オレンジと青の分断4〜どのメガネをかけるか〜
開票結果が出て、この選挙はネットがオールドメディアに勝った歴史的な選挙というふうに語られるのだが、なんとなく当事者として違和感を感じるので、それを深掘りしていきたい。
この数日、ずっとネットに張り付いていた。ネットが青だけだったかというと、必ずしもそうじゃない。オレンジの人たちの意見だってバンバン流れてきていたし、稲村さんの街頭演説の様子だって四六時中流れてきているし、オレンジだって、ネットを駆使していたと思う。
じゃあ何が青のうねりを押し上げたのだろう?
まず前提としてあるのは、選挙戦に至るまでの数ヶ月の間に流れてきた過剰なまでの斉藤バッシング。普段テレビも新聞も見ない私ですら知ってるくらいだから、ワイドショーではさぞかし大量に流されたんだと思う。
それが、知事失職後の斉藤さんが立候補をしたことにより「え?!また出るの?」という違和感を覚えた人が多くいた。
なのに、メディアでのこの件に関する報道がピタッとなくなったのだ。
「あの人に入れて」と口頭でお願いしていくやり方でなんとなく投票する人も多いが、なんせ、全国を騒がせた騒動の後の出直し選挙である。少なからず政策を比較しようとする人もいるはず(まさか全員が「あの人に入れて」で投票するか、もしくは無投票と思ってるなら、それは有権者を馬鹿にしている)。
なのに、メディアが報じてくれない。ならば、ネットから探すしかない。ネットにはいろんな意見が落ちているから、全部を信じることはできない。だが、そのいろんな意見の中から、本当っぽいものを繋ぎ合わせた時に、これまでの違和感と合致したのである。
「だから、報道されてなかったのか!」って。
これは、ネットが原因なのか?それとも玉石混交のネットの中から情報を選択したネット民の行動が原因なのか、って考えた時に、「ネット」と一括りにするのは違うと思うのだ。
いろんな意見が飛び交うXを毎日追う中で、数ヶ月前には素通りしていた単語の意味を知っていく。「公益通報」「外部通報」「百条委員会」などなど。じゃあその言葉はどんな定義で使われているのかを調べる。理解する。そして改めて百条委員会の動画を見る。「あれ?これ、どっちがおかしいの?」という考えに至る。立花さんの登場を抜きにしても、すでに違和感ははじまっているのである。
ただ、疑問で仕方ないことがある。
これだけの行程を経て、自分が信じるものを確定させていく中で、同じような行動をとっているはずの人が、別の意見を選択してくことだ。なんで同じ状況証拠を目にして「公益通報じゃない」「公益通報だ」と真逆の主張が出るのか。
最初に青のメガネをかけたら全てが青寄りに見えるし、最初にオレンジを選択したらそれを外すことは選挙期間中全くない、と言い切れるくらい、根拠も前提も、情報の受け止め方も全く異なるのだ。
だからもう、議論が全く噛み合わない。
「ここの文章のここが公益通報の定義を満たしていないから、最初に告発者探しをしたのは問題ない」
「いや、初動で犯人探しはダメだ」
と水の掛け合いで、ヒートアップするだけで、オレンジのメガネから見える景色と、青のメガネから見える景色は、全く違う。青の世界が存在していることすら、オレンジには耐え難い。それくらい、激しく別のことを主張する。こうなってくると、相手にはこう見えているであろう、という想像すらもうできなくなる。
信じたい答えが先にあって、それを補完する証拠を集めていったのか。
情報をピックアップして繋ぎ合わせていく中で答えを紡いだのか。
それとも両者とも同じ行程を辿ったのか?
そのことをずっと考え続けている。
自分がかけてしまった青のメガネを外す努力をしてまた一から同じ量の情報を集めても、どう頑張ってもオレンジの選択がわからないのだ。(それは多分オレンジの人も同じだと思う)
お互いが主張する「デマ」って一体どのことなのか、ということも考えた。
青にとっての真実が、オレンジにとってのデマで、オレンジにとっての真実が青にとってのデマなのか。
それくらい、本当に全部真逆で、友人であったとしても今後の友達付き合いを再考せざるをえないくらい、見えているものが本当に違うのだ。
自分がオレンジのメガネをかけるためには、情報以外の何かを付加しないといけなくて。でもその「何か」って何なんだろう。
今回は極端な知事選だったから特殊なケースなのかもしれないが、組織で働いていると、少なからずこういうことがあるような気もする。
真逆の意見を持つ人を、仲間と捉えるか、邪魔者と捉えるか。選挙が終わったらノーサイド、と割り切れるか。
いろんなことを突きつけられている、選挙翌日の夜である。