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鮨から学ぶ究極のコミュニケーション

最近、コミュニケーションについての記事や本が
よく目につくようになりました。

私自身のアンテナがそちらに向いているからなのか、
それともコミュニケーションがより注目されているからなのか
分からないけれど。

それでもやっぱり現代人の課題の一つとして、
言葉のコミュニケーション力の不足が挙げられ、
その原因や解決策などがより頻繁に講じられている気がします。

言葉のコミュニケーションはよくキャッチボールに例えられます。
相手が投げたボールを自分が受け取り、
また自分が投げたボールを相手が受け取る、
という非常に単純なもの。

でも、そんな単純なことが実行できていないから、
コミュニケーション力不足が挙げられていると言うことか・・・。

確かに言われてみれば、私自身も、
目の前の相手が話をしている時に頭の中では
自分の経験に当てはめて考えたり(自分の事にしている)、
次に何を言おうかを考えている(つまり聞いていない)ことが多いかもしれない。

それはつまり、相手の投げているボールを受け取る前に、
自分は次の違うボールを探したり、
投げる練習をしている、ということになる。

それでは、言葉のコミュニケーションが上手くいっていないと言われても
仕方がないのかもしれない。

しかし私は最近、ある場所で、
見事にコミュニケーションが成立していることに気づいたのです!

先日、近くにある大好きなお寿司屋さんに行った時のこと。

大将が仕込んだ魚に
抜群の温度のシャリを合わせ、
両手で包んだあと、私の目の前の鮨下駄に優しく置いてくれる。

私はその握りを一度眺め、口に入れて味わう。
ほとんどの場合は目を瞑って。モグモグと。

そしてその私が味わう姿を大将はじっと見届けている。
そしてしばらくの沈黙のあと、

「どう?」と大将。
「うンまい!」と私。

そして満足そうな、誇らしげな大将の笑顔。

大将が想いを伝え、
私がその想いを受け取り、
そして私がどう受け取ったかを大将が確認する。

そんな究極のコミュニケーションが、食の世界では成立していたのです!


つまり、

相手が言葉に込めた想いを
自分がまずしっかりと受け取り
じっくりと咀嚼し、考えた後に
反応を見ながら待っている相手に
自分の想いを伝え返し、
またそれをしっかりと受け取ってもらう。

これが、本当の
「言葉でのコミュニケーション」なのだと思います。

実際にこれを行うのは相当難しいでしょう。
でも、もしこんなコミュニケーションができたら
どんなに心が満たされ
安心感に溢れた関係を築くことができるのだろう、と
想像するだけでも暖かくなります。


目の前に置いてもらった鮨を
目を瞑って ゆっくり咀嚼するように

相手の想いを受け取り、
体全体で感じられるような
そんなコミュニケーションを目指したいな。

まずは一番近くにいる家族から始めてみようかな。

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