MBTIについてわかったこと。
MBTIに限らずだが、診断として己が何者かが分かったことを結果のままにできないのが現実だ。
その結果には反映先がある。その特性を使って成果を出さなければ、分かったところの己は、再び人を無価値化するだけだ。
擬似宗教としての血液型診断は他者を発見し、分断を生んできたが、MBTIは特性が16個もある複雑さが分断を成立させにくくし、社会に反映させる個人的な成果の高度化が、思考の特性が分かったところで無価値な自分を認めたがらないため、それが受容において、暇潰しのままでいられ長命な秘密なのだろう。
血液型診断と占星術が実在的な宿命的であるのに対し、MBTIはその通りに自己紹介できればそれで良しで、先が存在してはいけないのだ。
企業などで訓練がマニュアル化し、仕事に対する向き不向きに対する自覚もあるていど身につけられる上に、一部の作業は高度化しているため、
かつてのように一律的な勤勉さの反映先がないため、世の中の人々はMBTIに自己紹介のままでいられる現実を供給していることになる。
18歳以上であり、履歴書に氏名と住所とMBTI診断を書くだけで良くなる時代が来たとき、それが科学的根拠を持てば持つほど、精度は別として認知特性が差別の対象となる可能性が出てくる。
MBTIは、そこでようやく意味を持つ。