弱さがあるからこそ
あらゆる物事を上手にこなせても、または苦手なものを練習とか努力とかで克服できても、どうしても毎回つまづくこと。
───自分の心の弱さについて。
その日の気分にもよるけれど、苦手な人、あんまり近づきたくない人が関わる出来事は9割ぐらい気持ちが沈みます。
嫉妬とか、イライラとか、不甲斐なさとか、無力感とか。とにかく、ネガティブな思い全般。
それで毎回必ずやって来るのが、そう思ってしまう自分の心の弱さに対する自己嫌悪。
私が見えている部分だけでもキラキラして、色々な人と分け隔てなく接している友人とかを見ると、どうして自分の心はこんなにも弱くて黒くて不安定なのか、と思わずにはいられない。
友人がとても眩しく映る。
そんな時に大体、というよりも毎回するのが、
音楽を聴きまくることと、自分の気持ちに寄り添ってくれる言葉を探すこと。
気がつけばずっとスマホを触ってます。
その時の気持ちにマッチするような言葉が見つかったとき、気持ちの整理が着いたとき、そこでその悩みは終了。
モヤモヤを解決させようと、よく聴くのが傘村トータさんの楽曲なのですが、とりわけ毎回聴いているのが「抜心(ばっしん)」という曲。
ずっとこの曲に救われているのですが、概要欄が本当に大好きで。悩んだときに読むと、毎回涙してしまうくらい。
この言葉だけで、何度助けられてきたか。
弱い心を認めてくれる傘村さんの優しさ、
それに向き合う人をえらい、と表現してくださる嬉しさと、包み込むような安心感。
自分が自分で心に突き刺した、トゲのような自己嫌悪が1本1本すっと抜けていく感覚を覚えます。
そうだ、自分の心だからこそできることがあるんだ、と。
弱いからこそ、同じ痛みを抱える人のそばにいることができる。
弱いからこそ、それを受け入れ進めたときには、ひと回り成長した自分に会うことができる。
弱いからこそ、そんな成長した自分は今よりもずっと美しく、綺麗に輝くはずである。
弱いからできること、とても魅力的だと私は思います。簡単にそう思えない日の方が多いですが、悩んだとき、いつもこの結論に行きつきます。
小さなことでクヨクヨしたり、純粋になれず黒い感情を持ってしまいがちな「弱い」心ではあるけれど、
悩んだとき、何かにぶつかったときに、しっかり腰を据えて自分の心に向き合えることは、別の意味での「強さ」につながる何かだと信じています。
自分の弱さが、心を傷めている誰かに寄り添える強さでありたい。
そう思い始めたここ最近です。