とある夜 短篇小説
「今どのくらい?」
「さあな~そんな高い山じゃないからもうすぐだと思うけどな」
他人事のように返す裕也は先ほどからずっと振り返ることなくすいすいと獣道のような道を歩いている。
「うわっ」
普段外で運動する習慣のないせいか、ぬかるみに足を取られるとそのまま引っ張られるように尻もちをついてしまった。
「なんだよほんと……」
冷たくて粘っこい泥が手のひらにまとわりつく。
最悪の気分だ。
何が楽しくてこんな遅い時間に山を登っているんだろうか。
久しぶりに家を訪ねてきたかと思えば、車に乗せられてあれよあれよと人気のない道を進み山の麓の駐車場に着いた。
「今から登るぞ」
車を止めてそういって後部座席にあるトランクを開けると二本の懐中電灯とカーキのリュックがあった。
リュックを裕也は背負いこちらに懐中電灯を渡した。
「はい、これ。山の中は思ったより暗いから落とすなよ」
渡された懐中電灯はひねると光る形状だった。
持ち手の部分はポケットに入るほどコンパクトだが光量は申し分なかった。
訳も分からないまま歩き始めるともう自分の中で反対するほどの元気はなく愚痴るように短くため息を吐いてみせた。
ついていくしかないのか……
相変わらず何を考えているのかもわからない。
学生の時から裕也には振り回されてばかりだ。
今回も気まぐれの遊びなのかいきなり始まった夜中の登山。
息抜きみたいなものだろうと高をくくってついていった事を今になって後悔した。
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山に入ると想像以上に暗くて光がなかったら目の前が真っ暗になるほどだった。
空を覆うように高く伸びている木が暗さをより増長させてお化けでも出るんじゃないかと思うほどだった。
歩き始めて体感で一時間は歩いているんじゃないかと思った。
けれど時間を確認するとまだほんの20分しか経っていないことがわかると歩く足が余計に重くさせた。
相も変わらず息切れ一つなく先に歩く裕也は懐中電灯の光にあてられて地面にゆらゆらと大きなシルエットを作っている。
「もう少しゆっくり歩いてよ」
「もう少しの我慢やから頑張れ」
短く突き放された言葉にムッとなったが声を張り上げるほどの元気は既にこの山を登り続けているせいでなかった。
半ば体重移動で動かしている泥まみれの足を今止めてしまうと、もう動きだすことが無い気がしたから足だけは止めたくなかった。
気付けば大きく揺れている影は小さくなり実態は光を当てても見えなくなりそうなほど離れていた。
足元にある剝きだされた木の根っこに足を取られてまた地面に手を着いた。
気力で動かしていた足が強制的でストップをかけられたような気がしてそのまま座ったまま真っ暗な森を仰いだ。
風に吹かれて木々が揺れそれが自分をあざ笑っている気がした。
肌寒い風が汗を冷やすように当たるが却って不快な気分だ。
もう動きたくない。
鼻の奥がツンとする。
ぼんやりとうずくまったまま鼻をすする。
「ほんと何してんだろ……」
独り言が思ったほど自分の耳を響かせたのは周りがシンとしていたからだった。
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「やる気あるの?」
ないにきまってんだろ。
喉まで出そうになる本音を飲み込み頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
上司の性格をそのまま表したような革靴は嫌味のようにとがっていて綺麗好きなのかギラギラと黒光りしている。
革靴を睨めつけていると頭の上からため息が聞こえた。
「はぁ……もういいよもどって」
上司の気が済むまで「申し訳ありません」を繰り返す。
今日は七回か。
毎度ミスを指摘する際に口癖のように言ってくる「やる気あるの」。
こんな場所お金さえ働けたらいいんだって割り切っているのに余計な発破をかけようと上司の山田はいつもその言葉を言ってくる。
入社して一年目から自分は既に辞めたかった。
周りが就職活動必死に走り回る中、半ば自分も手当たり次第に就職活動に打ち込まらざるを得なかった。
