マイケル・ムーア監督映画【ベスト3】
マイケル・フランシス・ムーア/Michael Francis Moore(1954年4月23日生れ、ミシガン州フリント出身)
アメリカ人のドキュメンタリー映画監督でありジャーナリストである。ミシガン大学フリント校を1年で中退し、22歳で地元紙フリントボイスを刊行。1986年にマザージョーンズ誌の編集者となりサンフランシスコに転居したが、数カ月で解雇される。
1991年に結婚し20年以上連れ添った妻キャサリーン・グリン(プロデューサー、フリント出身)との間に、1981年に娘を儲け、2014年には離婚が成立している。
白日の元に晒すべく社会不正に狙いを定め、関係者に対し念入りに聞き込み調査をし、有力者であっても怯まず鋭く切り込むことにより、自らの見解を組み立ててゆくラジカルな独自のスタイルで、都度賛否両論を巻き起こし政府からは危険人物の扱いを受けているとのこと。彼の映画は人間ドラマとしてより報道としての価値が高いように思う。入り組んで傍目には捉えがたいアメリカの本質にピンポイントで触れることができる。
No.1
『ボウリング・フォー・コロンバイン/Bowling for Columbine』(2002)
アメリカではメディアも企業も政治家も嘘と偏見に基づき大げさに悲劇や暴力を騒ぎ立てることで、大勢の関心を引き寄せることができ集客に結びつけている。
真面目な教養番組では視聴率取れない、堅実な政策では支持率上がらない、困っている人がいても地味な問題は無視される。
恐怖を煽り解決策として関連商品を提供すれば、みんな理性を失い飛びつき、何をしても責任を問われなくなる。
大事件の本当の原因がわからなければ、少しでも怪しげな箇所のあるいけ好かない奴を叩くための材料になる。
教員も生徒を脅し精神的に追い込むことで有無をいわせず言うことを聞かせ模範的な生徒という型にはめようとする。彼らの周りには異なる考え方に耳を貸す視野の広い人物が見当たらなかったのがこの銃乱射事件が起こった一因かもしれない。
監督自身は射撃の名手で銃愛好家の楽園で育ち猟にも行くが、ショッピングセンターで拳銃や殺傷用の銃に使える弾薬の販売がされていることや、NRAが児童による銃事件が起こった直後に現地に赴き銃所持権の支持を訴える演説を行うことに対して違和感を感じている。
法治国家に生活する上でまず必要とならない半自動小銃TEC-9が簡単に手に入る。
州政府は貧困者の福祉よりも大企業と馴れ合うことで、低賃金長時間労働を強い搾取することを考える。雇用主は貧困者を雇う引き換えに特別減税を求める。映画俳優は観客動員のために銃の正当性を説き、大統領は利権のために爆撃を命じる。
アメリカの社会システムは自由を基本としており、やり直しが利くようどんづまりにならないよう工夫が為されている。自分より地位の低そうな相手でも素で接すればほぼ見向きもされないため人当たりが強く、他人を説得しようとしたり他人から一目置かれるためには相当な根拠が求められる。それが愚者と賢者の差が拡大する競争社会たる所以であろう。
同作品は各国より多くの賞を授与されており勢いを感じさせる。2003年アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞に選出され、ムーア監督は授賞式の壇上にて、イラク攻撃への反対を表明し「Mr Bush, Shame on you」と発言した。
No.2
『華氏911/Fahrenheit 9/11』(2004)
ひとつの有力な視点を持ったストーリーが提示できるようよくネタを取材、編集している。前々からの政府関係者の様子からテロへの対応、責任転嫁と金儲け、それによる犠牲者までを。
テロに巻き込まれた国民やテロの脅威のことは二の次、三の次で真剣に調査や追及をしようとはしない。ここぞとばかりに富める者の利益が優先され、貧困層や退役軍人とその家族など弱い立場の人たちが一番の犠牲を強いられる。自国民にはきれいごとを並べ都合のわるいことは覆い、内容よりも命令が重視で、イラク国民には暴虐の限りを尽くす。
複雑に隠蔽された利害や人間関係も、辿ってゆけば癒着と搾取のシンプルな構造に帰結する。ひたすら寒々しい政治と現実に着眼し監督が抱いているモヤモヤしたわだかまりをなんとかしようと皆に訴え掛ける。淡々と伝えられる確定した遠くのニュースのように一般化されていてこちらの気持ちを差し挟む余地はない。政府のやっていることとテロリストの違いもなにもあやふやである。
投票者名簿から削除された多数のアフリカ系アメリカ人が選挙権を奪われたが上院議員は一人も救おうとしなかった。複数の独立調査ではアル・ゴアが大統領選で当選確実だったが、根回しと不正でブッシュが勝利したみたい。
実力も人気もなく親のコネだけで成り上がり懸命に仕事もしようとしないが、テロの不安を煽ることで支持率を一挙に上げ自分たちの思い通り何でも言いなりにさせられる愛国者法を成立させ、石油利権と軍需産業のため父親のまねをして政権に就く前からずっとどこかの棚に乗せておいた関係のない待望のイラク侵略計画を今がチャンスだと実行に移した。
911の前からアメリカ大使館爆破事件など数々のテロで指名手配中だったオサマ・ビンラディンだが、ブッシュ一家とサウジ第2の富豪ビンラディン一族はビジネス上切っても切れない繋がりを維持していた。
911直後、すべての航空機は運航禁止で、空港は閉鎖されているのに、ホワイトハウスはビンラディン一族24人を含むサウジアラビア人142人の航空機を特別待遇で手配し調べもせず出国を許可した。
