#3 毒親との関わり方 ~ターニングポイントの小4~
いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は、「親との決別を覚悟した小4の出来事」について書いていきます。
前編にも書いたように、小学校に入学したことで、自分の家がおかしいことを知り、普通の人が10代で経験できること、友達と遊んだり、部活をやったり、夢を持ったり、恋をしたりすることがすべて許されないと知って、絶望していました。というより、「怒り」と言った方が正しいかもしれません。
学校は、家庭が狂っていた私にとって、一瞬心を休めることができるオアシスでしたし、先生たちも、何とかできないかと気にかけてくれていましたので、学校は楽しかったのですが、
ひなまつり、こどもの日、クリスマス、学校でやる行事には、親の宗教上の信条により一切参加できないので、いつも後で座って眺めていました。ここで宗教名を察知する方もいらっしゃるのでは。
そんな、小4のひなまつりの時、いつものように私は教室の一番後ろに一人で座っていました。
そこで、担任の先生(50代女性)が、男子に、ピンクの薄紙を重ねて作った、あの学校行事でよく使う花を1つずつ持たせ、「今日はひな祭りです~!男の子は、好きな女の子にお花をあげましょう~!」と言ったのです。
今だったら考えられませんよね(笑)。もらえない子が出るかもしれないとか、そんなの許されないでしょうから。その当時でも、変わった先生だな~とは思いながら眺めていましたけど。
そして、私がそのさまをうつろに眺めていると、クラスで一番人気のある、イケメンの文武両道の男の子が、教室の最後方にいる私のところまでつかつかとあるいてきて、「はい」と、私に花を渡すではありませんか。
優しかった彼としては、私が年中取り残されて、いつも一人でかわいそうだと同情して、渡しに来てくれたのでしょう。
だが、当時の私はそうは思わなかった。「クラスで一番モテる男子に花をもらったのだから、私はそのくらいモテるいい女なのだ」と思ったのです。笑
ほんと笑えますが、今でも忘れません。
その瞬間、私の中で何かが目覚めました。このまま耐えて、甘受して生きていく必要などないぞ、と。ああ、私は親とは別の道を行くことになるんだな、と。ま、まだ行けるわけないんですけどね、小4ですから。心を決めたということです。
それまでは、父親の意向もあり、学校へ行くときの服は、目立たないよう暗い色の、男の子のような服ばかり着させられ、髪型もザン切りのショートだったのですが、
髪を伸ばし、お下げにし、宗教の集まりに行くとき用の白いブラウスを着、チェックのプリーツスカートを履き、フリルのついたハイソックスと女の子らしい靴で仕上げて、どんどん「女」と「美」に目覚めていきました。笑
当然ですが、父親の狼狽のしようといったらなかった。毎日毎日、眉間にシワを寄せ、異様にギラギラした目で私を舐めるように見て、動揺していました。
それでも、その当時はまだ、「女の子だからおしゃれを始めた」と思われる程度の、ささやかな抵抗を初めただけでしたから、正面衝突をするようなことはありませんでした。が、着々と、その日は近づいていました。
次回は、この後、小5~中学生くらいまでを書いてみたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。