特にやりたいこともないし、志望動機なんてそれっぽいことしか言わなかった。
会社側もそれを見抜いているのか不採用の連絡で返事をする。
不採用の連絡は厚手のジャケットが暑苦しく感じる季節まで就職活動を続いた。
焦りは募りいつしかなりふり構わずに就職活動をしているとようやく一社から採用がもらえた。
小さな食品メーカーの営業。それが自分の就職先だった。
既存の顧客の営業周りや新規のリサーチなどやることはたくさんあった。
営業の人が少ないのかみんなが沢山の仕事を抱えて毎日必死に電話をかけたり夏場でもジャケットを羽織って外回りに繰り出している。
入社して自分も戦場のような職場でもみくちゃにされることを思うと身の毛がよだち、すぐにやめようと思ったが履歴書に傷がつくことだけを気にしてとりあえずは一年ほどは残ることを決めた。
「初めまして係長の山田です。これからよろしくね吉田君。少ない人やカラ君が来てくれてとても助かるよ。大変な仕事やけどがんばろうな!」
ワイシャツ越しでもわかる体格のよさとワックスで固められた頭髪はいかにもバリバリな営業マンだった。おまけに薬指には指輪がキラめいて机に子供であろう写真立てがあった。
いかにもな体育会系がインドアな自分にとって仲良くなれそうにないと直感で分かった。
「よろしくおねがいします」
「そんな緊張しなくても大丈夫だよ。わからないことがあったら何でも聞いてね」
快活に笑う姿は兄貴肌というより自分にとっては暴君みたいだ。
何が大丈夫なんだよ。言い訳を挟ませない声量が心底煩わしい。
こんなところでやってけるのだろうか。
そんな不安はすぐに的中して入社してから自分はミスの連続だった。
「昨日チェックしとけっていっただろ?お客様にどう説明するんだよ」
何度も山田から怒られては申し訳ありませんでしたと答える。
そんな毎日がもう慣れてきてもう三か月になる。
周りがはじめは指摘してくるが物覚えが悪いせいかミスを指摘することは無くなった。
振られてくる仕事も減り自分は誰でもできる雑務だけがほとんどだった。
なのに山田だけは何かに関しては仕事を振ろうとしたり一緒に外回りをさせようとしたりとしてくる。
もちろん自分は器用ではないことをわかっている。そのことをわかってミスをすることにも慣れていたのに山田は変わらずお決まりの言葉で攻めてくる。
「やるきあるの?」
無いって言ってやりたいがそんなことを言えばクビになるんじゃないかとビビッて言えなかった。だから「はい」でも「いいえ」でもない謝罪の言葉を繰り返す。
けどある日そんな言葉で引き下がってくれなかった。
「申し訳ありませんって何に謝ってんの?」
不意打ちを食らった気分のまま答えを待たずに続けて言われた。
「頑張ろうとしているのは知っているけどもっと自分を認めれる頑張り方を考えなよ」
諭すような言葉に返す言葉は謝罪しか浮かばなかった。
言葉に窮して何も言えずに「はい」と頭をまた下げると山田は自分の肩を叩いてオフィスを後にした。
頑張るって……どうしたらいいんだよ……
そんな日があってからもやもやとしたものが残った。
むかつく上司がとかではなくなにか自分に対してむかついていたのかもしれない。
ある日、怒られない一心で出来上がった発注書をチェックするために残業をしていると山田がこちらのデスクに向かってきた。
「遅くまでお疲れ様」
コトっとデスクに置かれた冷たいエナジードリンクの缶。
初めてそんなことをされた自分は困惑してしまいもごもごとお礼の声が濁る。
「あ、ありがとうございます」
「きつい仕事だけどがんばろうな」
その言葉を残して山田はまたデスクに戻った。
「帰らないんですか?」
「部下が頑張っているのに先に帰るのは気が引けるよ」
我ながら無礼な言い方をしたのにも関わらず軽く笑って返事をする山田にそれ以上話しかけることは無かった。
ようやく一段落着いた頃には十時だった。
「今日はお疲れ様。休日しっかり休んでまた月曜日頑張ろうな」
山田はパソコンのモニターから視線を外してこちらに声をかけてくれた。
「お先に失礼します」
気まずいせいか自分は続けてそれ以上は言えずに会社を出た。
