「寄り添う」ってなんだ
私は音楽が好きだ。楽器を演奏するのも、曲を聴くのも。
中学高校と吹奏楽部に所属していたけれど、少し疲れたから、大学でゆるーく音楽活動続けようとして、新しいジャンルの音楽系サークルに入った。
ところが、大学でもそのジャンルの音楽の魅力に憑りつかれてしまって、空いている時間は積極的に自主練に行っているし、貴重なバイト代を費やしてコンサートにも何回か足を運ぶようにもなったし、とうとう社会人団体に入るのを夢見るようにもなった。
もちろん、私以上に音楽好きな人はいるだろうし、中にはプロを目指す人だっているだろうけれど、こんな感じで私は私なりの"好き"がある。
ゆるーく以上、ガチ未満みたいな。
自分の中で真剣に音楽に向き合って、上手い下手のものさしで測られない環境で発表することが、一番のびのび活動できる気がする。
ただ、その真剣さを他人まで押し付けようとしてしまうのか、本当にゆるくやろうとしている人などに対してイライラしてしまうこともある。特に、大事な本番の前は。
その人はその人なりに、別のことを大事にしていて、そのことを大事にしたいのだろうと思う。あるいは、学業や他の事情があって、なかなか練習に励めないという人もいるのだと思う。
そのことを頭の中では理解できても、心がそれをすんなり受け入れてくれないことの方が多い。
サークルの友人は音楽以外に楽しみとか、大切なものとかを何かしら持っていて、ときに悩んだりする。友達自身の打たれ強さとか考え方によっても、悩みは人それぞれなのをここ数年で見てきた。
その人たちは学業の忙しさ、就活の大変さ、メンタルの打たれ弱さなど、今まで色々話してくれた。
けれど、私はいつもその人にちゃんと寄り添えているのか、少しでも負担を癒せているのか不安になる。
メンタルの打たれ弱さに共感することは多いかもしれない。一方、学業の忙しさや就活の大変さは共感できる部分が少ないのを、私は心のどこかで感じている。
どれだけ忙しい時でも音楽を優先してしまう。合奏練習を休んでバイトに行く、とか、何かと引き換えにその日の活動を諦めるということをあまりしてこなかったし、周りよりも時間的にも、精神的にも何かと余裕がありすぎるからだとも思う。
そんな私は弱った友人たちの役に立てているだろうか。
できるだけきちんと話を聞いて、少しでもその人を癒せるように心がけているつもりだけれど、話のすべてに共感できるわけではない。
そんなときにふと漏れる自分の言葉が友人を突き刺していないか、家に帰ってから過去を回想し、少し不安になる。または、こう言ってあげればよかったんじゃないか、と思うこともある。
どちらにせよ、あるひと言は人を救ったり、逆に深く悩ませたりすることもあるから、感情的になりやすい夜は特に言葉に気をつけたい。
なるべく多くの悩みに寄り添える人でありたい。
夜、練習終わりに友人と話しながら、悩みを聞きながら帰る度にそう思う。