911当日、ビンラディン家とジェイムスベイカー、ジョンメージャー、父ブッシュ元大統領などはワシントンの一流ホテルでカーライル社の投資家会合に出席していた。ジョージ・W・ブッシュはアルブストをビンラディン家からの融資で設立していた、役員を務めるハーケンにもサウジからの投資を受け、カーライルなどブッシュ家の関連企業に(大統領の年俸は40万ドルだが)サウジ王家から過去30年にわたり14億ドルの投資を受けていた。
今までのサウジアラビアからアメリカへの投資は8600憶ドルにも上り、ウォール街全体の7パーセントを占める。アメリカに一兆ドルもの預金があり、それらがなくなれば米国経済は大打撃を受ける。サウジは人権団体からは問題視されているが、政府はサウジ王家をVIP扱いしてきた。
ブッシュがテキサス州知事だった頃タリバンの代表団がヒューストンを訪れユノカル社と会談、アフガンにパイプラインを通しカスピ海の天然ガスを運ぶ契約をしていた。工事を請け負ったのはチェイニー率いるハリーバートン社だった。これによりブッシュの最大の献金者ケネス・レイとエンロン社が恩恵を受ける。政府は911の5カ月半前にはタリバンの特使を迎え交流していた。
彼らは相手が自分にとり都合のよい時は味方し、都合が悪くなれば攻撃するようだ。もともとイラン・イラク戦争では、フセインに破壊兵器を大量に送っていたし、ロシアとの戦いではオサマ含むムジャヒディンに武器、資金援助していた。
「階級社会は貧困と無知をのみ土台にして成立する、戦争は社会を飢餓状態に保ち体制維持のため支配者が被支配者に対して行うもの。」
ジョージ・オーウェル
No.3
『シッコ/Sicko』(2007)
人間にとって医療、教育、福祉などは、特に先進国では最低限のインフラである。
他国と比較すればどっちが特殊なのか、なぜ議題に上る度に潰されるのか、それができないのではなくやらないのだとばれる。
強い者が弱い者(同胞)を食い物にするため、治せる筈の病を放置し救える命を見殺しにする国に寛容さや思いやりなどない、その猛然たる気持ちがキューバにて込み上げてくる。
従順さや依存心を持っているのが愛国者ではない。曖昧なまま異常な行為が野放しにされているのが自由ではない。
奇跡が起きる夢や使い捨てにされる英雄ではなく、日々みんなで地道な献身を積み上げてゆくことの先にしか輝く未来はない。アメリカではハグ、チップ、兄弟、敵国、社会主義などの言葉には洗脳する以外の意味は帯びないのか。
気張らず自然な感じで作られていて見易い。単体では鼻であしらわれるであろう話も興味を引く形にまとめ上げればその重要性がずしりと伸し掛かってくる。
※アメリカには国民皆保険制度がない、従って民間企業の保険に加入する必要があるが、無保険者は実に5000万人にも上る。複数ある健康保険の種類のうち最大なのはHMO(健康維持機構)、1973年健康維持機構法(Health Maintenance Organization Act)がニクソン政権下で成立したことを受け発展した。ネットワークに加盟する主治医(Primary Care Physician)が総合的に健康を管理する。特定の医療機関でしか受診できなかったり完全予約制、既往症による審査基準など複雑な手続きや、保険会社が保険料の支払いによる損失を防止するため提供する医療水準を下げようとする傾向があるなどの問題点が指摘されている。
特賞
『ロジャー&ミー/Roger & Me』(1989)
マイケルムーアの生まれ育った街の盛衰が描かれている。初めての作品らしく彼の身上と情念が込められている。一つの企業が移転するだけで大量の失業者を生み出す。それを踏まえた上、経営者は従業員のことまで責任を持って判断しなければならない。しぶとく会長を追いかけ回し、現状を認識させ何かの改善を迫ろうとするが、富裕層はそれが資本主義というものだとドライにあしらう。活気のあった街が荒廃してしまう根本的な原因は定かでないが、アメリカの機能不全が延々と垂れ流される。どんな社会であれセーフティーネットは必要だろう。他人事のようなアドバイスや小手先の施策で乗り切ろうとしても駄目で、国や地域が一丸となって立ち向かわない限り克服はできなさそう。景色が変わるのは仕方ないが。
ミシガン州フリント市。平均年収は約150万円強、失業率は50%。ゼネラルモーターズ(GM)発祥の地で同社は1950年代から60年代には世界最大のシェアを握っており、かつて企業城下町として繁栄した。人口は1960年代ピークで20万人に上ったが、現在は10万人弱。治安状態は全米で最悪レベル。
長年、フリント市は水道水の水源としてヒューロン湖の水をデトロイト市から購入していたが、財政難で経費削減のため、近くを流れる水質の悪いフリント川に変更したが間もなく、それにより老朽化していた水道管が腐食し、水道水が錆で茶色く変色したり、さらに水道管の鉛が水に溶け出し、現在汚染された水道水の使用を余儀なくされている。共和党のリックスナイダー元知事や、彼に任命されたシティーマネージャーなど州や市の関係者は住民訴訟を起こされ、司法当局には刑事訴追されている。
ビューイックシティとは、かつて80年以上の間ビューイックのホームプラントであり、ミシガン州フリント北東の巨大自動車製造複合施設である。1908年にGMが形成される前にビューイック社は創設された。
1904年から移転し馬車車両会社の235エーカーの構成要素だった。
1928年フォードの工場が完成するまでは世界一大きかった。
1980年代初め、器用な日本車に対抗するため大規模な改修工事がなされ、ひところGMはビューイックブランドの全行程の製造を想定した。
1985年にはビューイックシティの名で知られるようになった。
1999年工場閉鎖、ビュイックシティは組立工場の品質でJ.D.パワーのプラチナ賞を受賞した。
2010年、続いていた一部の部品生産も終了し完全に操業停止した。