマ性があった。
人が感動するのに、どれくらいの命が削られたのだろうか。
私はこれ以上傷つくのが嫌で頑張ることをやめた。
それでも何かを模索し続けるのは、
誰かがご褒美をくれるから?
そうでもしないと頑張れない。
きっとご褒美なんかがなかったとしても
動き続けるのだと思う。
どうしようもないコンビニ人間だ。
しょうがないやつなんだ。