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主よ、あなたが招待されている新しい世界が素晴らしすぎて
だから、イエスさまはたとえとして、「右目、右手があなたをつまずかせているなら、えぐり出し、切り落として捨てよ。」と言われたのです。
ゲヘナは信仰が無い、自己中心の悪(罪)をおこなう、悪者、罪人、自由人が行くところです。
なぜ、罪を行うと滅びるのか?、イエスさまが十字架につけられ、血を流されたからいいのではないか?しかし、神はそうは言っておられないのです。恵みを放縦に変える者たちを神は糾弾しておられます。
よく聞く、イエスが死なれたのは、わたしとあなたの罪のためだったと。
その意味は、信じる者が罪を犯さないようになるためなのです。
それを、伝えていないから、自分はイエスを自分の救い主として信じた。もう自分の罪は赦された。しかし罪には到底、勝てない。だから、仕方がないという考えに陥るのです。しかも、聖化の教理が、悔い改めをさせないようにしています。
本物の信者は、イエスのために生きるようになります。
御霊により、神を愛し、隣人を自分自身のように愛するように願い、そうなります。
罪を憎み、断じて犯したくないという気持ちになります。この願いも叶います。
その人の信仰には決意があります。
信仰ゆえに被るわざわいにも、その他、どんな被造物によってでも、たとえ、死であっても神の愛から引き離されないという信仰をもてるようになり、義を行い続けるという堅い決意を持ちます。
神が望んでおられることは、人が悔い改めて真理に至ることです。
つまり、イエスを信じて闇(罪)から離れ、光の中を歩んで生きることを、神は人間に対して望んでおられるのです。それを、本物の信者は自分の願いとして生きて行くのです。
聖書をいくら読んでいても、こういう信仰が与えられているとはかぎりません。気づきが与えられていないからです。
ぜひ、是非、新しい天と新しい地を目指して生きてください。
神がご自分の子供に対して約束されたのです。
神は、この約束を必ず果たしてくださいます。
ハレルヤ、アーメン
わたしは、今日、喜びをもってあなたの真理を人々に語りました
それは、彼らの膝があなたの御前でかがみ、あなたを霊と真理をもって礼拝するためです
すべての被造物は、あなたの御前に来てこういう言います
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
栄光と誉と偉力は永遠にあなたのものです
ハレルヤ、アーメン
一atorie一からの引用