#9 毒親との関わり方 ~近づく学生時代の終わり~
前回書いたとおり、高校に入り、物理的に家や地元と距離が離れたこと、課題を期日までに提出しなければならないことなどで、親の目と意識が少しずつ変わり、少しずつ自由が増えていきました。
まあ、自由が増えたと言っても、中学時代の「部活強制退部事件」と同じことが起こるのは明確ですから、(さほど盛んな学校でなかったとはいえ)部活も入りませんでしたし、高3の夏ごろまでは、帰りが父親の帰る夜7時頃より遅くなるのは文化祭の前後くらいでした。
学校帰りに友人と1本映画を見るとか、後楽園でちょっと1、2個アトラクション乗ってプリクラ撮って帰るとか、ドーナツ屋で2時間くらいお茶して帰るとか、そのくらいのかわいいものでした。
で、高校は男女が3:7で、圧倒的に女子の方が多かったのもあり、恋愛の機会も簡単には巡ってきませんでした。
そのせいなのか、高1~2年のときの印象的な記憶があまりありません。
思い出すことと言えば、イケメンのモテまくってる先輩に心ときめかせてたことくらい。
バレンタインに、手作りクッキーを作って、校舎の出口で、友達とその憧れの先輩を出待ちしてたら、女とイチャイチャしながら出てきて泣いて逃げたとか、
授業中に手紙回したりくっちゃべったりして怒られたとか、そのぐらいのことです。笑
とにかく、すべてがギュギュッと詰まってくるのは高3の夏以降になるので、ひとまずそこまで時間を飛ばします。
高3になり、ついに最上学年になったという解放感もあったでしょうが、何よりも感じていたのは「終わりがすぐそこまで来ている」ということでした。
中学編で書いたとおり、もともとは中卒になるところだったわけで、高校に行けたことすら奇跡に近く、当然、その先などありえません。
つまり、高校生活の終わりというのは、私にとって「学生時代の終わり」であり、「遊べる時代の終わり」だったわけです。
高校卒業と同時に家を出ることもすでに決めていて、そうなれば、食べるために職を選ばず必死に働かなければならない生活になるのは分かっていました。その時が、足音を立ててどんどん近づいてきます。
それまでは、親に衣食住を提供してもらわなければなりませんでしたから、全面対決はなかなかできませんでした。が、タイムリミットが迫った今、とにかくどんなことになっても、どれだけ傷を負っても、今やりたいことをすべてやろう、とことん遊び倒そう、と決めたのです。
まず取りかかったのは、遊ぶにはお金がいるので、「アルバイトをすること」です。
親からのおこづかいは月5千円程度でしたから、とてもじゃないが、買いたいものを買い、都会で遊びたいだけ遊び倒すには足りません。
父親に「アルバイトをしたい」と言うと、案の定最初は反対されたものの、「バイトができればおこづかいはくれなくていいから」と言うと、意外にすんなりOKが出たのです。「同世代の男が少ない職場で、まずは夏休みの間だけ」という条件付きで。
私に渡していたおこずかい分、宗教への寄付を少しでも増やせることがうれしかったのでは、と推測してます。
ちなみに、このころの父親の口癖は「誰に見せるんだ!」でした(笑)。鏡の前で身だしなみを整えたり、爪を磨いたりしていると、十中八九、その言葉をかけてきました。ですから、とにかく「恋愛対象になるような年齢の男がいない職場」という条件は父親的には譲れなかったのです。
そんなわけで、始めてのアルバイトは、近所のヤ◯ト運輸の拠点で、早朝の3時間、配達する荷物をトラックに積み込む、夏休みの短期アルバイトでした。
ここは本当に父親の示した条件通りの職場で、周りにはほぼ既婚者のおじさんかおばさんしかおらず、若者は皆無で、とてもかわいがってもらいました。早朝なので、高校生でも時給も良かったですし。
トラブルなく夏休みのアルバイトを終え、その後は、スーパーでレジ打ちのアルバイトをするようになりました。これも、まあ、関わるのはおばさんばかりだろうから、ということでOKが出ました。笑
ただし、夕方~閉店までだったので、帰宅は夜10時を越えるようになってました。週3日程度だったと記憶してます。
ある日、レジで、何か視線を感じるな、と思って列を眺めると、父と母が私を凝視しながら列に並んでました。恥ずかしかったし、ちょっとゾッとしました。あれは高校時代の面白エピソードの1つです。笑
そして、アルバイトによりこれまで手にしたことのない額のお金を手にし、化粧品や服を買い、やれることの選択肢も広がりつつあった私は、「終わりの前にやるべき最大のこと」は「キラキラな恋愛の思い出をつくり、処女喪失すること」だ、と確信していました。
これは、もしバレたら本当に大変なことです。ただ事では済みません。そもそも、この宗教では、「宗教の信者同士でしか結婚してはいけない」ことになってましたし、当然、婚前交渉は禁止されています。まして、外の世界の男とセックスするなど、もう極悪の悪魔と等しいわけです。笑
まあ、もう決別を決めてるのですから、私にとってはそんなことどうでもいいといえばそうなのですが、案の定、のちに大変な騒動になります。
家を出たら、生きるために仕事一色の生活になる。どんな職場に入るかも分からない(この時点では水商売に行くつもりだった)。そうしたらチャンスを逃したまま、こじらせてしまうかもしれない。
いずれにせよ、同世代の人間とは全く違う道を歩むわけだから、“キラキラの青春の1ページ恋愛”のチャンスは確実にこれが最後だ、と思ったのです。
とはいえ、クラスや校内など、手近なところでどうにかはしたくなかった。まったく違う世界で見つけたかった。
そして私は、18歳の誕生日を迎えた高校3年生の9月半ば、たぶん、始めて本気で真剣に、そして悲痛なほど必死に、神様に祈りました。
「神様、一生のお願いです、私に出会いをください。私の人生の、最後のチャンスなのです、どうか、キラキラな思い出を作らせてください」と。
そして、その祈りからわずか2週間ほどのち、奇跡は起こるのです。
続きは次回。
今日もお読みいただきありがとうございました。