見出し画像

緊急事態宣言の日に考えたことから

2020年4月7日。緊急事態宣言が発令された。この日は市ヶ谷のオフィスに出社していた。帰り道の駅や電車ではマスクを着けた人たちがスマホを開いて、首相会見のニュースを見ていた。SNSを眺めていて、今夜はスーパームーンなのだと知った。見上げれば、真円を描いた月が明るく輝いていた。4月に入ってから在宅勤務が始まっていたが、この日を境に本格化していった。

震災との違いはありますか?

新型コロナウイルスの感染拡大の影響が大きくなるにつれて、震災後との違いを聞かれることが多くなった。その理由は、はっきりしている。2011年の震災後に立ち上がったArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)を担当しているからだ。「非常時」という意味では似ているところがある。でも、実際に起こっていることは、まったく違うともいえる。問われるたびに、口ごもってばかりいたと思う。

それでも、少し時間が経つにつれて、震災後に獲得したものの見方は、いま自分が置かれている状況を見つめるのに役に立つことが分かってきた。

緊急事態宣言が発令された日の帰り道。ふと、あぁ、自分は当事者なんだな、と思った。あまりにも日常と地続きで、目に見えた脅威に襲われている感覚も少ない。でも、だからこそ、注意する必要があるのかもしれない…。それからの心構えが、だいぶ変わったと思う。

「当事者」。震災後に何度も聞いた(やっかいな)言葉だった。当事者とは多くの場合、自称するものではなく、誰かに呼ばれてうまれるものだった。それは被災者という言葉も同じだった。

「被災地支援」を掲げた事業を担当するなかで気がついたのは、「被災」は目に見えた被害の有無にかかわらず、それぞれの人のなかに、それぞれのかたちで存在するということだった。ある意味で誰もが当事者だった。

でも、それを自認するのは難しい。自分の置かれている状況は見えにくい。近くの誰かと被害の多寡を比べてしまう。なにより当事者を掲げることは、自分の弱さ(のようなもの)を誰かと共有するようで、逡巡してしまうこともあるだろう。

震災直後は「ただいる」ことが大事だった。何も語らなくてもいい。役に立つことをする必要もない。ただいる。その声に耳を傾けることから始める。震災後に出会った多くのアーティストの作法でもあった。それは目の前の誰かに(その人を名指す枠組みを使わずに)向き合う方法だったのだろう。でも、いまは物理的に「ただいる」ことが出来ない。それはオンラインで代替が難しいことではないだろうか…。

半分くらいは経験から知っていた。でも、もう半分は、このとき考えてわかったことだった。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、それ以前のものの意味は変わってしまった。同じやり方には、もう戻れない。それは、ひとつの事実だろう。ただ一方で、いまは「それ以前」にあったことの意味を理解し直す機会になるのかもしれない。

2020年5月25日。東京都も緊急事態宣言解除の対象となった。だいぶ空気は変わってきたが、依然として、先行きは読めない。そんななかで、しばらくは以前と以後を行き来しながら、進んでいきたいと思う。

いまが記録を追い越すまで

という決意表明をしつつ、しっとりトーンでnoteを始めます。東京アートポイント計画、Tokyo Art Research Lab(TARL)、そしてArt Support Tohoku-Tokyo(ASTT)。3つの事業を横断しながら、その動きを伝えていければと思っています。

とくに今年は東日本大震災から10年目、ASTTも事業開始から10年目を迎えます。各現場の動きに加えて、10年目の企画も準備中です。東北へ出張に行けない日々が続いていますが、事業の動きを発信していければと思います。

当面は即時性のある話はないかもしれません。でも、もしかしたら、リアルタイムで何かを伝える量が多くなったとき、「日常」が戻ってきた知らせなのかもしれない。振り返ったときに変化を追えるように(出来る範囲で)すべてを書き記していきたいと思います。

それでは、どうぞよろしくお願いします。

▼ 東京アートポイント計画|「はじめまして」のnote記事

▼ Tokyo Art Research Lab /Art Support Tohoku-Tokyo|さまざまなドキュメントはwebでPDF公開中(着払いで郵送も可能です)。

Photo : "Full Moon 3" by BudiFotography is licensed under CC BY 2.0

この記事が参加している募集