#8 毒親との関わり方 ~高校時代突入~
いつも読んでいただきありがとうございます。
これまでは、毎回朝に発信してたのですが、何となく、さわやかな朝に読む内容じゃなくないか?と思い、午後にしてみました。笑
今回は、高校時代に突入します。人生で一番激動した3年でした。
あまりにも色んなことがありすぎて、文章にまとめられるかどうか、公衆の面前に出せないことも多々あると思うので、なかなかハードな作業ですが。笑
まずは、高校に入った経緯から。
前回書いた「中卒になりそう事件」もあり、親にすっかりあきれ果て、将来の希望などとうに無くし、ただ日々を消化しているだけだった私は、当然何の目標もなく、近所でない高校に行ければいい、家と地元から少しでも離れられればいい、としか考えていませんでした。
得意なことの1つに「美術」がありました。得意といっても、井の中の蛙レベルの話なのですが、当時は外が見えていないので、そこそこ自分はイケてるんじゃないかと思ってました。
そこで、都立の美術系(くくりは工業)の高校に狙いを定めたところ、何の運命か、その高校が、「宗教の信者が多数通っている高校」ということが分かり、親もこれ幸いと嬉々として了承し、受験の許可が出たのです。毎度ですがすべて宗教基準。笑
幸い、授業に出ていない不良がゴロゴロいるようなレベルの低い中学に通っていた私は、内申の点数も良く、強心臓と第一印象の良さも多少はプラスになったのか、ありがたいことに推薦で入学できました。
高校に入ってまずびっくりした出来事は、これも宗教がらみになりますが、入学式の数日後に、クラスの後ろの扉から私を手招きする女子がいるのです。もちろん、一度も会ったことがない他のクラスの女子です。
外へ出てみると、踊り場的なところに促され、そこでは数人の女子が待機しており「はじめまして!私たち、◯◯宗教の仲間です。これからよろしくね!」と。
そして、他には誰がいるとか、あの人は宗教から排斥(この意味はまたいずれ)されているので、関わらない方がいいとか、そんなことまで…。
ほんと、宗教の情報網ってすごいですよね。中を知ってる人間からすると、独特の雰囲気があるので、何も言われなくても分かるといえば分かるんですが、ほんと驚異的なスピードネットワークです。笑
親ほどじゃないにせよ、こんなところにも監視の目があるのか、と辟易したのを良く覚えています。
ちなみに、クラスにも、同じ宗教の家の子が2人いました。私合わせてクラスに3人。親に反発してるのは私だけでしたが。笑
これがまたいろいろと、あとで事件を引き起こすことになるのですが、それはまたいずれ。
高校に入って何よりうれしかったのは、「半径500メートルで完結する日々」から解放されたこと。高校まで電車で40分。時に大きな画材を抱えながらの超満員電車はキツかったですし、えげつない痴漢にも何度も遭いましたが、私にとっては、家にいる辛さに比べれば、耐えられる範囲のことでした。
あとは場所。高校は都会のど真ん中でしたから、放課後の遊びやお茶に困ることはありませんでした。ドーナツ屋、ファーストフード、カラオケ店、そして目の前には後楽園ゆうえんち(現在のラクーア)。贅沢すぎるほどの遊び場がありました。都立の高校生としては、相当に恵まれた立地でした。
ちなみに、肝心の芸術については速攻で挫折します(笑)。それこそ、これから日本のデザイン業界のトップを担っていくんではないかというくらいの、えげつない才能を持った人がクラスにゴロゴロいました。私なんて、デッサンが普通レベルなこと以外は、子供のお遊び程度でしかありませんでした。
それが早々に分かったので、諦めが早すぎるのもまあ問題ではあるんでしょうが、唯一の自分の売りである「面白さ」で生きていこう、と早々に切り替えます。笑
幸いなことに、普通の人が一生経験することのないようなネタは豊富に持っています。クラスの子に囲まれて、時に先生も混じって、家のことを面白おかしく話し、「面白い、話上手な人」という位置を獲得していきました。
芸術系の学校だからなのか、この学校が特別そうだったのかもしれませんが、「変わった人間」、もう少し言ってしまえば「社会不適合」な人間に対して大変寛容、というよりむしろ、人と違うことが個性として肯定的に捉えられるような場所で、本当に助かりました。
こんな変わった人生を歩み、かつマシンガントークで目立ちたがりの女なんて、クラス全ドン引きやいじめの対象になった可能性だって大いにあるわけです。まあ、実際引かせたことも多々あったとは思いますが。笑
法律さえ犯さなければ、あとは髪を何色に染めようがどんな服を着ようが自由、そんな環境に本当に助けられました。
話を聞いてくれる友人や先生にも助けられ、家での苦しい時間を、何とか補える生活をさせてもらっていました。
偶然の流れのようですが、この高校に入ったことは、本当に運命だったのだなと、ここで今に至る親友もできるので、本当にありがたかったな、と思います。
そして、さまざまな課題を提出しなければならなかったことが、帰宅が遅くなる言い訳にも非常に良く使えました。
課題が終わらない、◯日までに提出しなければいけないから遅くなる、などなど。
最初のうちは、中学時代と同じように学校に偵察電話が入ったりしてましたが、距離も遠くなったことで、親もそう簡単に確かめに来るわけにもいかず、目が届きにくくなっていたので、
少しずつ時間を伸ばして、みんな遅くまでやってるんだよ、それが当たり前なんだよ、という感覚を植え付けていき、逃げ道が少しずつ確保され、物理的にも精神的にも自由が増えていきました。
続きは次回に。
今日もお読みいただきありがとうございました。