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#2 毒親との関わり方 ~毒親誕生から小3まで~

いつも読んでいただきありがとうございます。

今日は、毒親編の続きです。

書きながら、神様がことあるごとに守ってくれて(私はどれかといえば神道派)、そしてどれだけの人に支えられ、助けられてここまで生きてきたかを再確認する機会にもなっています。ありがたいことです。

前回は、「毒親が誕生するまで」を書きました。今日は、いよいよ始まった毒両親との実際の生活について書いていきます。

両親が宗教に入信したとき、私はまだ3歳でしたが、父親の変化にはいち早く気付きました。

前編を読んでいただいた方には分かっていただけるかと思いますが、母親にあまり望まれていないことは幼いながらも感じていたので、当然小さい頃は甘えてたんでしょうが、甘えた記憶が全くありません。

反対に、父親は子供が生まれたことを喜んで、可愛がって甘やかしてくれたので、父に甘え、父が大好きでした。

良く覚えているのは、私は当時「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きだったので、父が忙しい仕事の合間に、ゲゲゲの鬼太郎のフィギュアを買って家のポストに入れに来てくれたり、父がアパートの廊下でタバコを吸う時、一緒に外に出て、星を見ながら会話する時間がとても楽しかったこと。

その頃の父は、「デビューした頃の郷ひろみ」を想像していただくとまあおおかたそんな感じで、パーマをあて、裾の広がったジーンズを履き、時代に乗ろうとしてる、普通の若者であり良い父でした。

それが、宗教に入信したその日から、タバコをやめ(これは別にいいんですが)、髪型がガッチガチの7:3になり、黒縁真面目メガネになり、眉間にシワが寄って、いつもスーツを着るようになり、幼心にも、これは大変なことになったぞ、と思ったものです。

何よりもやっぱり、いつも穏やかでニコニコして、私を怒ることなどなかった父が、ピリピリして神経質で、いつも眉間にシワを寄せた顔になったことが一番悲しかった。

ピリピリして神経質なのは、宗教に入ったからというよりも、隠れていた元の性質が出ただけだと思ってはいるんですが、とにかく家の空気が変わりました。

それでも子供ですから、当然順応していくわけです。両親がいなければ生きていけない、なんてことをこの時点で思ったわけではないでしょうが、無意識に、必死に、両親、特に父に、喜んでもらえるよう努力してたんじゃないかと思います。

余談ですが、母も決して頭は悪くありませんが、父は特に学業優秀で、私にも多少遺伝したのか、ただ幼く無限の可能性があっただけなのかわかりませんが、壁に貼ったたくさんの蝶の名前を暗記し、世界の国旗を覚え、小学校に入る時点で、難解な本以外はすべて読めるようになってました。この時点では神童だったのかも。笑

何せ、宗教の教えが「信者以外の世の中の人と(勧誘以外では)できるだけ関わるな」というトンデモなものだったので、私は当然保育園も幼稚園も行かされず、ひたすら宗教書を読み、講演を聞き、吸収する生活をしてたわけです。

子供用のプログラムや本などありません。大人と全く同じ内容を聞き、本を読むわけです。それこそ英才教育です。

まず、一番の変化が訪れたのは小学校に入学したときでした。みんな、◯◯保育園だの、◯◯幼稚園だのと言っている。何だそれは、と。

しかもそこから、「あいうえお」「カキクケコ」だのの勉強が始まった。何だこれは、バカにしているのか、と。今さらここからやるのか、これはヤバいところに来てしまった、と。笑

そんな私の様子と、ことあるごとに、信条と学校での過ごし方の指図が長文で書かれた親からの連絡帳を見て、新任の若い担任の先生も、どうしたものかと、かなり頭を悩ませていたようでした。ほんと、仕事を増やして申し訳なかった。親のせいですが。

まあ、いずれにせよ、いろんな意味で完全に激浮き状態だったのは間違いないわけです。

しかも、「義務教育だから仕方なく学校に行かされている」だけで、できるだけ人と(勧誘以外で)しゃべるな、宗教書をひたすら読んでいろ、と言われていたので、最初のうちは、授業の時間以外はず~っと後ろの方で一人で本を読んでました。もちろん、みんなが外に遊びに行く休み時間も。

こんな異様な人間、そうそういません。どのくらいその状況が続いたかは定かではありませんが、ある日、ある文武両道男子が、「一緒に遊ぼうよ!」と声をかけてくれました。最初から誘いに乗ったのかは不明ですが、じきにみんなと遊ぶようになりました。もうその頃には、異常なのが「外」ではなく、「家」であることに気付いてたので。

ちなみに、こんな感じだといじめのターゲットになりそうですが、気づいていなかっただけなのか、そういう記憶はありません。あまりにも異様すぎて、いじめるのも臆したんではないかと。笑

そして、「外」の世界になじみ、自分の状況を客観的に見れば見るほど、絶望していきました。私は、周りの人が普通にしていること、誕生日やクリスマスなどのイベントから、友達と遊んだり、将来何になりたいと夢を持ったり、クラスの子を好きになっていずれはデートしたりすることまで、すべてが許されないと悟ったからです。

次回は、親と決別する決意のきっかけになった、「小4の出来事」を書いていきます。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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マザー愛
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