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【オクラホマシティ連邦政府ビル爆破】普通のホームグロウンテロリスト
アメリカでの
アメリカ人による
アメリカ政府に対するテロ
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件
1995年4月19日午前9時2分、子供19人を含む168人が死亡し、800人以上が負傷した。アメリカ史上最悪のドメスティックテロ(911に次ぐ被害)。オクラホマシティはオクラホマ州で最大の都市であり州都。
9階建のアルフレッド・P・マラー連邦ビルの正面玄関前で車爆弾が大爆発し地面に直径9メートル、深さ2メートル以上の穴が開き、ビルの1/3が吹き飛び、周辺の多数の車や建物が破壊された。ビルにはATF(アルコール・タバコ・火器局、ブランチダビディアンの手入れに直接携わった所が標的となった)、DEA、社会保障事務所、陸軍および海兵隊の採用事務所など多数の連邦機関が入っていた。
500人近くの捜査員が動員され、ビルは事件の1ヶ月後に爆破解体され、跡地はオクラホマシティ国立記念公園となっている。
容疑者はアメリカ人の元陸軍兵士たち
主犯はティモシー・マクベイ(1968年4月23日生れ)。1997年8月に連邦裁判所より死刑判決を受け、2001年6月11日に薬物により異例の早さで刑が執行された(犯行時27歳、33歳没)。
テリー・ニコルズ、爆弾の製造を手助けし逃亡用の車を配置した(犯行時40歳)。
マイケル・フォルティエ(マクベイと同い年)、計画を知っていながら通報しなかった。
動機はこれらへの復讐
〇ウェーコの虐殺
この4月19日というは、2年前に宗教団体ブランチ・ダビディアンの信者が違法な武器を所持している容疑による強制捜査を受けATFとFBIとの銃撃戦と51日間の包囲の末、子供を含む大勢が亡くなった日であり、マクベイはこれをアメリカ政府の横暴であるとした。
事件当時、マクベイはテキサス州ウェイコを訪れ、連邦政府によるこの長期にわたる対峙に抗議し、「銃を恐れる政府を恐れる」などのステッカーを売った。
彼は学生記者ミシェル・ラウシュに次のように語っていた。 ❝政府は人々が常に銃を持っていることを恐れています。なぜなら彼らは常に人々を支配しなければならないからです。銃を取り除けば、人々に何でもすることができます。あなたが彼らに1インチやれば彼らは1マイル取ろうとします。私たちはゆっくりと社会主義政府になりつつあると信じています。政府は絶えず大きく、より強力に成長しており、人々は政府の支配から身を守る準備をする必要があります。❞ SMU新聞
※ことわざ「Give a man (or him) an inch and he’ll take a mile. 」1インチやれば1マイル取りたがるもの
ブランチダビディアンはマウントカーメルに50年以上居を構えていた。数日後彼は現場を去ったが、1993年4月19日最終的に警察は強硬な制圧に乗り出し教団施設が大火事に飲み込まれ、80~90人の死者を出すショッキングな結末を迎える場面をテレビで見て泣いた。出火の原因は不明である。
〇ルビーリッジの悲劇
3年前の1992年、アイダホ州ルビーリッジの人里離れた山中で暮らしていた一家を違法な改造銃の販売に関し裁判所に出廷しなかったとしてその住人ランディ・ウィーバー(ウィーバーは、過激な白人至上主義組織アーリアンネーションズの集会に潜入していたおとり捜査官に、話を持ちかけられはめられたのだ。)を追跡していたATFとFBIが銃撃し、無関係である彼の妻と息子が殺された。銃撃戦になった詳細は不明。
経緯
ジョージア州フォートベニングでの基礎訓練で、ニコルズはマクベイと出会った。その後彼らはカンザス州ジャンクションシティのフォートライリーに配置されマクベイはトップガンだった、そこでマイケルフォルティエとも出会った。彼らは、政府への不信など政治的見解、銃やサバイバルへの関心を共有した。彼らは人種差別的な小説ターナー日記を好んでおり、マクベイはその切り抜きを持ち歩き人々によくその言葉を引用した、事件はその内容と酷似しているという。彼らは、ミシガンミリシアなどの民兵組織や白人至上主義のオクラホマ東部のプライベートコミュニティ、エロヒムシティやアーリアン共和党軍などと関係があった。フォルティエの影響で彼らはマリファナやメタンフェタミンを使用した。