外に出ると自分の部署だけがまだぽつんと光が灯っていた。
ほだされたわけではない。
やりがいなんか今だにわからないしあと一年したらこんな忙しい職場なんて今でも辞めてやると思っている。
なのにもやもやとした気分があった。今まで惰性に生きてきたのにどうしてかまってくるんだよ。
頑張っていない自分に対価なんて求めていないのに……
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あ、あった」
つまずいた拍子に落とした懐中電灯を探すと既に裕也の姿は見当たらなかった。
勝手に進んであいつは何がしたいんだよ。
上司の嫌な顔を思い出す。
誰とでも仲良くやれる裕也なら俺の会社でもうまくやれるんだろうな。
たまたま地元が同じで腐れ縁みたいな奴は就職せずに会社を立ち上げるとか言って周りの反対を押しのけて好きにしている。
そんな姿にはうらやましい部分があった。
自分のやりたい事が明確な奴。
それを伝えると自分が何か空っぽの傍観者のような気がしてなけなしのプライドが阻んで今まで伝えることはなかった。
そんななけなしのプライドはこのくらい山の中で被害妄想に変わり今もこうして一人で山に放置されていることに憤りと寂しさが襲ってきた。
なんでだよ。俺がなにかしたのかよ。
光にあたって泥まみれのスニーカー照らし出され惨めな気分になる。
今の自分はむくれつつも目の前にある気を木製の段差を登ることしかできない。
「おった」
こちらに向かって光が当たる。
段差の途中で裕也がいた。
「転んだ?」
「まぁ」
「あと少しで頂上やからがんばろうぜ」
「うん」
拗ねてぶっきらぼうな返事を気にも留めずに振り返るとまた段差を登り始めた。
裕也もさすがに疲れているのか肩で息をしているのがわかる。
「なぁ」
「どうした」
「なんで今日誘ったんだよ」
「気まぐれ」
それからは会話もなく小枝や土を踏む音だけだった。
「見えたぞ」
時間にして一時間。
そんな短い時間に着いた頂上はビルからでも見えそうな街並みだった。
思わず拍子抜けする。
むしろ時間が遅いのかきらびやかとは程遠いものだった。
「はい、これ。お疲れ様」
いつの間に準備をしていたのか魔法瓶のような水筒にコーヒーを注ぎ紙コップは湯気を立てていて汗で冷え切った体に優しかった。
「ありがとう」
「おう!」
大きく伸びをしてコーヒーをすする裕也は初めて明るい声で話し出した。
「実はさ~仕事がうまくいかなくて悩んでたんだよな。気分転換したかったからこの前上った山に登ろって思ったけどどうせなら和人も呼ぼってなったわけよ。でもさっき見失ったときは焦って階段上り下りしたな。まあ無事昇れてよかったよ」
勝手にずんずん進んだのはそっちじゃんかよ……
そんな悪態も浮かんだけど蛇足だと思い代わりに思いの丈をぶちまけた。
「裕也はよくやってるんじゃない?正直すごいよ」
「おぉ、そうか?うれしいなぁありがとう」
「まあな。やりたい事が無い俺からしたらすげえって思うよ」
「そうか?和人も今の仕事なんだかんだ辞めずにやってるじゃんか」
「惰性でやってるだけよ」
「そう見えんけどな」
「わかったようにいうなよ」
「わかるよ友達だから」
見え透いたように話す裕也に不思議とむかつくことは無かった。
コーヒーを口に着けるとすっきりした酸味と匂いが鼻腔を通った。
夜景の街並みの代わりに空を仰ぐと星が瞬いていた。
コーヒーを飲み干すと無性にお腹がすいてきた。
「というかここまできてコーヒーだけ?」
「流石に火を使うのは駄目だからなぁ、次はキャンプでも行くか!」
「先にらーめん食べたい」
「おっけ。なら帰りしに寄ろうぜ」
飲み終わった紙コップをレジ袋にいれ、リュックに入れると裕也は歩き出した。
後ろをついていくように自分も歩き出す。
裕也が背負うリュックは改めてみたら大きかった。次にキャンプに行くときは俺も何か持ってこようかな。
あ、そういえば山田係長が確認する明日の資料もう一度チェックしておかないとな。
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