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20代を経て、思うこと

10月18日、30歳の誕生日がくる。

30歳ってもっと大人なイメージがあったなあ、と誰かが言っていたのと同じことを思っている。

明日から誕生日旅行にいくので、その前に。全体的にかなり個人的な話になってしまうが、わたしの20代を振り返ることにする。

20代とキャリア

みんなと一緒の方向に進むことがどうしても苦手なわたしは、その意義を見いだせないまま、早々に就職活動からドロップアウトした。

たまたま「鶴瓶の家族に乾杯」に出ていたのを見て、「アットホームでいいなあ」という理由だけで、就職先を選んだのだった。

結局のところ、自分に合う職種や仕事の進め方は、想像ではなく、しばらくの期間やってみないと分からない。

仕事という看板のおかげで名前まで覚えてもらえて、地域の人と話せることが、一番わたしを満たしてくれている。これからも、「地域と近い距離の仕事をする」という軸はブレないだろうな。

20代と悩み

20代後半はいつも、職場の人間関係の悩みがついて回っていた。

「他人は自分の期待通りにはならない」と分かっているつもりでも。頭の回転が遅いわたしは、相手の嫌味やチクチク言葉が、しばらく経ってからじわじわと効いてくる。

合わない人からは、離れた方がいい。だけど、環境を変えたところで、人間関係は結局また同じ壁にぶつかってしまうことを、苦い経験から学んだ。

気にしないこと、難しく考えないこと、他人の正解に合わせすぎないこと。そう考えられるようになって、前よりすこしだけ楽に生きられるようになったように思う。

20代と旅

ソゾートな旅をするより、地方の辺ぴな場所でジャージで過ごした時間の方が長いかもしれない。

沖縄の北部地域、東やんばる

尾道で古民家改修ボランライアに通ったり、
沖縄の田舎でシェアハウス生活しなから農業ボランティアをしたり、
全国のグストハウスを巡ったり。

たくさんのまた行きたい場所、会いたい人に出会えたことは、かけがえのない財産だ。

ハワイや台湾といった海外旅行の定番にも、カナダのケロウナやフィリピンのセブ島などのディープな場所にも行った。

海外旅行で手持ちの現金を使い切ったら、帰りのタクシーでクレジットカードが使えなかったこと

遅延により乗り換えるはずの日本行きの最終便の飛行機を逃し、マニラで呆然としたこと

海外旅行ならではの?アクシデントもたくさんあったけど、それもいい思い出。

フィリピンのセブ島のカオスな市場

言葉や文化が全く違う場所で、とんでもなく親切にしてくれる人がいることや、シンプルに世界は広いことを身をもって体感できた。

身のほど知らず、世間知らずな20代前半だったからできた旅がたくさんある。観光本には載っていないような、その町の日常を味わう旅を、これからもずっと続けていきたいと思う。

鳥取県湯梨浜町にあるゲストハウス「たみ」

20代と挑戦

体育会系の部活に入っており、3回生のときに20人くらいの女子チームのリーダーをやることになった。暇な学科にいたのがわたしだけ、というネガティブな理由によって。

やる気がない人・ある人も含めてひとつのチームを組んだのは、ある意味社会の縮図だった。そこで、いろんな考えがあってそれをまとめていく大変さ、自分の不甲斐なさを思い知った。

仲間と一緒に悔しい思いや、嬉し泣きもした。目の前のことにがむしゃらに取り組んだ経験は、間違いなくわたしの人生の糧になっている。

3年前に副業を始めたのも挑戦だった。

ライターとしてお金を稼ぐことができて、書いた記事が誰かの行動のきっかけになったり、写真がnote公式のInstagramに掲載されたり。「これなら頑張れるかも」というジャンルに出会えた。

単焦点レンズに出会って、写真の楽しさを知った
富士宮市ふもとっぱらキャンプ場

あとは、「えいっ!」という気持ちで結婚を決めたことだろうか。深く考えたら一生迷ってしまって、一世一代の決断なんてできないと思った。

こんなこと言ったら嫌われるだろうか?と、変に気を遣わずに話せる、自分の良き理解者がいるという安心感は、何物にも変え難い。

20代の生き方は、誰かの指示もなければ、教科書どおりの正解もない。

自分ができることや好きなこと、苦手なこと。まわり道をたくさんして、いろいろな材料をかき集めてきたような10年だったように思う。

そうやって見つけた点と点を結んで、30代はどんな方向へ進んでいこうか。

未来のことは分からないけど、家族や周りの人を大切にして、自分にとってプラスになるような選択をして、生きていきたいなと思う。


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