1994年9月、マクベイはカンザス州ヘリントンに物置小屋を借り、ニコルズとそこに物資を集め始めた。ニトロメタン(レース用の燃料)と硝酸アンモニウム(2,300 kg)から成るANFO爆薬で爆弾を製造するため、採石場から伝爆薬にするダイナマイトなどを盗んだ。資金作りのため、アーカンソーの銃販売店やアリゾナの州兵の兵器庫に強盗した。
1995年4月14日、マクベイはカンザス州ジャンクションシティで逃走用車両を購入しモーテルにチェックインした。
1995年4月15日、マクベイは、ジャンクションシティでレンタルトラックの保証金を預けた。
1995年4月16日、マクベイとニコルズはそれぞれ車を運転しオクラホマシティの犯行予定現場に逃亡用の車を置きに行った。
1995年4月17日、マクベイはレンタルトラックを引き受け、ホテルに停めた。
1995年4月18日、ニコルズはヘリントンの近くのギアリーレイク州立公園でマクベイがトラック爆弾を混合し組み立てるのを手伝い2tトラックに満載した。午後マクベイはオクラホマ州に向けて出発し、ポンカシティの近くで駐車しトラックで眠った。
1995年4月19日、午前7時頃マクベイは運転を開始し、午前8時50分頃オクラホマシティに入った。現場の近くでまず5分用の導火線に点火し3分後、2分用の導火線にも点火した。トラックをビルの前に駐車しロックして、逃走用の車へと向かった。
事件後、マクベイは90分以内にナンバープレートをつけずに公道を走っていたことで警察に止められ、そして弾が装填されたグロック21を許可証なしに所持していたことにより逮捕された。
ティモシー・マクベイ/Timothy James McVeigh
ニューヨーク州西部のバッファロー近郊の町、ペンドルトンで生まれ育った。両親は10歳の頃に離婚。祖父は最初の銃を買い与え練習を通じ銃への愛着を植え付けた。高校卒業後、地元のコミュニティーカレッジに進学してコンピュータの勉強をするが退学。1988年、アメリカ陸軍に入隊した。フォート・リレイ基地に所属しそこでトップクラスの狙撃成績を残している。第1歩兵師団に加わり軍曹となりブラッドリー戦闘車両の砲手となった。1991年湾岸戦争に従軍し、優秀な兵士としてブロンズ・スター・メダルなどいくつかの賞を授与された。その時、理由もなくイラク人を殺すよう命じる政府に幻滅した。戦争の後、彼は陸軍の特殊部隊であるグリーン・ベレーに入ろうとしたが訓練開始2日目に体力的な理由から外され落胆し、1991年12月31日に除隊した。
軍隊にいた時がピークに感じた。地元に戻ってしばらく警備員の仕事をした。1993年以降、マクベイは地元を離れ、ミシガン州デッカーのニコルズ兄弟の農場とアリゾナ州キングマンのフォルティエの家の間を行き来したり、全米の銃器ショーを回り銃器と軍用品の販売等をしたり、警備員などの短期の仕事をした。1994年3月、米国市民権を放棄した。
「失うものが何もない男はとても危険であり、彼のエネルギー/怒りは正しいゴールへと集中される。妻や子供がいれば、家族を世話する為に直前になって取り止めるだろう。」
逮捕時に着ていたシャツには、前面にはリンカーンを暗殺したときブースが叫んだ言葉「Sic semper tyrannis (thus always to tyrants)独裁者は常にこのように」、背面には米国の3代目大統領トーマスジェファーソンの言葉「自由の木は、愛国者や暴君の血で時々リフレッシュされなければなりません。」とプリントされていた。
彼は法廷で、ルイスブランダイス判事のオルムステッド対アメリカ合衆国事件の反対意見を引用した。「政府は強力な、偏在する教師です。善かれ悪しかれ、その模範により全国民に教えます。」
処刑の直前、最後の言葉は一言も発しなかったが、代わりにイギリスの詩人ウィリアムアーネストヘンリーの詩(インビクタス~負けざる者たち)を示した。その詩の最後の一文はこう終わる「私は運命の主人である、私は魂の指揮官である」
