#5 毒親との関わり方 ~中学時代、最初の事件~
いつも読んでいただきありがとうございます。
今日からは、中学生時代の話です。
中学生になり、準備し計画していた通りに、私は自分を一変させるために動き始めます。
前編で書いたように、モテる女になるため、「男子と気さくにしゃべれるモテ女子」を観察しまくっていた私ですが、時代的にも地域的にも、「不良」がモテていたので、必然的に「不良の男子・女子」に近づいていくことになります。
それこそ、近所も不良だらけでしたし、中学に入ればクラスの席の周りもそうでしたし、最初こそ内心ドキドキしていたものの、自然に馴染んでいって、男子ともすぐ何の抵抗もなく話せるようになりました。
これで「男子と気さくにしゃべれるようになる」という目標の1つは達成したわけですが、私の目まぐるしい変化を見て、親の締め付けはますます厳しくなっていったため、「男子と付き合う」などということはもってのほか、夢のまた夢でした。
中学時代を象徴する、親がらみの事件の1つといえば「部活事件」です。
少しでも長く家の外にいて、どうしても青春を味わいたかった私は、見つかったら激怒され辞めさせられることは覚悟の上で、当時「スラムダンク」により流行りの全盛であった「バスケ部」に勝手に入部します。バスケは全然できないので、球ひろいと応援くらいしかしてませんでしたが。笑
1ヶ月も経たないうちに、帰宅が遅いことをごまかし続けていたのが限界になり、親にばれ、親から速攻でバスケ部の顧問に電話が入り、「即刻辞めさせる」と通達が入りました。
顧問に呼ばれて行った職員室での、先生の何とも不甲斐なさそうな顔を、今でも忘れません。「ごめんね…、全然…、何もできなかった」と。
「とんでもない、ありがとうございました」と言って明るい顔で職員室を出ましたが、予想していたこととはいえ、本当に悲しかった。真っ暗になりました。
この事件から、信用がなくなった私には、さらに親の監視がひどくなり、終業時刻を把握され、帰宅が遅れようものなら、学校に帰宅催促の電話が入る始末でした。頻繁に。
中学に入ってからは、家庭のことを、少し盛りも入れながら面白おかしく話すことで話題を持たせられるようになっていたので、
クラスの子も、先生たちも、私がどういう状況に置かれているか理解してくれていましたし、話題として「笑いに変えられた」こと、「みんなが何か起こるたびネタとしてツッコんでくれた」ことだけは、精神衛生上本当に助かりました。
これも虐待児の特徴と言えるかもしれませんが、生きるために演じることが得意になっていきますし、さらにHSPなのもあり、人の感情が読めるので、比較的世渡りは得意でうまくやれた方だとは思いますが、もしも家庭のことが原因でいじめられていたとしたら…、想像するだけで恐ろしいです。
まあ、この頃には、周りの不良の影響もあり(?)、「絶対にいじめさせねーぞ、手出しさせねーぞ」というピリピリオーラを放つようになってましたが。家でも。笑
毒親編の1話で、「悪いことをすると、宗教の指導により、お尻を革のムチで叩かれていた」という話を書きましたが、中学に入って、体力もついて、これも拒絶するようになりました。
次回は中学時代の第2編です。
今日もお読みいただきありがとうございました。