テリー・ニコルズ
ミシガン州ラピア出身、農場で育ち、2度婚姻歴があり3人の子供がいる。
農業を営みながら、不動産や生命保険の販売員、大工など建設作業員、穀物用エレベーターの管理人など、さまざまな仕事に短期的に従事した。
1988年に陸軍に入隊するも1年で除隊。
1992年10月19日、米国市民権を放棄した。
1993年の終わりまでミシガン州デッカーの農場に住んでいた。
マクベイが軍を除隊してからはよく共に過ごすようになり、銃器ショーでのビジネスパートナーであった。
1995年2月カンザス州ヘリントンに小さな家を買い、事件発生時、彼はこの自宅にいた。2日後、自分が捜査線上に上がっていると知ると、ヘリントン警察署に出頭した。彼の家では、爆弾に使われたものと同じ樽や1トンの肥料を購入したレシートや硝酸アンモニウム、雷管、採石場の錠を開けるのに使用した電気ドリル、爆弾製造に関する本など多くの証拠が発見された。
ニコルズは2回裁判にかけられた。最初連邦政府は1998年6月に仮釈放なしの終身刑を宣告し、その後2004年3月、オクラホマ州は161件の殺人罪で有罪とし、仮釈放なしの161件の終身刑を宣告した。
マイケル・フォルティエ
アリゾナ州キングマン出身、テリーニコルズ邸にあったテレフォンカードの履歴から足がつき、マクベイから9カ月前に計画について聞かされていたが警察に通報しなかった罪に問われた。彼は、マクベイと連邦ビルの偵察をし、盗んだ武器を所持しその売上金を分配し、雷管や爆発物を保管していた。しかし裁判でマクベイやニコルズについて証言した為、司法取引の結果、1998年5月懲役12年を宣告され、良好な行動のために約10年半で出所している。75,000ドルの罰金を科された。証人保護プログラムにより新しいアイデンティティと無料の家を与えられた。
民兵組織
93年の終わりまでにアメリカには数多くの民兵組織があり、憲法修正第二条で保障された銃保持権を無視し、政府にとって有害思想を持つと思われる者に対し、無茶な取り締まりを強硬する姿勢に彼らは一様に危惧を表明する風潮があった。
南部貧困法律センター(SPLC)によると、2017年時点で、全米に500以上の戦闘的な白人至上主義団体が存在しているとのこと。
まとめ
テリー・ニコルズの兄で本人も容疑者として32日間拘留されたジェームズ・ニコルズによると、マクベイはいい奴だったらしい。ニコルズの農場に時たま訪れてきては、続いている専制政治について色々不平をこぼしていた。これといって特異なところのない保守的なアメリカ人の若者が抱いた尋常でない怒り。究極のいじめっ子であるアメリカ政府に対し、問いを投げかけ少しでも考えさせる為には、彼は最悪のテロを起こすしかないと言っている。唯一の後悔はビル全体を破壊できなかったことだけだと、最後の時まで信念が揺らぐことはなかった。またその考え方は、政府が戦争や死刑という制度を用いることと同じであると。
許し難くともどうしようもない不義を目の当たりにした時に、人はそれを紛らわし泣き寝入りするか、何か他に八つ当たりするか、自暴自棄になるかだが、そこにもう一つ彼には単に戦士として身を投げ打ち立ち向かうという選択肢があった。大人としての小難しい理屈を一切抜きにすれば、やられたらやり返すのみ、どんな大敵を前にしても怯まず使命を完遂するという風に教え込まれていたとしたらこのような惨事が起こることは必至なのかも知れない。
民主主義の権化だというアメリカという国の日常の底流にある深い闇が、普通のアメリカ人の記憶の中に決して忘れられぬ大きな口をぽっかりと空けた。
映画『オクラホマシティ』(2017・アメリカ)
悲痛な被害者の家族や懸命に救助に当たった医療従事者、情報を握る捜査を担当した警察関係者や記者など事件に関わる多くの証人が過酷を極める当時の様子について語る。マクベイらを感化したであろう分離主義的な団体などを取り巻く状況、当局が自国民に対し戦争さながらの重装備を行使する有様、そうした中でテロを目論む者が出てくる趨勢を映像にて一通り確認できる。本当の原因が何処にあるのかまでは見えてこず、その為に無実の人が犠牲になるのは可哀そう。
監督:バラク・グッドマン